天からふってきた・・・

アイスランド火山灰の影響を受けて私たちも飛べなくなった。4月17日の事だ。
今年の春は1年半ぶりに子供たちとの「日本の春休み」だった。
4月5日、仕事もすべて終えて成田に行く。初めて自分たちだけで飛んできた彼らを迎えに行くためだ。

それから時差の一週間。来るほうも迎えるほうもつらい。いろいろやりたいこと、食べさせたいものがあるのだが、とにかく「おなか時計が朝の4時」では何もおいしくはないのだ。お刺身も貝のお味噌汁もとんかつも!ゴチソウ・・は食べたいがかなり身体に負担もかかる。
それでもスケジュールを調整して、会いたい人、私が会わせたい人達がたくさんいる。みんなとても温かく迎えてくださった。さらに小学校1年のとき、娘が夏の時期に1カ月ほど通っていた小学校のクラスの子供たちも訪ねてきてくれた。みな高校1年生になった。そんなに接触があったわけでもなかったと思っていたのに、うれしそうに街を闊歩して、また居間で話し込んでる彼らの姿を見るのはうれしいことだ。心配していた日本語も何とか通じているようだ。ガイコク人ではなくつきあっている・・・と親は思っている。

時は春・・とはいっても今年の4月はまさに春嵐、寒い日が続いたかと思うと、急にさわやかの春の日に包まれる。冬物すべてブリュッセルに置いてきた私たちは震え上がった。しかしなんといってもこの新緑と「蚊」のいない外がすがすがしい。見事なほどの自然の「芽生え」を共有できた。

「空港閉鎖」
この前代未聞の事件に最初私は「やった!もう少し遊べる」ぐらいの軽い気持ちだった。
しかしそれが2日、3日と続き、また我々の乗る便の話になり電話が通じず、見通しが立たない・・・となると状況は違ってくる。皆心配してくれた。「困りましたね。どうしますか?」と言われてもなすすべもない。
月曜から学校に行かなくてはならぬ子どもたちは、不可抗力の「休み」の恩恵も感じつつ、しかし内心「みんなは学校行ってるのに・・・」と不安がつのる。焦る・・さかんにインターネットで会話をしている姿をみると親ばかり(内心ほくほく)ではいけないのだと思う。帰れない子も数人いるようだ。

私は「このまま飛ばなかったら・・」といろいろ考えた。
「もしこのままずーっと飛ばなかったら・・」日本に住んで、そうなると子供たちの学校探し、私の職さがし、30年近く行ったり来たりしていたのを「当たり前」としていた飛行機という時代の恩恵に別れをつげなければいけない。ひとたび火山が噴火すれば人はひとところに住む・・・という極めて当たり前な状況に自分も置かなければいけない。ヨーロッパは遠いのだ。

時差も終わり、環境にも慣れ子供たちの日本語が出始めるのと同じように、私の口も頭も滑らかになってくる、大体において22歳までまともにガイコクに出た事のなかった私がいまさら英語、フランス語、そして50の手習いのオランダ語とか言っているけれど、すべて中途半端!手、指の動きは頭に直結だから以前から「日本語のほうがよく指が回る」と感じていたではないか!
どこかで劣等感があって、「ガイコクで暮らしている至らなさ」みたいなものを感じている。キャリア、結婚、家庭・・・となっていく過程で相当覚悟が足りなかったとは常日頃感じている事なのだが、それにしても今回の「アイスランド火山灰」は空から降ってきてそれら個人の悩みを一気に解消してくれるかもしれない!
なにしろ自然相手では何も言うことができないのだから。

自問自答が続く中、ぽっかり空いた空間は何とも楽しい。もうすっかりそのつもりになって遊びに行って心身ともに開放された後、「飛行機飛び始めたよ」の妹の一言です〜っと心が冷えた瞬間もあった。

夫によるとブリュッセルの空は「真っ青で雲ひとつなくそして飛行機が一機も飛んでいない」という。ずいぶん不気味に聞こえる。私たちの住んでいる10階の窓からはいつも飛行機が数機、また多くの飛行機雲が目にはいる。事の重大さはこれも「ブリュッセルで珍しく雨も降らず天気が良い」というアイロニーによって強調されているように思える・・・新聞で見る火山噴火口の絵柄はまさに「がいこつ」のようだ。

シベリア鉄道、船・・・戦時中なら考えるのだろう。
「そこまでして行く事ないよなあ〜〜」とはまさに実家の心地良さのおかげだ。もともとこちらが普段静かに一人で暮らしている母や、妹夫婦の静謐を乱しているのだ。
少々のわずらわしさはあっても、空港で日々を過ごす・・などというとてつもない大変さを思えばまさに天国だ。何度も荷物のスト、霧で飛べない・・いろいろな機会で余儀なくされた不快感極まりない空港滞在を経験してきた私は「それだけは避けよう」と思った。
本当に戦時中、戦後もどんなに大変だったかは想像にあまるところだ。

他にいくらでも時間を使う方法がある、すべては心ひとつだ。
日々木々の緑を楽しみ、コンサートもなく、弟子もいない。そして子供たちがいる!

私にとって「天からふってきた」のは灰ではなかった。
「思いがけない休暇」だったのだ!!

新橋演舞場に歌舞伎も見に行った。帰り道ぶらぶらと夜の銀座を歩く・・・春の甘い風のなか。
翌日はこれも飛行機のせいで会えるはずのなかった友達に会えた。築地、浜離宮、隅田川水上バスで浅草・・・と観光も楽しんだ。いつも成田空港に向かうレインボーブリッジの上を通るたびに(ああ今回もこの東京湾を船で通る事が出来なかった・・と)思っていたものだ。橋の上から見る景色と下から見上げるレインボーブリッジは心の中で一致した。
東京は美しい・・・

隅田川沿いの桜はちょうど終わっていたが、浅草のこいのぼりは5重の塔を背景に悠々を泳いでいた。

そして道子16歳
新緑の中での「着物」体験!!

1週間たってブリュッセルに戻る。
「飛行機飛ぶよ」と聞くと彼らも安堵の表情を浮かべた。

休暇は休暇だった。

飛行機の速さと人間の感覚には違いがあって、いつも日本—ヨーロッパの旅のすぐ後は、時差だけではなく、なんというか「生き物としてそこに受け入れられる」時間がいるように思う。手持無沙汰・・・かといって何かに集中するにはくたびれている。平常になるのは少なくとも4日後、1週間後の事だ。歩く、体を動かす・・・なんとか場所に慣れるように。

久々の日曜マーケットに出かけた。知っている顔に出会うと、「ああ帰ってきたの、よかったわね!休暇が延びて」と皆異口同音。どうやら真面目に「帰れなくて大変ですねえ〜」と言っていたのは日本人の律義さによるところもあったらしい・・・

また生活が始まる。

2010年4月25日 ブリュッセルにて
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