日本でいろいろな色のシャツを買ってきた。縫製もしっかりしているし、着やすい。
「シックな色」と思い灰色、黒、茶色のストライプなど・・・
こちらについてなかなか袖を通さない。なんだか着る気にならない・・・おじさん・・・おばさんになった気分。昔は上を見上げてそう思ったものだが実際「おばさん、おじさん」になってみると、いかに「そう見せたくないか」につきる。
年を取るだけならともかく・・・

「蒼い時」「蒼い海」といろいろ「蒼」にまつわる想いを今年前半書いた。
夕方・・・ドライブしていて空はあかね色に染まってきた。ちょうど紅葉した桜並木の色と同じだ。暖まる・・・
「蒼い時」の涼やかさとは反対に「暖かいとき」と書いて「紅い時」と読みたい気分だ。

天高き馬肥ゆる秋・・・日本の豊穣な秋に比べて空のイメージもだいぶ違うヨーロッパ。
これから続く長い灰色の空・・・寒い冬・・・

「シックな色」より華やかな赤、煉瓦色、オレンジ色・・・と空想がふくらむのも囲まれている自然の違いからだろう。

10日程たち、時差もすっかり治り、いろいろな忙しい時も一応落ち着いた。
ちょっと・・・というか、だいぶ嬉しいことがあって今日は逆に「シックな色」を着た。
寒さも定着してきた中、なんだかしっくりくる。

昔・・・若いころは「演奏会のときはなるべく派手な色」と言われてきた。
それもしかしプロとしてデビューと結果的にはなった80年からのことで、それ以前は「渋い色」しか着なかった。
1年「ブラームス」だけにはまり、1年「ベートーベン」だけにはまったように、学生の頃は1年間「ターコイズブルー」だけ探し、その次の年は「黒」だけを探した。これが音楽と適合していたかどうかはともかく、80年以来着続けてきた「派手なステージ衣装」から一転して「黒」ばかり着た時期。マルタ・アルゲリッヒにあこがれ・・・「そろそろ年かな?」と自覚してた頃・・・

しかし実際舞台に発つ前に「黒一色」になるのは相当な覚悟がいった。
よっぽど内面がしっかりしてまた精神的にバランスもとれ、「バラ色」になる部分がないと「黒」は着られない。「黒」を着こなす・・・ということはその人の「輝き」をあらわす。
内面が「満たされていること」「感情でいっぱいなこと」
そしてそれを「隠す」
だから「粋」なのだ。

嬉しいことがあった時、はシックな色が着られる。お天気の良い日のように・・・

人間、どこかで自然とつながっているのだが、その「自然」とはまさに「心のなかのパレット」(ヴァン・ゴッホ)による「見方」によって異なる・・・ということかもしれない。

2008年11月18日 ブリュッセルにて
ページトップへ戻る ▲