トリックスター

ユングの哲学の中にトリックスターというものが存在する。なかなか物事がうまくいかなかったり、にっちもさっちもいかなくなった状況の中、ひょんと全く別の要素がからんできて…それが人物であったり動物であったりするのだが、それがきっかけとなって状況が変わっていく。あるいは後から考えたらあの人が重要なカギを握っていた、その事がターニングポイントになった、という事は皆経験していると思う。

モナコから帰ってきて、バタバタと例のごとく数日が過ぎ、今週は日本からテレビ隊がやってきた!5日間の撮影だ。外国にいて、何か日本語の味方が来てくれたような嬉しさもある。はずかしさもある。皆さん撮影にも非常に気を使ってくださっているし、私のかなりダイレクトな言い方もよく受け止めて下さる。
しかしいつもマイクをつけて「撮られる」というのはある種の緊張を強いられる。
明日は自宅までやってくる。「未来へのおくりもの」のコメントインタビューがある。何をまとめて話せばいいのだろう・・少し緊張している。明後日はここで生徒たちのミニコンサートとパーテイーをやる。みんないろいろ持ってきてくれるらしい。「演奏するか何か食べるもの持ってらっしゃい」の先生命令は予想に反して「弾きたい」子たちが多いのにはびっくりした。

桜並木の紅葉が美しい。
久々に(!?)ヴァイオリンを練習してふと外を見るとなんときれいなシジュウカラに色がついたような小鳥たちが2羽、3羽、4羽とやって来た。テラスの水はけ調査のために空けてある穴を覗きに来たようだ。
しばし歓談して帰って行った。自由な大空はこれから寒くなり小鳥たちにとっては生死にかかわる季節だろう。
数年前、鳩が置きっぱなしにしていたテラスのクリスマスツリーの影に巣を作り、卵を産み、そしてなんと雛がかえった事がある。一部始終観察し、ヴィデオも撮っていた子供たち。そのころは親鳥も私たちには随分慣れ、近くにいても平気だったのだ。みんなで成長を毎日楽しみにしていた。
ある日アメリカから帰ってくるパパにそれを見せようと張り切っていたその朝「いないよ・・」というパパの声に巣の中を見てみると!なんと2羽いた雛はいない・・・どうも食べられたらしい・・・ひなの成長に連れ餌を取りに行く頻度が多くなった親鳥のすきを突いてカラスに食べられてしまった・・・・なぜなら無残にも上の階のテラスにおいてあった観葉植物用の鉢の中に彼らの頭だけ残っていたから。子供たちにとっては初めて目の当たりにする自然淘汰の一瞬だった。「かわいそう」を通り越して声も出なかった。おろおろする親鳥の姿が痛ましい。が彼らも数日するといなくなった。一年後またやって来たがもうクリスマスツリーも片付けられ巣も作らなかった。
家にも実は7羽の鳥がいる。外のテラスに飼っている。私は鳥にそんなに興味があったわけではなく、また特にかごの中の鳥は大嫌いだった。ある日その「鳥」が大好きな主人が黙ってこっそり買ってきて…朝起きたらぴいちくぱあちく言う声で目を覚まし??外を見れば鳥かごが在った、というわけだ。

それ以来3度の冬を乗り越え…中には死んじゃったのとか、窓閉め忘れて飛んで行っちゃったのとかいるけど!

今は「なごみ」になっている。今年の冬も無事越えてほしいものだ・・・

さて・・・撮影隊の面々もさあ〜と皆帰って行った。生徒や子供たちとのパーテイーもホームコンサートもとても楽しく済み、息子のサッカーも娘とパパとの森の中でのツーリングも撮ってもらった。私の運転する車の助手席にカメラが座って撮られるなんて「イチロー」みたいでかっこいい!!一度やってみたかったことだ。コンクール当時1980年にお世話になっていたホストファミリーとのインタビュー。なんと彼らは当時の写真。私からの手紙,新聞の切り抜き等全て取っておいてくれた。タイムスリップしたような時間・・・あっという間に30年経ったけれどその間の歴史を日本の皆さんに見てもらえる幸せ!

おまけに彼らが自宅にやって来たその時10階の森側のテラスの空に全円の虹!!願っても起こりえない自然の贈り物に皆、声もなかった。コンサート終盤には美しい夕焼け・・・ブリュッセルの一番良いところをお見せできたようでなんともうれしい。

そして今また雁の長い列が大空を飛んでいくのを見ている。

2週間たった今「一瞬の夢」だった彼らの来訪を思う。まるで鳥のようにやって来て鳥のように去って行った彼ら。「トリックスター」のような存在は、私はもとより、生徒たち1人ひとり、インタビューされた子供たちまでいろいろ考えたひと時だった。感謝。

放映は12月11日夜10時から。BS−TBS[未来へのおくりもの
ご笑覧いただけたらありがたい。

2010年11月ブリュッセル
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