アルゼンチン旅行〈前編〉

出会い

マルタ・アルゲリッヒと出会い、東京、神戸で彼女の「アルゼンチンの子供救済コンサート」で共演させていただきました。
同じ街ブリュッセルに住みながら、なかなか会うチャンスもなく、またその勇気もなかった私に、5月後半突然かかってきたマルタからの電話。
「ルガーノで弾く予定になっていた、私の友人のドーラ・シュバルツベルグが急病になったの。あなた弾いてくれる?」
「・・・・・私でよければ・・・」
という事でした。

結果としては、ドーラが、5日後には復帰。コンセルヴァトワールの最終試験とも重なる6月は、私のスケジュールのやりくりも難しく、その時は、ルガーノ行きはありませんでした。
しかし、あの彼女に、ふとしたすきに聞かれる Comment ca va la vie ?(どう、このごろ?)というセリフにはまったくお手上げです。あのタイミングの良さ!ありったけの魅力、包容力で、「どう・人生は?」と聞かれると、心の底まで見透かされているような気分になる。いや、何でも話したくなる。「この人になら話しても大丈夫」・・・とまあいろいろしゃべりましたっけ!

シューマンのソナタ

その翌年、彼女と弾けるようになる・・・とは夢にも思いませんでした。それも、シューマンの1番のソナタで!シューマンは、私にとっても、とても親密で、愛情あふれ、その天上的美しさは、多々ある技術的難関を突破してでも到達する(できれば!)価値あり。実際、ヴァイオリニストにとっては、大変「音のでにくい」音域を「音のでにくい」技法で書かれているパッセージが、たくさんあります。晩年に書かれたヴァイオリンコンチェルトがまさにそう。有名なピアノ五重奏曲も、カザルス・テイボー・コルトーが愛してやまなかったピアノトリオ(私も大好き!)も、カザルスホールカルテット時代によく弾いていた、弦楽四重奏曲も皆、音が「こもり」「ひびきにくく」なかなか光がみいだせない。しかし、だからこそ、その中の灯火がいやおうなく美しく、暖かいのかもしれませんが・・・。
 そんな私のシューマンへの思い入れを知ってか知らずか、マルタが「じゃあ、シューマンの一番をやりましょう」といってくれたときは、私はいたく感動しました。おざなりの「共演」ではなく、私の本質をわかってくれてるんだなあ、という気がしたからです。

演奏会

東京、神戸での演奏会はうまくいきました。今までどちらかというと「構築」することに目がいきがちだった、私の音楽つくりにとって、彼女との共演は、まさに、その逆。
「ひく」の妙・・・とでもいいましょうか。「引く」波があるから「乗る」波がある。その根っこのところが一緒になったときの一体感といったら、なんとも表現のしようがないほど気持ちが良いものです。まるで、私一人が弾いているような錯覚。どんな些細なことにも、反応してくれる、いつも聞いてくれている・・・彼女のつむぎだす、この世のものとは思えないほど美しい音に乗っかって、弾く・・まさに、至福のときを過ごすことができました。

アルゼンチン

悠久のとき・・・を感じさせてくれる人は、めったにいないものです。天井のたかーいホテルの深夜のロビー。アルゼンチン、パタゴニア地方の、アルプスと海が一緒になったような絶景のなかのホテル「ジャオジャオ」・・・そこの廊下での立ち話・・・マルタは、演奏もさることながら、こんなゆったりとした時間を分かち合える、貴重な方です。

  そんな彼女に呼ばれていった初めての「アルゼンチン」パリから航路12時間といえば、ほぼ日本行きと同じ感覚です。また、パリは10月の秋、その気候が春秋逆になるアルゼンチンでは、ちょうど初春。まぶしい陽の光を浴びて上陸したブエノスアイレスは、なぜか、妙に親近感を覚えたものです。
空港からホテルまでの道もまわりの建物も初めての場所なのに、なんとなく懐かしい・・・・これは後から体験することになる、人々の感覚の近さ、気配り、その速度の速さ、などの序章でした。
ホテルに入り、10レーンはあろうかと思う大通りをながめ、その裏側の植木鉢やら、洗濯物やら、台所が見えるアパートをながめ、一休みする間もなく「テアトロコロン」にむかいます。すぐオーケストラとのリハーサルがあるのです。大きな会場の「裏口」から迷路のような通路を幾重にも降りたり上ったりします。得てして、オペラ劇場はそういうつくりが多いものです。はてさて、一体「どこで、リハーサルやるのですか?」と聞くと「そこの廊下」「?」
確かに「廊下」にしては十分オーケストラが入る広さで、みなさんすでに練習中。大理石の階段。高い天井。どこひとつとっても大きい!「すぐとなり」の大劇場でオペラ上演中。ですが、となりの「廊下」で私たちが練習していても、いくつかのドアとカーテンを隔てると、まったく聞こえてきません!
後に、この「廊下」で、子供たちがひっきりなしにやってくるのを発見。ガヤガヤと大理石の階段を集団でのぼってくるのをながめ「社会科見学?」と思いきや、そのうち「廊下」に座りはじめ、なにやら楽しげにわらっています。
「何やってるのだろう?」と、廊下の角をまわって見てみると??

本当の音楽教育

そこには、アップライトのピアノ伴奏で、きちんとオペラの衣装をつけた役者が二人、真剣な表情で「フィガロの結婚」の一幕を演じているところだったのです!
 目をきらきらさせながら、1メートル先での「劇」に見入る子供たち。しばらくすると、今度は、歌手の人が、あらすじのお話をする・・「それで君たちこの後どうなると思う?」「あそこにかくれてるの、本当は違う人。「悪い人」「そんなことないよ!」あらゆる推測がとびかうなか、また役者は、美しいモーツアルトの音楽にのって、歌を続けます。「ほおら。本当は、ごらんのとおり!」「なーんだあ。・・」とうれしそうなこどもたち。これこそがまさに、真の「音楽教育!!」この生き生きとしたありさま。おしつけがましくもなく。しかし、礼儀しらずではなく、真剣に「本物」を聞かせる。子供の集中力の持つ範囲で。長すぎない。そして彼らの興味が、「オペラっておもしろい!」となったところあたりで、今度は、「本物の会場、「廊下」のむこうのオペラハススへと、移ります。2階の一部,厚いボルドー色のヴェルヴェットのカーテンの向こう側に、「そおーっと」はいって静かに聴く。観る。そして、「そおっと」でていく。30人以上ものこどもたちのではいりに、誰一人として、気がつかない様子です。あとは、外に出て、「ワーイイ」と青い空の下をかけてゆく、普通の子供たち。

なんという自然さだろう。
なんという「あたりまえ」さだろう。

私は本当にこの国の人たちが好きになりました!マルタの演奏も、丁度その時来ていたネルソン・フレールの演奏も本当にすばらしかった。なんだか、2人とも、きいたことのないような、ピアノデユオの響き、音の宝石箱のようなきらめき!の連続で、ラフマニノフの「音の絵」を演奏。私は「これをきくためにはるばるここまで、やってきたんだ!」と実感したものです。
またネルソンフレールの弾いた、グリーグのコンチェルトもすばらしかった・・・「そおっと」入ったリハーサル。会場には、人もほとんどいなく、ネルソンは、思いっきり自由に音を楽しんでいた。自然で無理がないのに、圧倒的感動を与える・・・リハーサルならでの醍醐味、かもしれません。あとで、彼とも話したのですが、、どうしても、本番は「あがる」し、硬くなる。リハーサルは、もっと本質を体現できる事がある。私も同感です。「音楽生活」はとにかく「連続」なのですから。

暖かい聴衆たち。終演後も劇場の外で、おもいっきりおしゃべりを楽しむマルタたち。・・・そしてその仲間。いろいろな音楽家、個性の集まり。夜も更けていきます。春の暖かい風のなか、ゆうるりと・・・

ヴェネズエラのユースオーケストラ

  アルゼンチンで一緒だった、ヴェネズエラのピアニスト。ガブリエラ、モンテロ。今シーズン、ニューヨーク、フィル・マゼールで、ニューヨークデビューを果たした、2人の子のお母さん。ルガーノの「プロジェット、マルタマルゲリッヒ」の常連でもあります。私もドヴォルザークのピアノカルテットやら、いろいろ弾きました。彼女の友人でもう長いことカラカスに住んでいるドイツ人の実業家の話では、「いまや、ヴェネズエラのユースオーケストラは世界最高!」とほめちぎります。
なんでも、ベルリンフィルハーモニーホールで、彼らが遠征音楽会をやったところ、スタンデイングオヴェーションで、拍手がなりやまず、居合わせた、サイモン・ラットル氏(現在のベルリンフィルの指揮者)が、「彼らは、カラヤンにも、アバドにも、僕にもできなかったことを今ここで、やり遂げた!」とスピーチしたそうです。
 しかし、それも、一朝一夕にできるわけではありません。30年も前から、文化省あげてのプロジェクト。音楽社会をつくろう!というスローガンのもとに、毎月ベルリンフィルから、トレーナーとして首席奏者たちを呼ぶ、教えてもらう。いまや全国にひろがった、「アカデミー」のレヴェルたるや、類をみないほど、国民の音楽性が高い。ちょうど、今回帰国する際のルフトハンザドイツ航空で、彼らのベートーベンの5番のシンフォニーを聞くことができました。統一感、技術的水準の高さはもちろんのこと、なによりも、「いきおい」がある。音楽があふれ出てくる。「これは、ホンモノだ!!」と思いました。その時の解説者が「19世紀は、ヨーロッパの演奏家。20世紀は、ロシア、東欧の演奏家たちが活躍したが、21世紀は、もしかしたら、南米からの風がふきあれるかもしれない」とコメントしていました。

アルゼンチン、ブエノスアイレスのテアトロコロン。そこでの「廊下授業」。昼夜を問わず一杯になる、暖かい聴衆の存在。ファックス、メール、電話といった事の前に「ドン、ドン、ドン」とホテルの部屋の扉がたたかれて目をあわせる通信方法!やはり、忘れてはいけないものです。
レストランに入っても、ウェイターのさりげない「気づかい」が、速い。排気ガスだらけの路上ではありますが、その上で大道芸人たちが、信号待ちの時間にパっと路上に飛び出し、芸をみせる。10レーン以上ある大通りを渡るのに、良く私はその「芸」鑑賞のため、中ノ島で待機。へたすると、10分以上もかかって道路横断しましたっけ!貧しいかもしれないけれど「腹」があって、人がすれていない・・・えてして外面だけの「冷たい」ヨーロッパ、ブリュッセルに戻り「寒々とした」気持ちになったのは、ただ11月という気候のせいだけではなかった、と思います。

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