大聖堂

昔シャルトルの青・・のステンドグラスを見たくってパリからバスに乗った。麦の穂が揺れる中シャルトルの大聖堂の頭が見えてくる、だんだん全容が見えてくる・・・
光によって変わる色たち・・・特別の青・・・というよりも私にとっては「これしかない青」だった。だって他知らなかったから!
近くのビストロで合間を過ごしながら一日を過ごした。

ヨーロッパに住んで長い。ケルンのドウモ。ミラノの大聖堂。パリのノートルダム・・それぞれに思い出がある。クリスマスの暗さはパリ。ザルツブルグもドイツもとても金ぴかすぎた。ここブリュッセルにもカテドラルがある。が住んでるとなかなか足が向かない・・

最近初めて、アントワープの修復された大聖堂を訪れる機会があった。1615年ごろからイエズス会の要望により建てられたこのバロック式教区教会はルーベンスの絵がたくさんかかり、また彼は絵画のみならず、いくつかの彫刻品もデザインした。しかし時の経過に伴い多大な災難に見舞われる。現在の修復もこの元の形に戻るまでに少なくとも30年ばかりかかっていたかもしれない。なぜなら私がここベルギーに来てから今回初めて中に入れたのだから!

シャルトルとは違って街の真ん中。雑多な「門前町」ならぬグランプラス界隈に存在するこの聖堂。外の景観もさることながら、内陣はとても奇麗に直され、絵画もほどよく展示されている。

久しぶりにする絵との対話・・・よく昔アムステルダムのゴッホ美術館でこのように絵と対話した。
最初の印象。見てゆくうちに変わってゆく見どころ。頭の中はまるで勝手に他の事を空想したり絵に戻ってきたり・・・そのうち何かが納得して次の絵に移る。
ゴッホの手紙、彼の足取り、いかに普通の人の中に「狂気」があるのか!という彼の叫び・・・20代前半夢中になった。

ルーベンスの絵はいやがうえにも「キリスト教」との対話を余儀なくされる。ここまでの「信じる心」「捧げる心」を作りだしたのはいったい誰なのか??以前は比較的明るい色彩、恵まれた彼の経歴・・などがかえってそのような「悲劇的状況」を表すのにはふさわしくない・・・ような気がして真っすぐ心の中には入ってこなかった部分がある。若い頃、ヨーロッパに来てまだ日も浅いころは、どちらかといえば懐疑的、あるいは「構えて」キリスト教文化に接していたのかもしれない。

今回は月日が経ち改めて対する彼の絵の中にある影、涙・・・に感動した。なんというテクニックだろう・・・なんという題材だろう・・
得てして「名画」と呼ばれるものは、いざ対面してみると意外に小さく、また壊れそうなはかない印象を持つものである。写真をとおして「確実化」される以前の「真実」の美・・・とらえどころがないような流れがあり、そして、それは心にすーっと入ってくる。ルーベンスの描いた「聖母被昇天」もそんな気持ちで見た。

そして思う「大聖堂」の存在。誰がなぜ?

ちょうどケン・フォレットの「大聖堂」を読んでいるところで、アーチの作り方、尖塔の様子。バラ窓の初めての出現など・・・まるで小説の世界と現実今見ている聖堂が一致して大変面白い。今すぐにでも村人たちが当時の衣装をつけて現れそうな錯覚に陥る。キリスト教を作ったのは、キリストの磔後、それを「宗教」の形に整えあげた聖人たちに他ならない・・・という当たり前のことを彼は端的に話してくれた。誰にでも読める読みやすさで、瞬く間に12世紀イングランドの湿った空気、寒い冬、石の床、民衆の「匂い」に引き込まれる。

「匂い」・・・教会で弾く音楽会の際、私たちは良く「サクリステイー」で待っていることが多い。そこには独特の匂い・・・がある。この大聖堂でも感じた。いくらインターネットが発達したとしても伝わらないものがある。匂い、味、感触・・・これらを文字をとおして私たちに伝える手腕こそが小説の醍醐味というものだ。余談になるがケン・フォレットの書いた「針の眼」は、当時私も圧倒的な面白さを持って一気に読んだものだ。

ケルンから友達が訪ねてきてくれて思いがけず彼女にアントワープを案内した。カトリック信者でもある彼女のおかげもあって、大聖堂の静謐さにひたることができたのかもしれない。

または私の中にそういう時間がまた戻ってきた・・・?と期待しつつ。

2009年8月 ブリュッセルにて
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