ウィーン国立歌劇場

この間本当に久しぶりにウィーンのオペラを見に行った。いやあ恥ずかしい話、ウィーンで弾いたことはあっても、オペラ座に足を踏み入れたことはなかったかもしれない・・・パリの本番のあと趣味でウィーンまで足をのばし・・なんてやってみたけど、実際この年ではかなりきつかった。でも行ってよかった!

本番まえロビーで人を待つ。そして「びっくり!」
あの「薄暗さ」は、これから始まるチャイコフスキー作曲「エフギニーオネーギン」のロシア時代かと思うほど!まだうすら寒い中、女の人は毛皮をまとい髪をセットして登場する!
いやはや、まだこういう世界があったのだ・・と日頃の「コンサート行かず」あるいは「楽屋から入る専門」の身としては新しい発見だ。

座席につくと、きちんと歌詞の英語訳も見られるようになっている。「なんだ・・わざわざ老眼鏡とCDから抜き取ったテキスト持ってこなくてもよかったじゃない」またまた「オペラおのぼりさん」たることはなはだしい。

小澤さんがでてきて例の甘酸っぱいオネーギンのメロデイーが奏でられる・・「ああ・・・なんとウィーンフィルの弦のうまいこと・・・」ため息が出る。
回想場面で、タチアナとオルガの母、そして乳母が「昔は…」と歌いつつ「慣れ・・とは天上から送られてきた贈り物」と歌う。
なるほど。昔はコルセットをきつくしめ、背筋を伸ばし、殿方の気をひこうとした日々も遠く、今やだぶだぶの服のなかの体は伸び切り・・・「でもねえ、慣れてしまえばこういうもの。それはそれで今の生活」みたいな…(勝手に訳してます)

まったく恥も外聞もなくなったおばさん・・おばあさんに自分がなってゆく・・のは想像していたより、しごく当たり前の事。まったく我が身と似ていること、と思った。

1幕、2幕とだんだん盛り上がるステージ。本当にこのまま3幕に突入してもいいぐらい私はのめりこんで、休憩時間も誰とも話さなかった。

3幕・・・今は伯爵夫人となったタチアナの前にオネーギンが現れる。2幕最後、親友レンスキーを決闘事件で殺してからというもの、この色男「オネーギン」の人生も暗い闇の中・・・長い旅から帰ってみると、昔愛を告白され「袖」にした娘、タチアナは当時の恥ずかしがり屋の引っ込み思案の娘から押し出しの良さもいい、気品に満ちた伯爵夫人・・に変わっていた。昔とは逆に今度は彼が手紙を書き「愛」を告白する。

「あの昔の氷のような冷たいまなざしは、今思い出しても背筋が凍るほど」と彼女を苦しめたオネーギン。しかし今は時がたち、こうやってまた目の前に現れてみれば、やはり昔の感情、恋い焦がれた想いは頭をもたげる。ついに「愛してる」と彼女はささやいてしまう・・(こういうところがピアニシモ・・まさに一番大事なことは小さく言うのだ)
しかし葛藤の末、彼女は夫を裏切ることなく、意志の力を振り絞って「さようなら」と姿を消す。(私だったら行っちゃうなあ・・・と言って小澤さんに笑われました・・・あとで)

慟哭のオネーギン。

外に出ると、また薄暗い夜の世界にポッポッと明かりがつくウィーンの街。余韻を味わいながらレストランに入る。

翌日は、またオペラ座!今度はファルスタッフに通った。昨日とはうってかわった「色彩」のあるステージだ。これまた「色男」(と思っている)でぶのファルスタッフがまんまと引っ掛けようとした女たちに逆にまんまと「ひっかかり」すったもんだ・・・のあげくに「人生、この世はみなジョーク」と最後の台詞になる、ヴェルデイー最後のオペラ。いままでのヴェルデイーの劇的オペラの集大成がこうなるのか・・とその技巧、哲学・・に圧倒される。それも「さらりとこの世はすべてジョーク」というのが、なんとも「にくい」ではないか!(もともとはシェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」が原題となっている。)

歌手もうまい。ステージもきれい。そしてなによりウィーンフィルのうまさ!一緒に行った友達が「ウィーンフィルはすごくうまいかひどいかのどちらかですよ」と言っていたが私は「いい時」に当たったのかも!あの「底力」には脱帽です。演目が毎日変わってもメンバーが変わっても同じ「音楽する音」が聞こえてくる。ステージに上がれば世界一の音楽家たちがせまいピットの中でそれこそあまり「響かない」世界で精いっぱい「いい音」を繰り広げるのを見るのは、いや、聞くのはまったく頭が下がる世界でした。

いはやは、良いもの見つけちゃった!これからも「はまりそう」な趣味のひとつ発見。

2009年3月 ブリュッセルにて
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