動転

本当は逆!転んでから・・動いた・・・
というのが実際の顛末。

昨年すべての仕事が終わった12月18日。見事に雪の上で転んだのだ!

きょうは子供達の通信簿を受け取りに行くという日。外は雪上がりの晴天!仕事もすべて収めてなんだかうきうき気分だ。
きれいな青空に「さてあのとっておきのブーツを履いていこう」と支度する。これは夏のクルシュベルの講習会の時にほとんど4分の1の値段で仕入れたとっても素敵なブーツ!
シックだし毛皮もついてとっても暖かだし・・それに合わせて「じゃあスカートはこう」とガラにもなく!
上から下までなぜあんな格好で外に出たのかも不思議ならば、外に出て「滑るね」といいながらも「バスで行こう」という娘の問いに「こんなきれいな天気の時だもの、歩いて行こうよ」と30分の道のりを歩くことにしたのも普通ではない。ほとんど三歩に一歩滑りながら・・「ママ危ないよ。つかまって」と言われるのに「平気だい!」とは、まったくどっちが親だかわかったものではない!

20分ほど歩いて学校が近づくとだんだん父兄の数も増えてくる・・・生徒、友達といっても中学、高校となるとほとんど接触はない。「あの子はね、この子はね〜」という娘の説明を聞きながらひょっと横むく。

「すって〜ん」

一瞬何が起こったかわからなかった。
よくビルから「落ちる」とき人生全部見える・・と言う話を聞くが、なんかそんな感じ?何分の一秒?かの間になにやら早回しの映画を見たような?そして青空が見えた。

私転んだんだ・・・それも後頭部から・・・

さあ大変・・・起き上がろうとするが、なかなかどうやっていいかわからない。「痛い痛い・・」と顔をしかめていたそうな・・・近くのお母さんが「大丈夫ですか?送りましょうか?」と言ってくれるけど「大丈夫です。」とにかく立たなきゃ、ここから去らなきゃ!!
ほんの数分のことだったかもしれないが、うんうんうなって起き上がり、なんとか立ち、歩き始める。事の重大さに娘は電話しまくって誰かに迎えに来てもらう算段をしている。
大通りまで戻ろう。「パパ迎えに来れる?」「パパ車が滑って来れないって」「なんでもいいから来て!」

昨日降った雪が凍った道路はどこもかしこもパニック状態だ。道子は一生懸命私を抱いて愉気してくれた。あの時のすっと風が通るようなひたいの愉気は忘れられない。後頭部左から右側のひたいにかけて衝撃が走ったのだと感じた。やっと人心地ついて、息が入ったものだ。

しばらくしてやっと到着しただんなも、顔面蒼白な私の顔を見て「こりゃただ事ではない」と思ったらしい。雪道を「そろそろ」車を運転して、さかんにジョークをとばすのだが、その浅はかな事!娘に「パパちょっとだまってて!」と一括される。その車中娘は日本に電話・・・「なんだか日本語が聞こえるなあ」と思っていたら、早速妹に電話して金子先生に指示をあおいでいる。

それからの彼らの活躍はなんとも「ここまで野口整体で育てておいて良かったなあ〜」の一言につきる。とにかく帰って、着替えて、カーテン「だあ〜」と閉められ、「ママ4日間光なしね」

そして愉気をしてくれる。まず胸椎8番。それが収まると、頭のてっぺんと尾骶骨。

落ち着いてみると事の重大さに直面する・・とはいっても普通に呼吸してるし何処も痛くもない。ふと「脈と呼吸」のことを思い出した。子供たちが頭から落ちたのは何回か経験している。一番最近はクルシュベルの山で目の前で息子がなんと写真を撮っていた私の目の前で、頭より高いトランポリンのような物から落ちたときだ。下はコンクリートだった・・・肩から落ちた・・事はわかったけれど・・
すぐ吐く・・・あのときも抱え込むようにして山を登りホテルへ。すぐ脈を調べた。私一人しかいない。必死だった・・・

と人ごとなら経験はあるが、自分のこと?は確か小学校3年の時、わざと鉄棒から落ちたらどうなるかの「実験」をして尾骶骨をイヤというほど打ち、声が出なくなった時以来だ。その時は夕闇の中一人でそおっとやったので、家族にばれないようにするのに苦労した。

すぐに自分で脈をチェックする。早くはない・・・60そこそこ?遅くもないか・・・脈が落ち、おなかが船底のようにへこむと危ないと言う・・・頭を打ったけれどそういう情報は引き出しを開けた時のように正確によみがえった。転んですぐに冷や汗だかなんだかこの寒いのに首筋と頭にやたら汗をかいた。「これは冷やしちゃいけない」と拭いた記憶も思い出した。少し気持ち悪くなったのを大勢の人が見てるからとがまんしたことも思い出した。
胸椎の8番をやってもらうと確かに興奮が収まってくる感じがする。そのあと頭のてっぺんぴりぴりと尾骶骨つながっているんだ・・・

友達と通信簿を取りに行っていた息子も呼び返されて帰ってきた。必死に小さな手を当ててくれる。彼の背中真ん中への愉気はいつもぴったしくる。

少し様子を見て、子供達が入れ替わり通信簿を取りに行った。もう学校中有名になっていた「道と左門のママが転んだんだって」
「病院に行った?危ないから・・脳波とらないと」様々なご心配をよそにひたすら傷ついた動物のように暗がりにいた。

「また風邪の時と同じだ!」

おなかに手をあてる。まあるく、まあるく・・あとは時をすごしてゆくしかない。音楽もいや。本もだめ・・

ひたすら時間がすぎる。でも「長い」とは感じない。眠る。

2日目はパパの演奏会。バッハのロ短調ミサをやる。子供たちと行きたかったけれど・・友達に頼んで彼らだけ連れていってもらった。昼も夜も暗いところにいて時も倒錯している。妙に頭が冴えて、コンピューターはダメだけれど、本はいいだろうと読みだしたら止まらない。山崎豊子の「運命の人」全4巻、2日で読んでしまった。
これも異常だ!眼は使わないほうがよいのに・・・

毎日金子先生から指示が来る。子供たちがやってくれる。自分でも調べる。

CDも聞いた。でも「どれを聞こうか」と迷っているうちに疲れて深刻になる・・

深刻になると「このまま死ぬこともあるのかな」と思った。「それでもいいや。でもそれまでどうなるのだろう・・・」

現実的に「指が動かなくなったらどうしよう・・・」

そんな折、もう10年以上前に「これおもしろいのよ」といただいた桂三枝の落語のCDがあったのを思い出した。聞いた事もない。ダミ声も嫌だろう・・・と思い今まで聞かなかったのだ。
かけてみる。
「おもしろい!!」
ゴルフ(コルフ)明治維新。日本の夜明け、モーツアルトの話。暗闇で独り笑った!!みんなは私がついに「おかしくなったか・・」と思ったらしい。でも落ち込んだ気分解消にはうってつけだった。

4日目、一週間・・・大丈夫そう?

そうこうするうちに世の中は「クリスマス」
一応参加はしたけどずいぶんゆっくりとした時間の流れがあり、たまには自分でやらずに人にやってもらうのも悪くはないと思った。でもすぐ疲れた。
10日たった。もう大丈夫と思っていたら今度は朝、起き上がろうとして突然めまいが起こったのだ。
私はこの年まで乗り物に酔って気分が悪くなることはあっても「めまい」は経験したことがなかった。
困ったものだ。おそるおそる立つ。ゆっくりと・・・

あと3日で新年だ。

「オステオパテイー」という野口整体のようなものがある。その医者を知っているという知人に偶然ガレージで出会った、というよりその人に会って「ああそういえば・・」と思い出した。すぐ電話して行ってみた。70近いおじいさんが「はい、立ってください。手をあげて、息を吸って・・・」等いろいろなポジションで体を見ている、ちょうど体量配分計に乗っているような感じ?
手をかざしてちょっと背骨を触る。腰を触る・・・

「大丈夫ですよ、ちょっと神経系が過敏になったのです。24時間で消えるでしょう、消えなければまた2日後に」

ほ〜と安心!何しろ一人で戦っていたから。(と思っていた)
その足で道子と買い物行っちゃった!!

そんなこんなで迎えた新年。何を血迷ったか初めて生徒たちも呼んでパーテイーまでやっちゃった!やめときゃいいのに。まったく支離滅裂?動転??だか何だか知らないけど12時に一斉に上がる打ち上げ花火を見てシャンペンを開けた。

5日には日本にも飛んだ。そのころにはめまいも治っていたなあ〜〜なぜなら気の遠くなりそうな長いセキュリテイーチェックに並んでいても平気で、しみじみ「ここでめまいがあったら大変だった」と思ったのを覚えているのだ。

日本に来てすぐ金子先生に操法していただいた。あ!その前にカルテットの練習があった。

・・・・・・実はかなりヤバかったらしい(苦笑)・・・・
「でもそれを差し引いてもあまりある変化」と金子先生。
普段緩まないところに衝撃が走り緩んできたという・・・
以前もこういう事があった。5年ほど前スキーで出来もしない直滑降をやり転んだ。右手親指がストックの輪っかに取られ筋を伸ばしてしまったのだ・・・音楽会を控えなんとか操法と体の使い方で乗り切った後数ヵ月後出産のような塊が出た!痛くも痒くもなかった。7番が緩んだのだ。

だから今回も「マイナスは大きいけれどそれにもまして・・」と言われた時はなんだかご褒美をもらったようでうれしい。

かといってまだまだ普通に比べると壊れやすいような弱々しさはある・・・

1月16日文化会館リサイタル。初の「レクチュアコンサート」で話もしなくてはいけない。
・・・そういえばこの原稿も頭ぶつけてた寝てた時考えた・・・

当日、音楽会前に何度もマネージャーから電話が入る。珍しいことだ。数時間後には会うというのに。それも大事な本番の前に何をそんなに? 「5日後のN響の定期でベートーベンのコンチェルト弾けますか?」

「!???」

いっぺんで眼が覚めた!!のではないのだが、きゅっと体が引き締まった。5年ぐらい弾いてないベートーベンをN響定期??5日後??? 「無理になさることないと思います、」とマネージャー氏。「もっと良い条件できちんと準備してなさったほうが・・・」いろいろネガテイブな要素がある事は100も承知。それに(代役)とはいうもののあとで残るのは「演奏のみ」なのだ。それで評価される・・・でも・・でも・・・

「やりたい!」

動転・・・転んで動いた!

まさに今年の象徴のようなできごと。なぜならこれも頭ぶつけて寝床で考えた「来年の一文字」が「動」
重い、力って書くんだ・・.と思ったものだ。なんだか重たい腰をよっこらしょと上げる感じで、なぜ頭ぶつけて寝てるような時にそれを空想したのもさることながら「選んだ」のかは分からなかったが、一番ピンと来た。

まさかこういう展開になるとは夢にも思っていなかった!

人生わかりませんねえ〜〜

この先今度は地球が「動転」してアイスランド火山が爆発・・・いや、噴火は実は2月からの事だったのだが、4月は風が吹かず、雨が降らず火山灰が成層圏に達し飛行機飛ばなくなった。
我々は「春休み日本滞在」が1週間延びた・・とまさに感謝の展開になったのだ。

昨年アイスランドの銀行をよってたかったつぶしたヨーロッパへの「お返し」だよ!という私の言葉にあまり笑えなかった知人も多かった・・・

さて来年の今頃はどこで何してるでしょうか。
とこれ昨年もオランダ語の項目で書いたかもしれない。が、忘れた!

「忘れる」のも「新鮮さを感じるひとつの方法」だとしたら?頭の中には「引き出し」がたくさんあって、必要な時必要なものが出てくれば良い。そして「そんなことは体が知っている・・」と、そんな実感をもった今回の経過だった。

2010年5月9日 ブリュッセルにて
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