風邪
ひさしぶりに風邪をひいた。ベトナム以来ほぼ2年ぶり?
突然襲った強烈な喉の痛みに「うん?これはただごとではないな」と思ったのが朝の4時ごろ。運よく仕事も一つリハーサルをキャンセルすれば4日間休める。こういう「自由業の恩恵」にあずからぬ手はない。
数年来体の変化か平熱もさがり、35度台のことが多い。「もう熱を出すエネルギーもなくなっちゃたのかなあ〜」と半分「あきらめ」の境地だった。だから午前中のうちにどんどん上がる体温計を見てうれしいものだ!
と書くと「なんで?」と思われる読者も多いかもしれないが確かに熱を出すと、体の芯が「緩む」「溶ける」ので、普段望んでも無理なような「解毒」にもなるのだ!これホント!ちょうど詰まって水道管に熱湯をお鍋いっぱい通すと、いろいろなこびりついた汚れも落ちると、この間詰まってしまった水道管を高いお金を払ってきてもらった(24時間排水管のつまり解消します!)の人が言っていたが、体も同じことだ。(なんて乱暴な言い方!)と思われる方も多いだろうが、大体そんなところもあると思う。
いつもならば時間がない、早く治したい・・・と思うので「足湯」といってくるぶしまで熱いお湯につけて汗を出す・・とか、消化器系の風邪の場合は膝まで・・・肩こり、筋肉の疲れ、首・・などのコリを取るには半身浴とおへそまで熱くして汗を出す・・とか、いろいろやるのだが、今回はそれもしんどい、かったるい、めんどくさい。時間があるのをいいことに「何もしない」事にした。
何もしないのは、はたして「何も起こらない」ことなのか?いや違う。
普段「焦る」事の一つはもちろん時間がないことにもよるのだが、ただ寝ている・・ことがなんだか悪いことのように思えたり、また実際ちっとも良くも悪くもならない・・・という停滞状態を想像するからだと思う。
しかし、これも全く偶然今「仕込み中」のベートーベンのヴァイオリンソナタの書き込みに助けられた!もともと妹の楽譜を「ちょっと拝借」・・・したもので、当時彼女がついていたシャンドール・ヴェーグ先生の言葉が書かれている。
その楽譜にたくさん書いてあったことが「schwung」(swing)
弾む・・ゆれる・ということだ。フレーズのメロデイーをひくときもちょっとした「言い回し」をひくときもテンポの設定にかかわらず、弾む。遅いテンポはそれなりの弾みがあり、波になる。速いテンポはそれが命ともなる。なぜなら音楽というものは止まっている事がないから!!ヴェーグ先生は私もモーツアルトのコンチェルトを一緒に録音させていただいたり、よくザルツブルグに住む妹を訪ねそのレッスンを見学したこともある。彼は英語だと1st movement, というけれどドイツ語だと「satz」となってなんか停止してるみたいでイヤな言葉だね」とおっしゃっていたのを思い出す。
さて、その「schuwung」とは要するに波・・・ということでもある。時間が決して止まらないよう、波もまたえんえんと繰り返す。
今回「風邪」をひいてベッドでうんうん唸っていた時も空想したことはそんな事だったのだ。
案の定、熱は高くなったり、娘に「ママ死んでるみたいだね」と言われたり・・・(でもその朝彼女が持ってきてくれたお茶のなんとおいしかったこと!!)
「せっかくの・・・」休養日にCDでも聞きたい・・・と思うが、トンデモナイ!ヴァイオリンの音などキツクテキツクテとても聞けるものではなかった。
何年ぶりかのヴァイオリンフリーデー・・・
次の日はもう平熱以下・・・ここが肝心!ま、34度しかないと、さすがにエネルギーもあまりない。食べてもいないし!これはちょうど太り気味で膝も痛くなってきた身分には助かる兆候ではある。テレビ、パソコンがダメとなっても本は読める!朝の3時でも10時でも午後でも好きな時に起きて、本読んでまたとろとろする・・・「なんという贅沢!!」
家族はつかず離れず・・・(どころか、一日目はどうもみんな新型ヴィールスだと思って恐れをなしたのか、又は週末の土曜日にかこつけたのか、「ちょっと・・」と一人いなくなり「友達のうちに泊まってくる・・・」と二人いなくなり、パパも「仕事場で寝る・・・」
病人おいてひどいもんだと思ったが、結果としてはで気楽でよかった。
本を読みすぎて眼が疲れるのも自業自得、ま、それもいいじゃないですか。4日目はそのせいもあってかそれとも「休みが終わっちゃう」と思ったせいか、なんだかすっきりとしなかったけど、それでも昼寝だかして起きたらすっきり。
ヴァイオリン弾いてみた!
でびっくり、首の硬さもなくなって、指のまわり具合もなんといってもめちゃくちゃよい。何より楽器と「しっくりくる一体感」はまるで20年若返ったみたいだ。
これを書いている今も以前より日本語の出がよくなったような気がする。いつも「酔っぱらって、ほら、あれなんだっけ?ほらあのさあ〜」と言われれば周りも「それじゃわかりません」となるのだが、この爽快感はただ「お酒をやめた」だけではないらしい。
つくづく「生きている」というのは絶え間ない動きの連続なのだ・・と思った。その裡の動き・・・に「耳を傾ける」のも悪くないものだ、と思った。