アルゼンチン旅行〈後編〉

パタゴニア記

ブエノスアイレス。テアトロコロンでの本番が無事おわり、私たち3人・・・私、ハンガリー人のヴァイオリニスト、ゲザ・ホース・レゴツキーとロシア人のチェリスト、グレゴリー・アルトニアン。
通称グリーシャは、次の公演地であるジャオジャオへとむかいます。

ジャオジャオとは、ブエノスアイレスから航路約4時間。大陸を横断してしまうかと思うほどの距離にあるパタゴニア地方の世界一美しい!!とされる秘境にあるリゾートホテルのことらしい。というわけで、前夜の飲みっぷりに殆ど「ふとん」と化していたゲザもたたき起こされて、飛行機に詰め込まれた!というわけです。

着いた空港、バリローチェは砂漠にサボテンが点在する・・・赤茶けた大地に、真っ青な空。なんとも陽の光がまぶしいところでした。メキシコのようでもあるのですが、ごつごつした岩山は、カウボーイの舞台、コロラド州?の様相でもあります。またここから車に乗ります。揺られること小一時間。まわりをみわたせば、大きな湖。そのあまりの大きさは、私たちのいる山道が「ここは、半島なのかしら?」と思うほど。スイスコテージのような西洋風のバンガローや、街を過ぎると、今度は道がくねくねと折れ曲がり、いっそう「山」の雰囲気が濃くなってきます。が、ときおり顔を見せる巨大湖、それがあっちにもこっちにもあるので、方向感覚もあてにはなりません。(もともと私は2回曲がればもう、右も左もお手上げ!です)
なんとも珍しい景色。だいぶ南・・・ということは、南極に近い・・・ということは、季節がもっと極に近いだけ厳しくなる。初春だったブエノスアイレスに比べると気温も低い。「昨日まで、スキーのリフトが動いていたんですよ」という運転手の声に、ゆうに2000メートルはありそうな山の頂きをながめれば、なるほど、まだ「雪」をかぶってます!!
「すごいところに来てしまった・・・」というのが、少なからずの第一印象でした。いつも旅はしているものの、大体現地に着いたらすぐリハーサル、本番と続き、観光することなど、めったにありません。特に家庭、子供持ちの私としては、なるべく「遅くぎりぎりに家を出て」「すっとんで帰る」のが日常です。こんな山の中で、5日間もなーんにもないなんて!家に帰るにはちと、遠すぎるし。なんだか、この先なにが起こるのか、不安もあるけれど「奇跡!」のような自由時間ではあります。置いてきた子供発ちには「申しわけない」けれど、まず今の私の生活には、存在しない「何もなさ」。この事だけでも内心私はうきうきしていました。
マルタに感謝!

さてやっと着いた!夢のホテルジャオジャオ!!・・・が、車はなんだか、辺なところで止まってしまいました。燃料補給?でもなさそうだし、どうみても「夢の・・・」からは程遠い。
なにやらもめている?運転手とその「ホテル」らしき建物の住人。
「部屋がない!」坂道を殆ど気分がわるそうになるぐらい、ぶっ飛ばして着いた先はなにやら学生寮??の趣です。
「だいぶ前評判とは違うじゃない!」「聞けば、ここは、世界で一番美しいところ、夢のような山と湖に囲まれた超高級リゾートホテルというから、わざわざ5日間も前に、ブエノスアイレスから飛んできたのに!」
と、けんかをしてみても、らちがあかない。ないものはない。「sorry」と肩をあげて心からすまない顔されると、来てしまった以上、戻るに戻れぬ。また4時間かけて帰るのも「くたびれたあ・・・」。
この後いろいろ交渉が続きますが、そうこうするうちに、このなんとも何語も通じないような(もちろんスペイン語は通じるのですが)学生寮もだんだん居心地がよくなってきました。住めば都・・・それも、本当に言葉が通じなくてもよく気がつくボーイさんやら、レセピショニストとわいわいやりながら!・・「ファックスを日本に送ったことなんてないよ!」と目を輝かせ「本当につくのかしら?」と、出したはがきは3年たった今もどこにもついていないけれど・・・洗濯物は半日でできる・・・といっても「あんた、あそこにアイロンあるからかけてくれば・・」となんだか隣の建物に「案内」されて、かけてくれるのかと思いきや「はい、電源がそこね」と、ひとり残されたり、でも、とても暖かな人たち!!

しかしなんといってもこの、「空白の5日間」は、後にも先にもない非常に貴重な体験となって残ったのです。
ゲザ。まだ19歳!マルタからも良く話しを聞いていたし、テアトロコロンで、その超絶的ヴァイオリンも目の当たりにしました。彼は、ハンガリーのいわゆるジプシー音楽一家のひとり。ヴァイオリンもそこからはいった・・・のですが、ウィーンでみっちりドーラ、シュバルツベルグの薫陶を受け、クラシックもすばらしい。私など「もう、ヴァイオリンやめようかなあ・・」とコンプレックスを感じてしまうほど弾けます。そしてなにより趣味がいい。その「粋」なことといったら、とても19歳の少年とは思えない・・・最も彼は、14歳のときでも、すでにそうだったらしいです。本当に「才能」とはオソロシイ!
しかし、一般の音楽家にくらべればかなり生活もかわっている。学校??朝起きる??キャリア??常識では通用しない彼の頭のなか。よくぞ、ここまで、無事生きてこられたものだ・・と私など傍にいて、なんどはらはらさせらたことか!
そしてその彼が率いてやってきた一座「デヴィルズ」もまたすごいグループでした。ハンガリーの民俗音楽なのですが、ジプシーカフェが、アルゼンチンに登場。それも超一流がやってきた、という感じです。5人いる中で、みながみな超絶技巧の持ち主、目にも留まらぬ速さで指や弓が動いたり、チンバロンのばちさばきがあったり、コントラバスが歌ったり。しかしなににも増してすごいのがその「泣かせどころ」といいましょうか、背筋がぞくぞくする・・歌いまわしです。昔からハンガリー人は音楽的だ。といいます。「クレイジーハンガリアン!」とも。
一座とはブエノスアイレスでお別れ、ゲザは、やはりその才能を高く評価しているマルタと共演したり、他のメンバーと室内楽をするために、私たちとジャオジャオ学生寮入り。自分で集めた宝物のような名ヴァイオリニストのCDをいつも離しません。今では聴けなくなってしまった「ベルテレフォンオーケストラ」アメリカの50−70年代ぐらいの古い録音。今は亡きマイケル・レビン。ハシッド。若きメニューヒン、世界中の「ファン」から集め、彼の独断と偏見で選んだその音楽のすばらしさ。「すごいだろう、すごいだろう?」とひとつの旋律の歌いまわしに喝采をあげます。
もうひとりのロシア人のチェリスト、グリーシャはロシア・モスクワ生まれ。お父さんが、今は亡き名ヴァイオリニスト、レオニード・コーガンの伴奏者をしていた・・とかで、私が、父の影響もあって、昔からあこがれていた、コーガンの生の姿をいろいろ聞かせてくれます。車を借りてよくバリロチェまで遊びに行き、アルゼンチンタンゴに魅入り、車中はそこだけみんなで聴けるCD大会。ガブリエラは即興もできるピアニスト。彼女ひとりスペイン語が話せます。ジャズからラテンからクラシックまで、本当に「学生のような」音楽三昧の日々を送りました!つい3日目までは、赤の他人だったのが、共通の好みが一致するとうれしくてたまりません。「今度はあれ聞こう、こうしよう」と、まあ、学生寮(念のため、学校もここにはありませんし、ここは一応ホテルです)の使われていない乾燥室で練習。ゲザの即興には、とてもついていけないけど、グリーシャと私が、伴奏ぐらいはつけられる・・・とまあ、夜の更けるのも忘れ、年も忘れて!
そうこうしているうちにさすが、南極圏。雪も降ってきました。まるで春だったブエノスアイレスからなーにももってきていなくって!慌ててとびこんで、厚手のコートを買ったり!学生寮レストランには、いつもわれわれ4人だけ、ほんの5分も歩けば、その夢のホテル「ジャオジャオ」が「じゃーんと!」登場するのですが。
さてジャオジャオとはどんなところなのでしょう?
昔やってきたスイス人が、自分の故郷にあまりにも景色が似ている・・ということで、ここにリゾートホテルを建てたのがはじまり・・とか。そこら辺の場所一帯をliaoliaoと書いてジャオジャオと読む。
ホテル敷地内に一歩足をふみいれればそこは、別世界。どこもかしこも一流、お客さんより多いほどのボーイの数!「なにごとも不祥事のないように」といった、張り詰めた雰囲気さえ感じられます。われわれは「ゲート」で止められたこともあります。
雪の山々をみながら、温水プールで泳いでいる人たち。「ダイエットメニュー」のフルコースに舌鼓を打つ人たち、ステキな喫茶室で見る風景は絶景です。「お茶」も「お昼」も「happy hour」ドリンクタイムも、いつも、人、人であふれています。一体どこから湧き出したのだろう(失礼)と思われるエリート集団です。「散歩コース」「ヨガコース」「クラフトコース」「カルチュアセンター」至れり尽くせり。ここアルゼンチンは、ナチスもユダヤ人も逃げてきて、共存しているところでもあります。 
私たちも数日すると、ここでの滞在が可能になったわけですが、なんだか「学生寮」の気楽さと居心地のよさで、結局泊まりませんでした!まさかここでは、大音響で即興大会もできたものではありませんからね!

さて室内楽の音楽会は、ここで行われます。それを目的にみなさん、世界中から集まってくる・・・からです。特に今年はマルタ・アルゲリッヒが始めて登場するわけですから!私たちの部屋がなくなる・・のも、しかたがないのかもしれません。
5日たって、彼女も自分のフェステイバルが無事テアトロコロンですべて終了。ご機嫌な様子でやってきました。「なんだかすごいところねえ」と山々を見渡します。さすがに彼女が来るとあって、ナショナルテレビ局からなにから大変な騒ぎ。リハーサル。カメラテスト・・とあることはあるのですが、それもなんだか?時間どおりではありません。途中でゲザくんヴァイオリンを投げ出してどっかいっちゃうし!まったく最後まで楽譜はない。はらはらの連続です。マルタは、辛抱強く待ちます。
本当に「そうこうするうちに」本番が「始まっちゃった!!」というわけで、最初に私たちが、シューマンのソナタを弾いたのですが、ステージに出る前、突然彼女「怖い、あがっちゃった!」といいます。あんな大天才、偉大なるアーテイストが!アルゼンチンの山のなかの、小さな会場でも「あがる!」のです。うそでも演技でもありません。これが「ホンモノ!!」一流になればなるほど、求めるものが高くなり、そのハードルは自分で作るからまた次回はもっと大変、あの名ヴァイオリニスト・ハイフェッツも昔「もう、ハイフェッツでいるのは、イヤになった」といって「ジェームス・ホール」という名をつかっていたことがあるそうです。上に行けば行くほど、その「コワさ」が増す・・のが、プロの世界です。

さて、この旅も音楽会が終わり・・・私はだいぶマルタと一体感をもって演奏できたと思います。(テレビのテープを『送ってくれる』段取りをすべてつけてきたにもかかわらず、3年近くたった今も届いておりません・・・)

アルゼンチンの旅も、だんだん最後に近づきます。といっても、ここからヨーロッパ・ブリュッセルに帰る道・・・は長かった・・まず、ここジャオジャオから深夜(音楽会がおわり、夜中の2時ごろ)車で、ヌエケンという他の飛行場に移動する・・・なぜならバリローチェからだと、ブエノスアイレス行きは、お昼に一本しかない。私は、パリへの乗り継ぎ便に間に合わない。ヌエケン発朝8時の飛行機に乗るために、深夜の移動・・・
といえば、まあ別にたいして変わったことでもありません。しかしこの旅もまたここでの滞在のように、思い出深いものとなりました。
深夜2時、さすがにみんなそろそろ寝静まりかけたころ。「じゃあね」と皆にわかれを告げ、これから車6時間、飛行機3時間、待ち時間6時間、パリまで12時間、タリスで1時間半かけて、ブリュッセルにたどり着く、旅のはじまりです。同行人またゲザくん1名。彼は「一人で旅行するのはできない。特に飛行機には乗れない」という訳です。「じゃあ、この子をお願いね」とマルタにも頼まれます・・・
走り始めるとなんだか外が明るい。いくら南極圏だといっても(実際は逆ですね!)まだ日の出までにはだいぶあるし、なんだろう。と目を向けると・・
なんと満月の月の光で、湖中が銀色に光っています。バリローチェの町もすぎ、山間にさしかかると、ライトはまったくなし、人のすむ様子もまったくなし。荒涼とした山々はまるで、カウボーイの世界です。山の形で「狼岩」だの、「鳥の羽ばたき」(なんてあるかどうかしりませんが)ときっと名づけられるだろう、奇怪な岩山が続きます。そしてまた突然あの「銀色」の湖。まるで鏡のような光景が、展開するのです。昼間見た景色とはまた打って変わった「月世界・・・」ならぬ「月夜の大地・・」眠気も忘れて見いってしまいます。
となりでゲザが「怖い、こわい。だーれもいない」といいますが、私にすれば「こんなところで、誰かいたらもっと怖いでしょ」というところです。狼の遠吼え。ガソリンがなくなったらどうしよう・・・の心配はありましたが、運転手はひたすら前だけ見て走り続けます。またまた「ことば」がつうじないので、もし、この人が「ぐる」だったらもうおしまい!とはいえ、この世のものとは思えぬ景色を今生の別れとならぬまでも、目に焼き付けねば!と思い必死で、目をこらした私でした。ゲザくんは隣でスースー寝入ってます。
ま、こういう心配はおばさんに任せて・・というところですか・・・

朝5時。うとうとしていると、さすがに今度は本当に暖かさを持った明るさが、体にまとわりついてきました。朝の光です!山並みもまったく平らになり、地平線に昇る太陽は、シビリゼーションに帰ってきた・・・といった、実感がありました。これで「夢」の旅も終わり!良い経験をさせてもらいました。マルタありがとう!

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