ベートーベンの最後の曲

ベートーベンの後期のカルテットを「死ぬ前にやらなきゃ損!」とか勝手なことを言って始めたのだが・・・実際音に出してみて・・・いやはやその「感情の行きつくところ」に脱帽だ。作品130.今度JTホールで演奏する。

なんというか「言葉」の持つ限界。彼がすべての器楽、声楽を試して余りあった最後の境地・・・「弦楽四重奏の響き」に求めたものは、ただひたすらに「アダージオ・カンタービレ」だったと今日教えてもらった。「これ、彼が最後に・・ああ、おなか痛いなあ・・とか言いながら書いた曲」作品130のフィナーレとして残っている曲の解説をしてもらった時は、本当にベートーベンという人のたどり着いた…いやたどり着きたかった「温かさ」に心臓を鷲づかみにされたような思いだった。
どれほど表現できるものかわからない。「拙い」などと言っている暇があったら「練習しろ」という声が聞こえる。

それぞれの人の「積み重ね」が、楽譜から読み取る幅の広さも深さもかもしだす・・・ 今回一緒にやってくれる仲間は、学生時代よく室内楽をやった。彼らはそれからもカルテットを組み、今はみな音楽界の重鎮である。にもかかわらず、なんと謙虚に「音楽」に接することだろう。ただただ「音楽が好き」でたまらない、といった感じだ。
練習中も「ああ・・・もう終楽章まで来ちゃった・・」と名残惜しそう。私もまったく同感で時間があったら何度でも弾いていたかった。


ファーストヴァイオリン・山口裕之。セカンドヴァイオリン・私。
ヴィオラ・川崎和憲。チェロ・木越洋。


ファースト山口。セカンド私。ヴィオラ・高関健。チェロ・山崎伸子
学園祭の「桐朋祭」の中で作った楽隊やという部屋での演奏風景(1977年ぐらい)

【今度4月12日糀谷ホール6月9日JTホールで共演のカルテット。私、山口、川崎、山崎】

どれだけ「係わっていられるか」はどれだけ「係わりたいか」である。世間と折り合いをつけ真実に「タッチ」していくこと。緩急の呼吸を自らに課すこと。
案外苦労と自分が感じている事柄からなにか培われる事もある。

ますます「勘」を冴えさせ、研ぎ澄ませねばならないのだが、それは要するに日々の「労働」以外の何物でもない・・・というのが今の私の心境だ。案外簡単なところのしかし、避けては通れぬ練習を通してのみ「心」も日の目を見る・・ということだろう。
当たり前のことだ・・・・ きっとベートーベンもそんな心境で最後に[なってしまった]曲を綴っていたのかもしれない・・ 深謝。

2009年1月11日 東京にて
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