トルコ(3)カッパドキア2日目
2日目、朝5時になるとコーランのテープ?で起こされた。
全く村中くまなく聞こえるこの声というか唱和以外にはそれこそ音はない。不快ではなかった。
はてさてCave Hotel (洞窟宿)と言うのはどんなところか?我々が泊ったのは全くツーリストのいないところだった。(Orthisar/Ugrip-Nevsehir)1年前に開設したばかり。
映画で見た[カスバ]のような穴だらけの民家の険しい道を車がやっとの思いで通ってやってきた。スイカを持って登ってゆく老人がいる。随分急な斜面だ。
そびえたつ城、これも穴だらけのそれも岩でできている。かつてはそこに誰が住んでいたのだろうか・・・
すごくおいしい朝食を庭でいただく。
チーズ、トマト、キュウリ、ヨーグルト、はちみつ、ジャム・・すべて自家製だ。こんな贅沢な時を持てるなんて。
そして人々の温かさ、親切さ、丁寧さ・・・
朝迎えに来てくれた運転手さんは私たちを待つ間自分の庭でもないのに雑草取りをしていた。そのうち、見つけたミントの葉っぱを一つずつ私たちにくれた。
そんなに強い香りではなくちょうどいい。この葉っぱを道中ペットボトルの中に入れて飲んだ。
アンタリヤに帰るまでその香りは消えることなく私たちののどを潤した。
やっとギョレメ美術館に行ける、と思いつつバスに乗り込む。今日は800キロの旅ではなくこの辺をちょこちょこするだけ。
最初の「パノラマ」地、まずガイドさんはこのカッパドキアの成り立ちを説明してくれる。遠くにそびえたつ山々、ハッサンダギ、エルシエダギ、メレンヂズダギ、皆3000-4000メートルの山々の度重なる噴火によって出来た軽石、それが自然の風化によってこのような奇怪な岩を形作る。今ノーマルな形をしている尾根もいずれは皆このようになる、との事。
ここで子供たちは走りまわる。
どこに水があるのかわからないのだが本当に綺麗なバラ一輪が咲いていたりする。(写真左)
ラベンダーの青、紫の淡い色が拡がっている。
「水を通しやすい地層の中で溜まったところに根がある木々だけ緑なんです」とマフムット。そういえば桜の木だって山の中に突然咲いている。
それに多数に空いた小さな穴。人の手によるものだがおよそ人が住めるようなものではない。聞くと(鳩)のためだという。この乾燥した台地に鳩の糞が栄養をもたらすのだそうだ。だから古代から今まで鳩小屋、は壊されることなく続いている。(写真右)
その合間を縫って歩く。「歩く」のだが何しろ奇妙奇天烈なこのグループ、ふと交差点に止まると、ガイドはあれよあれよと木に登り、お爺ちゃん(老夫婦)はさっと野球帽を差し出す。
何か?と思っていると上からアプリコットが降ってきた!
アプリコットはおいしい。美容にも大層良いそうだ。その上その種の中身もお爺ちゃんが剥いて食べさせてくれた。種をワインにつけるとおいしいそうな。
次には谷を歩いている時、妙齢の美女が消えた!彼女の名前はベルギン、45歳、19歳の子供がいると言う。とてもそうは見えないけど!ガイドさんは(ほっとけ)という。
しばらくすると、両手いっぱいに「りんご」を持ってきた。ちょっとすっぱかった。(と言ったらその後、太陽さんさんと照る木を見つけそこのリンゴも失敬、おいしかったあ~
ラクダ岩、魚岩、おっとせいに聖母マリア・・・・いくらでも名前をつけられる。
次の停車地、アヴァノスに向かうバスの中でガイドさんがここの旅人達の話をする。
またシルクロード時代の話だ。これから行く陶器作りの店、それも昔からのろくろを回して作るところでは特別な「ワインボトル」があるという。肩にかける型でカッパドキアにしかないと。
なぜか?「昔キャラバンが泊る休みどころには給仕する女の人がいて、普通キャラバンはすべて男たちでしょ。給仕の女の人はもちろん手首までの長そでにスカーフを巻いている。
しかしこの「肩から掛けるワイン注ぎ」の最後の一滴を注ぐ時どうしても前かがみにならなければならずその時「おがめる」目の保養にオトコたちはまた次の酒を所望した」というのだ。
さてそろそろギョレメか?と思いつつ又山を登る。何しろ「パノラマ休憩」が多いのだ!
おばあちゃんはえっちらおっちら良くついてくる。それにおじいちゃんも優しい。よく気を使っている。61歳だと言う彼らも初めてここにやってきた。嬉しいだろうな。
先ほどのアプリコットとリンゴに加えここでまたガイドさん、マフムットは何やら枯れた草を私の手に乗せ擦り合わせる。「匂い」というのでかいで見ると、レモンの匂い!レモングラスだ。
次はオレガノの葉っぱ、そしてアーモンド「ナッツ類はトルコの代表的な輸出物です。頭が痛い時はひとつ、ほんとうに痛い時は2つ、5つ食べると死にます」「・・・」「その皮は染料になり、黄色、オレンジ、茶色などの色になります。」赤い小さな実は「おなか痛い時、でも僕らは子供のころ、女の子の背中にそれ擦って遊んだ。ちょっとつけるだけで痒くなるんだ。つけてさっと逃げると彼女たちもじもじし始めてさ」誰にもある子供時代の話にみんな笑う。
ギョレメに近づいてきた。
が彼は「ガイド料と入場料といろいろな行程時間を考えてギョレメには行きません。でも他の教会に案内します」老夫婦はここで近場のギョレメ行き。なんかちょっとがっかり。せっかく楽しみにしてたのに・・・
仕方なく私たちはガイドのあとをついて又無人地帯の岩場を歩く。やたら広いカッパドキア。それにどこを見ても穴だらけ。窓だらけ、中に何があるのかは想像もつかない。たしかにギョレメでは日本人観光客も韓国人観光客もシンガポールの団体もいたのにここにはだーれもいない。
人がいない所ばかり連れて行ってもらえるのもチャンス「ま、いっか!」
他と何の変哲もない大きな岩、
「ちょっと待っててください。」
ガイドさんが取ってきたのは鍵だ。
階段を上ってゆくと・・
そこにはれっきとした「教会」が出現した。
赤を中心とした色彩あふれるフレスコ画。蝋燭を立てていた穴、すすで壁画が汚れないよう壁から50センチの位置まで棒が出ていたという。描かれている馬はヒッタイト馬だと言う。今では800頭しか残っていない。
そういえばCave Hotel(洞窟ホテル)に行く途中繋がれていた少し小さめの白い馬、を思い出した。同じだ。
ここでイスラム教とキリスト教の話になる。
もともとキリスト生誕から600年後にモハメッドが生まれている。それまでは完全にキリスト教徒たちの住み家だった。そののちイスラム教が勢力を増してくる1200年ごろからキリスト教徒たちは穴の中に潜り、さらに勢力が増してきて撤退を余儀なくされた1400年ごろ、彼らはその魂の中心である(目)だけをつぶし、また十字架だけを担ぎこの場を離れたという。確かに目をつぶされた絵が多い。
十字架があった場所、僧侶が寝起きした場所など当時のまま「くぼんで」いる。
しかしながら今となってこのキリスト教の教会をイスラムの人達が守っている。元々イスラムの教えには(今までに生まれてきた宗教とは共存しなくてはいけない)という一文があるという。キリスト教徒たちがここを去って行ったのも一つにはキリスト教本山の援助金締め付けのための閉堂奨励のためもあったらしい。
「ベルギーの政治家たちもここを見にくればいいんだ」と旦那、バート。
このころノルウェーで大量殺人事件が起こった。極右翼の単独犯行。どこで彼はそういう思想に染まって行ったのか?今までイスラム原理主義のようにアラブの国々でしか起こらないと思われてきたテロ行為が、今や逆の形でヨーロッパで起こっている。ごく自然な隣人が爆弾を仕掛けたイギリス片田舎の話。今回の用意周到に準備された彼の思想と行動・・・
今私は、スカーフを巻いたトルコのおばちゃんの隣でずっと一緒に旅行して何だか初めて「反対側から」ものを見たような気がした。いつも「カトリック」の目で物を見ていたからだ。仏教、神道は体に染みついている。
ヨーロッパ、ベルギーで頭を隠している姿を見ると自分たちとは違う人種と避けていたのも事実だ。
イスラムと言っても本当にいろいろな人たちがいる。メブラーナで感じたイスラムの宗教心。オスマントルコというどちらと言えばキリスト教に(脅威)となる事しか目につかなかった彼ら側に立って見る。なかなかセンスのある、寛大な宗教なのだ!
こうやって旅は続いて行く。