広大なアルプスを下りる時

広大なアルプスを下りる時、いつもその大きさに圧倒される。

山の勢い、日差し、・・・・

早く流れゆく雲、瞬時の変化はまさにベートーベンの調性のようだ。

今年もクルシュベルに行ってきた。

日本人の女の子たちとマルセルと私の息子。

家に帰ったような「くつろぎ」と「厳しさ」のなか、山を満喫した。


7月の山の様相は、8月とはまるで違う。花が咲き乱れ、気温もだいぶ暖かだ。

2800メートルのレストランで袖なしで日光浴をしようとは思いもかけない事だった。

ギリシャの風

クルシュベルの光、

忘れられない夏のひとときとなった。



1週間ぶりにまたヴァイオリンを手にする。

今度はベートーベンの10番のソナタの仕込みにはいる。
G-dur という調性。まさに今の夏にぴったりだ。

キラキラと輝くようなピアノとのかみ合わせは水の流れに写る日の光。

あっという間にのしかかるフォルテは、山頂で見たまっくろな雲のようでもある。

その裏に人間の「営み」がある。「心」の深さがある。

長年弾いてないこのソナタの楽譜には30年前、江藤先生から事細かく教えてもらった書き込みがある。私の宝物だ。

「額縁はしっかりと、でも心の中は自由に」

指使いひとつひとつにに各音の「響き」の謎がこめられている。

よく外国で暮らしていたり、また友達、家族と離れて暮らしていたりすると、自分でも気づかぬうちに「心を閉ざしてしまう」ことがある。

そしてそれは演奏に直接現れる。
私自身も何度も経験したし、生徒たちを教えていてもそういう場面によく遭遇する。

「心の中は自由に」

なんていい言葉だろう・・・

「真実にタッチしてれば大丈夫」
と昔友達に言われたことがある。

忙しさ、社会とのかかわり合い・・・ともすれば「内」と「外」とのバランスがとれなくなり、パニックになることもある。

「タッチしていれば・・・」というのは、どこかで「心の自由を失わない」ことだと思う。

「心」とは山の上の雲のように移り気で、また風のように心地よいものだ。
広大なアルプスにように巌として、また赤ちゃんの肌のように柔らかいものだ。

そうありたい・・・と思う。

2008年8月 ブリュッセルにて
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