流れに乗って行くと・・・

足掛け2年がかりでやってきたオランダ語。未だに半分もわからない。先日も生徒の結婚式に呼ばれ、アントワープ近くのブハウトというところのプロテスタント教会の儀式に参加した。もともとベルギーという国は、オランダのプロテスタント派とフランスのカトリック派が混ざって出来たようなところがある。ベルギー北部、フランダース地方に今プロテスタントが多いのもそんな理由からか。音楽家同志の結婚式は音楽と説法と音楽と話と・・・と司会も交えながらとてもスムーズに進む。1時間半の間に私たち参加者も何度となくちょっとフォークロア風の「聖歌」を歌うことになった。声を出すのは良いものだ。そして彼ら自身の言葉で語る「私があなたに思うこと」しっかり者の新婦は誓いの言葉のすぐあともヴァイオリンをなんなくこなして弾いたが、新郎は彼の「語り」の部分で感極まって涙が止まらない。それを優しく見つめる彼女。成長したものだ・・・と思った。

あっという間に過ぎた1時間半。2年前にやはりこの教会系で結婚した昔の弟子は妊娠9か月、大きなはちきれそうなおなかを抱えて、でもとても元気で幸せそうだった。

とまあ〜それは素晴らしいのだが、何しろわからないオランダ語・・・半分?いや、単語は個々に「なんだか聞いたことがあるなあ〜」聞きとれても意味がつかめない。全くいやになる。

この4月からベルギーの「外国人のための語学試験」が大幅に変わった。やっと「今年は試験を受けよう!」と申込みをした矢先のことだ。6月には、最終通知で専門学校、大学の教授のための語学試験は今後やらなくて良くなりました、と連絡があった。

なんとまあ〜このために50もすぎてだいぶ無理して、でもそれなりに楽しくはやってきた・・・ものが、目的を失った。せっかく夏休みがんばろう!と少しは(?)張り切っていたのだが・・・

といってもこれが初めてではない。いつもこの国はこの調子だ。

ベルギーのシステムというのは本当に何から何まで複雑怪奇。フランス語とオランダ語という2カ国語の中で責任転嫁、「音楽院」の大ホールの壁もペンキがはがれたまま・・・もう30年以上になる。授業内容的には「ヨーロッパ統一」の中で「音楽院」の立場も変わっていく段階だ。毎年のように少しだが試験の内容に変化があったり、今年からはマスター卒業時に「インタビュー」なるものも加わったりと「一般大学」の位置づけに余念がない。「大学」というものを運営してゆくのは私には到底分らぬ大変さがあるようで「ヴァイオリンを弾くこと」を教えたい私としてはつい距離をとってしまう・・・ その上フラマン系の人はみな英語もフランス語もよくできるので、ついつい甘えてしまう・・・いいのか悪いのか、流れに乗ればいつの間にやらまだ「かたこと」もおぼつかない状態の私がいるというわけだ。

「流れに乗る・・・」とは「流される」ことでもある。かといっても意地になって逆流を漕げば疲れる。体力も気力も温存してヴァイオリンに集中…と思いたいのだが、何もなければ何もしない・・・のも人の性だ。いや私の場合!
といったわけで、何だかはっきりしない状態と付き合うことにも慣れてしまった!!いいんだか悪いんだか・・

といっている矢先、弟子の赤ちゃんは「生まれました!」と報告が入り、音楽院の学長からは「オランダ語の試験は義務ではないですが当方としてはやっていただきたいです・・・デリバレーションでの説明がわかるようにはなってください」「・・・・・・」 「デリバレーション」というのは生徒ひとりひとりに関してすべてのデータをスクリーンに出し、問題がある場合それを先生ほとんど全員で検討。生徒の成績、進級、卒業を決定するところだ。結婚式で座っている・・・どころではない!生徒の説明、先生同士の応酬・・・とまたまたハードルが高くなった。

やれやれ来年の今頃は少しはわかるようになっているのだろうか・・・

2009年8月末 ブリュッセルにて
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