la vie quotidienne

「ママの半分でもいいからいて!」の子供の声に続き、帰って来てみるといろいろ起きる。
数日たって、水泳のクラブに通っている娘を夜迎えに行くと、「今日は、頭が痛くて
あまり泳がなかった」という。「なんか突然気持ち悪くなって、それから急に頭に血が逆流したみたいになって・・」
「大丈夫だったの?何で電話しなかったの・・」「だって静かにしていれば落ち着いたもん」

なにしろものすごい量の「泳ぎ」をやっているらしい・・・「さっき食べさせたラーメンが悪かったかなあ・・ラーメンなどではなく、キチンと昼から考えて食べさせていれば・・・」母親としては少々後ろめたい気持ちだ。
彼女は火曜日に陸上の練習。水曜に夜8時から水泳1時間半、それが金曜もある。そして土曜の朝は50キロの自転車競走にでかける・・なかなか全部できない時もある。ヴァイオリンの練習と違って「本番の前の日によく練習する」のではなく、大会の場合など、「本番の前の日は休む」のが必定らしい・・・だから「連日やる」というのはかなりな負担なのだという。しかしこれが「トライアスロンをやる」という実情だ。

ちょっとやりすぎ?でもそういう年?

もちろん、中学校3年生では、勉強も山のようにあり、今年からはギリシャ古典、英語による数学…も始まった。中高一貫教育でそれこそ、「受験勉強」というものはない代わりに、期末ごとの試験が勝負。年度末には悪いと「落第」もある。

それらみなをこなすには、家族のサポートが不可欠だ。
そんな中で、「母親不在」というのは一体どういうことか!

だから一瞬がいとおしい。
あと何年続くだろう家族の時間・・・

料理だけは、手を抜かない・・・
つもりだけど実際は、「大鍋料理」「丸ごと料理」が多い。それでも、鳥一羽二日はもたず。カレーライス大鍋も3日は持たず・・・休日もいれると、ヴァイオリンを弾いているよりはるかに玉ねぎを切っている方が多い!!???

息子のサッカーの試合には毎回、オレンジを切って試合前半を終わった選手たちに持ってゆく。だいたいオレンジ4つを6等分、切り口を入れて食べやすいように。なぜか私が不在な時は、誰も他の人やらないから、私がブリュッセルに帰って試合を見に行くと「Voila! madame orange est la!」(オレンジのマダムがやってきた)と、言われる。このへんの「自由さ」が私は気に入っている。義務・・ではない。

「この時間さらったらどんなにうまくなるだろう」
と、その空想を生かす。

なぜなら、20代、30代の「淋しさ」を知ったから。あの頃の輝くような「若さ」と引換に私自身が感じていた「空虚感」は何だったのだろう・・

「昨日は寝られなかった・・・」とつぶやく私に当時のマネージャー・ジャスパー・パロットの奥さん、クリステイーナ・オルテイーズはこう言った。
「wait until you have 2 children」[子供2人いるまで待ってごらん。どんなに大変か!]

しかし当時の「緊張と怖さ」で寝られなかった事を考えると、子育て中の、特に子供が小さい時の大変さは、肉体的なもので、必ずどこかで、「爆睡」してた!なんと健康的な「眠り」だろうか!

今日も「愉気して」とまったく無防備にうつぶせになり、背中を差し出す子供たちの背中に手を当てる「愉気」とは、野口整体の呼び名なのだが、要するに「手」を当てて、「気の通りを整えていく」というものだ。
「手」からエネルギーを出す。
こちらも、背中で息をする。だんだん深くなっていく呼吸。だんだん一体になっていく快感。私たちの子供たちは本当にこの野口整体の「愉気」だけで育った!いままで、病院も医者も薬もほとんど使ったことない人も珍しいだろう。

以前から私は高井智幸先生にお世話になっていたのだが、たまたま「娘が生まれました」という時に、ブリュッセルに移り住んでいた宮坂行子さんという先生がいらした。彼女を通して私は「活元運動」を学んだ。ちょうど「産後」の体で必要だった。砂に水がしみ込むごとく身についた。

「活元運動」とは、邪気をはく、背骨をねじる。力を入れる・・などの準備運動のあと、ポカーンとしているとおのずから出てくるからだの動き、のことだ。だから毎回ちがう。頭では意識していない、いろいろなところの「こわばり」「疲れ」を体自らがほぐしてゆく・・・といったところだ。
「時差」のある場合、また緊張のあまりの、寝られなさ、あるいは、「えい!」と気合を入れて、物事を行う前に・・・いわば、「ゼロ」に体も心もリセットする・・いつもこの方法に私は助けられていると言っても過言ではない。

そして子どもたちを「実験台」と言っては多分に「顰蹙」をかうだろうけれど、彼らを通じて本当に「愉気」が効くものだ、ということも確信した。おなかの中にいたときから今まで、野口裕介先生、金子真一先生にはお世話になっている。だんだん、子供たち自身「病気を経過する」事もわかってきた。私がいなくてもなんとかやっている、のもそんな自分自身の体への、「確かさ」があるからだろう。

同時に「無理かなあ」の想像もある。

今回は、日本滞在3週間弱と長い・・・
娘は、「持つかなあ・・」という。
息子においては「ママいないと、どうやっておうちにいてよいかわからない」

胸が引き裂かれそうだ。
「全生」良い時も、悪い時もある・・

「愉気」は、やっている私にとっても「気持ちのよい」こと。
「遠く」からでも効くこと。

人と人とを結ぶこと・・・

どこまでできるか・・・まだまだ「実験」は続く・・・

2008年10月 ブリュッセルにて
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