日本の紅葉から・・・

京都と奈良・・・日本の古都を散策する・・・それも紅葉のまっただなか・・そんな旅行が思いがけなく実現した。
今回11月の滞在中だ。

京都のトリップルコンチェルトの合間、「何も見ないのは・・」という共演者アブッドの言葉で「はいはい・・」と閉館近くの金閣寺を訪ねた。まさに時はちょうど落日。そのまぶしいほどの光が金閣寺を本当に金色に染め、一瞬何が起こったかと思ったぐらいだ。近くにいる大勢の人も「うわ〜!」と言った後、声もない。そしてその影は水の中までを黄金色に染めた。10秒ほどの光の祭典。思いがけぬ「出会い」に言葉がなかった。

奈良の春日大社・・・自然との一体感を説明してもらう。日本古来の神様はおおらかで 桜の木の下で「私たちは桜を眺めるだけではなく、飲んで騒いで神様と一体になるんです」と宮司さんがおっしゃる。桜の咲く頃山から川を伝って里にお降りになり、秋になると山にお帰りになる・・・なんとも心温まる話だ。

大社を出ると夕日の中、奈良公園の紅葉が美しい。東大寺、正倉院とゆっくり歩く母について行くことも珍しいことだ。

翌朝、よく晴れた冬の日ざしの中、一番乗りで唐招提寺を訪れた。お参りの前に境内をきれいにするボランテイアの人たちの箒の音、砂利道に掃き集められた紅葉の色もあざやかだ。
唐からお渡りになった鑑真僧正が建てたこの寺、その中でも正面、金堂に納められている「大自在王菩薩」そのまっすぐな素朴な木彫りの彫刻に目がとまる。ここには本当にたくさんのまっすぐな仏の姿がある。

御廟のある裏道にはいっていく。苔の美しいこと!京都の「苔寺」は予約して待って・・・となかなか時間がとれず、私もまだ行ったことがない。奈良のこのお寺では、こんな近くにこんな当たり前に苔のむす光景を目にする事ができる。なんだか得をした気分だ。
両側には小さな池がある。その小さな橋を渡って御前に参る。
池の表面は動いていない。これはまさにブリュッセルの森の中「etang des enfants noyer」子供がおぼれた池・・という名前がついているところと同じだ。
なんともオソロシイ名前をつけたものだ・・と常々思っていたが、逆にこのように「動きのない」池だからこそ、かえって紅、黄のもみじが映える。

なぜブリュッセルの森に癒されていたのか・・・大都市には必ずある「流れる大きな川」のないこの街の一見淀んだ池に足が向くのか・・ここに来てわかった気がした。そういえばあそこも紅葉、若葉と見事に静止した池・・・沼に映えている。鴨たちもたくさん生息する。

ついつい表面の動きだけにとらわれがちだ。
裡にある小さな動き、流れを感じることも悪くない。目に見えるものだけが真実ではないのだ・・
鑑真和上という目の光を失ってまでも日本にやってきた一人の人。彼が心の中で見た寺の美しさ、配置の美しさ、余計な物をすべてそぎ取って残った魂の力強さに感動した。

と・・・今日はベートーベンプロジェクトというヴァイオリンソナタすべてを生徒たちと検討する・・・要するにマスタークラスのオーデイションがある。
ベートーベンという人が耳の困難を乗り越え・・・と言う話は真実で、その「たくましさ」とはいつも言われることだが私はあまり考えたことがなかった。というより、それは彼の性格の一部で「だから彼の音楽はすばらしい」というのはあまりにおセンチな気がしたからだ。

彼の初期にはもう後期の哲学がみられる。後期には「あそび唄」のようなこどもごころがある。全作品、前人生通して「ベートーベン」だという当たり前の事実とそのすばらしさ・・・鑑真和上の心意気にも通じて、この世に何世紀経った後でも生き続ける。

いやあ〜人間とはすごいモノだと思う。

2009年12月11日 ブリュッセルにて
ページトップへ戻る ▲