トルコ(2)カッパドキア

カッパドキア行きの日がやってきた。私は何だか興奮して寝つけなかった。良くある話だ。

朝5時半出発と言うので5時に起き、荷物もまとめ、チェックアウトして外で待つ。どんなにか朝焼けがきれいだろうと思うが。みるみる明けてゆくアンタリヤの朝はどちらかと言えばぼお~としている。そういえば東京の夏の朝もぼお~としていると日中熱くなったなあ~~

あちこちでしゅ~と水を撒くスプリンクラーの音が聞こえる。

6時になってもバスは来ない。こんな朝早くては誰に連絡するわけにもいかず。スケジュールを改めて見ると「from 5h30」とある。苦笑・・・
娘と「バスよ来い、バスよ来い、ママと道子が待ってるよ、みんなと一緒に待ってるよ、だ~から早く来てください」と「春よ来い」をもじって歌った。私たちは良くこういう事をやる。替え歌は彼らが生まれた時から作って歌った!「ねんねく~~みちりんくっく~、」「宇宙少年ソラン」をもじって「左門、左門、遥かなる宇宙から」などなど・・・路上駐車の場所探しの時「パーキングがありますように・・」というのもよく歌う。必ず見つかる(笑)

そしたらやってきた!小さなワゴン車?とにかく「何かが来た」ので一安心。

「4 persons to Cappadokia?」と誰かが降りてきた。

「やった!」

車中は妙齢な美女ひとり。と私たちのみ。大きな空調付きのバスを想像していた私は我らの荷物だけで一杯になりそうな小さなワゴン車(7人乗り)にびっくり。聞くと「いつもは20人ぐらいのツアーですがあまり暑いんで人数少ないです」という。
ガイド、マフムットさんとの出会いだ。
それにしても、太陽だらけのこの国で、大きな荷物はいらない。洗濯して外に干せば30分で乾くのだから!大きな荷物は顰蹙ものでもある・・・
運転手はがっちりしたトルコ人、妙齢の美女1人で前の席に座っている。何だかチャンドラーの小説みたいだなあ~ひとりでカッパドキア旅行に行くのだろうか…我々がもしいなかったら運転手とガイドというオトコ2人との他人同士の旅行なんでしょ?大丈夫なんだろうか?不思議な人・・・

まるでロデオに乗っているようなすっとばしかたでミニバスは進んでいく。
スケジュール表・・・これもかなり大雑把。なんといっても「from 5h30」の感覚だから。それによると8時「Breakfast」とある。ホテルから朝作ってもらったランチボックス、サンドイッチとりんごは出番がないのだろうか?
海岸沿いを走る事1時間余り、何やら「Silent Resort」と書かれたホテル地区に来る。「ははあ、私だけではなく騒音(騒音楽)嫌い、という人種もいるのだろう」と勝手に想像する。「もう二人ピックアップです」という。待つこと15分。誰も来ない。
マフムットは「全くこういう時、ガイドなんてやめたくなる」と早くも愚痴をこぼしている。狭い車内、物いわぬ美女と我々、トルコ語わからず、では対処の仕方もない。

「近くに軍隊の基地があってどうもそっちらしい」また話しがそれるが、そういえばトルコは国の予算の45%が軍隊に行くのだそうだ。Natoに入っているから、と誇らしげにいうガイドさんも実は兵役の大変さと要するに、イラン、イラク、アルメニア、グルジア国境の警備隊としてだけ扱われEU加盟にはまだ及んでいない国の実態をあとになって語ってくれた。
また走る事15分、なんとピックアップを待っていたのはトルコ人の老夫婦、お婆ちゃんは頭にスカーフかぶり、小さな荷物一つ、「一体どうやって乗るんだろう?」と思っているうちにガイドさん、「息子さん前、ファミリー(老夫婦)後」とテキパキと指図を出す。かくして左門は妙齢の美女の隣、一番後ろの席の私のとなりに「どか!」と80キロはありそうなトルコのおばあさんが腰を下した!

はてさてこうやって珍道中が始まった。

何しろミニバスは飛ぶように高速道路をひたすら走る。海を離れ北上を始めた道路はだんだん山に入ってくる。海岸沿いにすぐそびえる山々は500-3000メートル級だという。落っこちそうになりそうな谷底を覗けばかなりの高さだ。運転手さんの腕を信じるしかない。

【最初の朝食どころ-1】

「40分休憩します。朝食です」
の声で何やらバラックに到着、ほこりにまみれたその店先で我々はホテルから持ってきたサンドイッチをかじり、ターキッシュティーを飲んだ。これは日本の「紅茶」と全く同じ。それを高さ15センチ、直径5センチぐらいのガラスのコップで砂糖だけ入れて飲む。汗が収まる感じがする。我々は事あるごとにこのお茶をいただいた。

【最初の朝食どころ-2】

しかしなんと言ってもスカーフを巻いたおばさんに絨毯を敷きつめた奥でタバコを吸うオトコたち・・・
いよいよ「ボデイガード」誕生の時?
とか言ってパパが緊張する。

なあんちゃって!
何も怖いことなどなかったのだ。帰りにこの店にまた寄った時などクレジットカード支払いができたのだから!それにトイレだっていたって清潔。これは本当に驚くべきことだったがこのあと行くゲル(テント)の近くのお店だって清潔なトイレ、水、石鹸、手を拭く紙など触らずともセンサーで出てくると言った最新式だったのだ。

ここでガイドが「これからの行程」を説明する。私たちに英語で。妙齢の美女と老夫婦にはトルコ語で。彼女は運転手と一緒にたばこを吸っている。いったい何者だろうか?

その後、ハイウェイの最高地点だという1800メートル地点を通り、今年はクルシュベルに行かないのにまたまた3000メートル級の山々の岩肌を仰ぎみて、バスは進んでゆく。さすがに雪はない。氷河のあともない。山々が連なる光景も日本と似ている。

峠を越え、だんだんなだらかな光景に変わってくる。気温も上昇しはじめた。
何しろエアコンつけるより、窓開けて走るので外の空気はすぐそこだ。

それにしても私は良く寝た。
やっと旅行が軌道に乗ったと安心したのか、エアコンなしの風に昔を思い出したのか、思わぬところで爆睡。
山のカーブを曲がる度に頭ぶっつけながらこんなによく寝たのは、中学の頃、ヴァイオリンの久保田良作先生の軽井沢の合宿の折り、演奏会後に夜更かしして翌日(遠足)と称して浅間山、白糸の滝、などに連れて行ってもらったバスの中以来かもしれない。
日頃の疲れも神経も、全て休まった感じだった。

ふと起きると、隣のおばちゃんがつっつく。何だろうと思うと豆をくれると言う。ずっと私が起きるのを待っていたみたいだ。断っても失礼だし、恐る恐るもらって家族にも分けていただいた。塩味の濃い節分豆の味。おいしかった!
この時初めて顔もみた。人懐こい笑顔、これなら道中やっていけるかも!

そうこうするうちに最初の観光ポイント、メヴラーナに到着、ものすごく青みどりのモスクだ。

【メヴラーナ寺院の入口】【青いモスク全景】
日差しのきついこと!40度近くありそうな太陽の下、女の人達は皆スカーフを巻いている。
モスクとは言え、今は美術館になっているので私たちは肩を出していてもスカーフをしていなくても良かったのだが、全くあの忍耐というか、宗教とは言え彼女たちは熱くはないのか?熱中症にはならないのか?と心配してしまう。

でも実は入ったトイレで彼女たちは靴下からスカーフからすべて脱いで、水を浴びていた。

そして水浴び(といってもタオルを濡らしてふくぐらいだが)が終わるとまたきっちりと身支度する。車に戻る度にサウナのようになっている車内で、私がなんとアンタリヤ美術館で買った「せんす」を隣のおばあさんに貸してあげた。どれだけ感謝されたことか!

また横道にそれてしまった・・(苦笑)
そのメヴラーナ美術館とはメヴラーナという13世紀、サルタン第一の学者(スコラー)の住居であり学徒たちのすみかであり、有名なダルヴィッシュダンスの地でもある。白いスカートのような服を回しながら踊る神に捧げる男たちの踊りは今回見られなかったけれど随分おもしろそうだ。
住居の中は目もきらめくばかりの文様の重なりあい、色使いも文様使いも素晴らしい。イスラムの美の結集のようなきらびやかさだ。
古い時代からのコーラン書、祈りのためのカーペット、キリムス、装飾がこれほどまでに施されていたのはやはり彼が第一人者だった為だ。教えの中には老子思想にも通ずるような「慈善と援助は流れる水のごとくあれ」(切れ目なし)とか「ありのままを見られよ、あるいは見たようであれ」(表裏なく)とか書いてある。
それにしても熱い・・・カフェでは水を吹き出しながら回る扇風機があった。

サウナバスに戻り又30分ほどで゙「ランチ」。

Konyaというここでは大きな都市のどこだか知らないけれど道端のまた土産物屋さんとレストランが一緒になっているところで今度はフルコース。というのは前菜、メイン、デザート、スープまである。
こんな熱い国なのにどこに行ってもスープがあった。ちょっと辛めのチキンスープとかトマトスープとか大層おいしかった!
と言っても老夫婦は食べず。我々と妙齢の美女がだだっ広い食堂の中で隣同士に座る。
愛想良く誰にでも声をかける旦那も英語、フランス語、ドイツ語とやってみてどれもだめ。
それでも臆することもなく美女は食事を進めている。
我々に媚びるでもない、遠慮するでもない。こういう距離関係というのは他人と初めて会ってやっていくことの多い我々の職業では微妙なところで大事な感覚だ。
何かの拍子に御塩を取ってもらい「ありがとう」(Tesekkur Ederim)テシェキュル、エデレムと習いたてのトルコ語を使ったところぐらいから糸がほぐれ始めた。
息子がからい唐辛子に目を白黒させるとパンを取ってきて「はいこれ」、半分に割れないでいると「ちょっと貸して」
世話焼き母さんなのかな?

デザートになるとなんとか会話をしようと「すいか」、「ワクラバ」、と指さして言ってみる。
「すいか」はなんと「カルプス」これは覚えやすい。おいしいデザートは「タトラ」
なんというか逆にことばが通じないから(勘)みたいなものがより出てくる。
以降彼女とはだんだんに慣れてきた。いい人だ。

とにかく「水」を切らさないようにと各停留地で水を買う。でも考えてみればその方が冷たいのだ。
さっき「せんす」を貸してあげた隣のスカーフに長袖、長ズボンのおばさんは凍った1リットルの水を購入。さすが!だんだん溶けだす水はいつも冷たく、時にはそのボトルを首筋に当てて涼を取っていた。良かった・・・

ランチも済み、すこ~し慣れ親しんできた我々グループ。
次なる訪問地は?
コンニャ(konya)から走る事1時間余り、ひたすらまっすぐな道が続く。背景はなだらかなお山々、360度同じ風景だ。
まるでモンゴルの草原のよう・・・と思っているうちに何やら廃墟のような、それでいて営業してそうな?
聞くとシルクロードの宿屋だったところだというではないか!!

【シルクロード街道宿その背景】

初めて聞く「シルクロード」の名前に心は躍った。
まさか目の当たりにしてそのありさまを見ることができるなんて! ちょっと興奮気味にガイドさんに聞くと「そうですよ。ここは街道が交わるところで、何世紀にもわたって象もラクダも一緒に泊ったところです。
今はその外壁だけ残して中を改造、カフェになってます」

【シルクロード街道の宿のあと、ベルギンと】【シルクロードの宿】

象?というのは奇妙な話だがそういえば昼食で止まったレストランの前に大きな象の像があった。
「なんでここに?」と思ったものだ。ガイドさんに言わせるとその当時はまだアフリカから来る荷物は象で運ばれていたという。そういえば各地で売られているお土産物屋モチーフにもいつもラクダと一緒に象の姿があった。

当時の足音、砂埃が聞こえる。蜃気楼が見える。人々の旅のあと疲れ果てた体を休め酒を飲む姿が見える。
香料、絹、さまざまなにおい、色・・・
想いははるかかなたのシルクロードに飛んだ。

【街道宿Yakmakにあるゲル(テント)の中からの景色】

目の前にはゲルが立ちあげられそこにも初めて入ってみた。円形のゲルのあらゆる角度に開けられた窓からの景色が美しい。

ゲルは毛編み物でできている。もちろん今見てきたメヴラーナの豪華さはないけれど、こういう景色を見たであろう昔人に想いをはせる・・・

私の旅はもうすでにほぼ完結した。

【地下都市、入口の広間】

30分ほどドライブして今度は「地下都市」を見る。
全く何の変哲もない村の全く何の変哲もない道のつきあたりにちょっと穴があいていてそこからはいる。
入ってみてびっくり!
外の午後3時ごろの日差しから一瞬にしてひんやりとした空気に覆われた空間の広いこと。

【灯り取りの穴】

「ここは入口です。入り口はいつも広くとってあります。」ふと頭上を見上げると2メートルはある天井の石壁から灯り取りのような小さな穴があいている。

次は台所、いまでもすすが残っておりくぼんだ場所は煮炊きの跡だという。底が見えないほど深い井戸、暗さに目が慣れて来てみると、はるかかなたに水が見えた。
考古学をやりたかった私は本当にわくわくする。そこに(人の営み)が感じられるからだ。

急な階段をあがる。
これも迷路のような道のひとつで今でこそ危なくはないがガイドさんについていかないと袋小路?
狭い通路を通る。
人ひとりやっと通れるか。
あの太っちょおばさん大丈夫かな?

寝室、また寝室、急な階段を降りる。
と、まるで5円玉を大きくしたような大きな石が通路をふさいでいる。
「これはドアです」1トンもある「ドア」は敵の侵入…この場合はイスラム人の侵入のあった場合隠れ住んでいたキリスト教徒たちがこのドアを押してそれ以上中に入れなくなるようにしたのだと言う。真ん中に穴があいている。

【人ひとり通れるかの通路】【石のドア】【地下都市1トンの石ドア、両側から】
ガイドさんによると(世界一古いドア)で「パリの地下鉄を作る際見学に来た」ともいう。へえ~~

人ひとり通れるかの壁は火山の噴火による石灰岩のためクリスタル成分が多いのだという。だから袖なし、肩だしの道子は(気をつけてください。擦れてできた傷は治りにくいですから)と注意された。良く気がつくガイドさんだ!

迷路の地下都市にいると確かに涼しいが外に出たくなるのは当然だ。彼らにしても同じことだったと言う。
数ヵ月すると狂うため、当時は色彩食豊かなカーペットや絵が描かれていたという。
明日訪れるギョレメ美術館が楽しみだ。
それにしてもこの地下に一体何人ぐらい住んでいたのだろうか・・・当時一番多い時で400人ぐらいです。
「!!」「そんなに驚くことありませんよ。
カッパドキアの中には18000人住んでいた地下8階の都市もあるんですから」「・・・」

数ヵ月どころかそろそろいいなあ~と思う頃地上に出れた。慣れたもので私たちに行きかたの説明だけしていなくなってしまう。だいたい我々の様子がわかってきたからだが、こちらはなんとか矢印の付いた方に進むので必死だった。これも地下都市訪問の実感ありだ。だけど出れて良かった~~隠れて暮らすことなくて良かった~
とは言え、今夜泊る予定の場所は「Cave Hotel」(洞窟宿)なのだけど・・・
夕方の光が優しい。風が気持ちよい。ひなびた村のカフェで飲むお茶のおいしいこと!

隣で鶏が放し飼いになっている。

また道路を行く、もうそろそろカッパドキアだ。
情景がだんだん奇妙奇天烈な岩、山の形を見せる。グランドキャニオンのようでもある。

いよいよバスを降りて最初のカッパドキア、山を登る
あらゆるところ、穴だらけ!慣れた観光客はぽっぽと岩場だか何だか登ってゆくではないか。
日本ならさしずめ「立ち入り禁止、危険」となるだろう。

そろそろ本日の旅終了、朝5時から今夜8時までよくバスに乗りました!

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