活元会、夏

お城でマスタークラスをやっていた時のことだ。
1人の生徒が室内の古い絨毯やカーテンのためか喘息の発作が起こりそうだと言う。というよりそれを防止するための薬を(入れる)ので「何だか変な顔をしているな・・」と思ってわけを聞くとそういう事だった。

毎日のマスタークラス。これは日常一対一のレッスンをみんなも参加して他の生徒のレッスンも聞くようにしたものだ。通常は1人ずつでないとレッスンはできない。みんな問題が違うし私の言葉使いも違うからだ。しかしその後「たまに」これをやると良い刺激になる。彼らは私が思ってもいなかったような反応をしてお互いから学んだようだ。昔、ベーグ先生などのヨーロッパの授業ではこれが当たり前だった。

3日目、コースも軌道に乗り、今日は少々曇り空の中、姉妹城?のような「Chateau Fort」(強い城)に遠足、今は博物館となっているお城を見せてもらった。今我々が住んでいるChateau de la follie(熱狂のお城)は人が住み、それなりに内装も改善されている。
博物館のガラスケースの中にあるオブジェが当たり前のように部屋にあったりして、「アブナイ」のだがそれが真の意味での(住む)と言う事だ。

それには本当に生徒ともども感謝する。

この(強い城)は博物館になっているため、逆に当時の様子を色濃く残している。

当時のサロン、大きな暖炉、武器庫、チャペル、そして罪人が閉じ込められた地下牢、など・・・そこには頭と両手をかせにかけられるようになっている器具もあり子供たちなどそれしか覚えていない?かもしれない。

しかしながら雨にぬれつつ、その上寒いお城の中に入りその喘息持ちの生徒の様子はますますおかしくなっていった・・・

幸いその子は私のうちでの活元会に参加していたので、(夜でも活元運動やろうか?)と言いだした。

私はいつもの長い伯爵達との食事のあと、お酒も回って、おしゃべりも回って・・・

でも10時ごろ何人かいつもの仲間が私の部屋に集まった。
古城の天井は高く、居間も広い。ゆうに20人は入れるだろう。

このくらい時間には皆練習も終わり、いつもトランプだの(夜のひと泳ぎ)だのに集まっていた輩がなんだかみんな部屋にやってきた!

ベルギー人達、フランス人たち・・・こうなっては「みんなでやるか!」と言うわけで
「はい、みんなで邪気をはきましょう」と始めた。

半信半疑とはこのことで「多分この子たちは面白半分に来たのだろう」と出来れば喘息もちの子に集中したいところだが、彼女も(お城見学)の後よく寝たようで大分顔色も良い。

かくして、邪気をはく、ねじる、3番目の準備運動も説明して・・
活元会が始まった!
14世紀からのお城の中で!

音楽はなかった。
と言うより私たち音楽家は聞いてしまってかえって無い方が良い場合もある。あるいはどなたか選曲もよく、始まりと終わりもきちんと止めてくれるような方がいれば別かもしれないが。

私は自分の高ぶっていた神経を休めるために非常に良かった。
例のとおり上がっている気を下げようとする動きが出る。

いつもやっている人達はそれなりに動きが出る。

相互運動になった。
初めての人達と経験者が組む。
なかなか動くものではない。

「先生、全然動かないんですけどどうしたらよいでしょう・・」と言う声も聞こえる。

みんなそこから始まった。

「愉気」となるともう気持ちよくて誰も動かない・・・「う~ん」とか言って寝っぱなしだ!
全くどこまで面倒みればよいのだ、と思いながらも内心感心した。

「彼らはどうせ薄目を開けてなかなか真剣にはやらないだろう・・」と思っていた。私も最初そうだった(笑)
しかしとんでもない。まじめに相手の背中の様子を組み取ろうとしている。
「二人の方が動きが出やすいです」というベルギー人の女の子。

だいたいいつも教えている生徒たちの体の「癖」はわかっているつもりだ。男女の差や人種の違いはあるけれど、手で感じることはヴァイオリンも愉気も同じこと・・

とはいえ、この初めての活元会の成功にびっくりしていると、一人が言う。
「コンセルバトリーでもこういう講座あるんです」
「!」
「ポスチュア・アンド リラクゼーション、というもので僕なんかいつも動けないけど気持ちよくて手を当てられていると、寝ちゃうんです」

ではあなたたちこういう動きが出ること知ってたの?
「はい」

全く灯台下暗しとはこういう事だ。

考えてみれば私が「西洋音楽」と言われているものをまるで自分の事としてやっている事も当たり前。良く 「あなた方はどうやって私たちの音楽を理解できるの?」
と質問されイヤな思いをしたことも多々ある。
「西洋人」が活元をわからない・・と思う事もおかしい。
皆感じることは同じなのだ!

果たしてどこまで続くかは分からないけれど、続けてやって行こうと思う。

2011年7月 ブリュッセルにて
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