オアシスは自分で作るもの

名古屋でデユテユイユの「夢の木」を弾いてきた。

急に頼まれた仕事で、準備期間1週間弱。10年ほど前に「いったいどうやって自分はこの曲を暗譜で弾いたのだろう?」と首を傾げるぐらい、見事に忘れていた!

しかし日を追うごとに曲も指も!よみがえり、「ああそうだった。こうだった」とだんだんはまってくる。

25分のフルコンチェルトを準備するのも大変だが、その上に長い「旅」がある。 例によって乗り継ぎを含めて14時間のフライトの後、朝着く。少し休んで午後からオケ合わせ。昔は「数日」あったこの調整期間もだんだん短くなっている。ひとつは子供たち。なるべくぎりぎりに出よう、と思うから。もうひとつは弟子、こちらも最終試験で、前の日に教え、この間などは日本から帰り、パリに朝つきそのまま学校へ直行した!

さて、2日あったリハーサルもだんだんなじんでくる。
本番1日目。かなり厚く書かれているオーケストラパートとの音のバランスが難しい。
「今度もしデユテイユさんに会ったら、ダイナミック2段階おとしてくださいって頼んでみます」と私。アルバン・ベルグのヴァイオリンコンチェルトも然り。作曲家自身聞く機会のなかったこの曲を未亡人が初めて耳にした時「オーケストラが大きすぎる!」となった。楽譜はそのままになっているが、この話をそこにいた人から昔マルボロで聞いた。以後、私もこの曲を弾く時は、必ずオケに「フォルテはメゾピアノぐらい」と注文する。

本番2日目、やっと手の内に入ってきた。私もオーケストラも。自分でもやっと指揮者も見られるようになることに気づく。いつもは、「オケのパートまで覚えて」本番に臨むのだが、さすがに今回はその時間的余裕がなく・・・
ソリストにとって、「指揮者を見る」のが難しい時もままあるのだ。

慌ただしい、しかし「一人時間」を満喫。
これだから「演奏旅行」はやめられない!

先週末80人ぐらいのサロンで弾いた。
今1800人だかの大きなホールで弾いた。

私にとっては同じこと。

「コミュニケーション」と「信じるもの」に
導かれて、この商売やってる。
前者は外とのかかわり合い。
後者は自分の中の話。

この2つがなければ「音楽会」いや、「音楽」は存在しないだろう。

少々の「ストレス」はいたしかたない、というものだ。

合間の「オアシス」は自分で見つける。

東京から聴きに来てくれた母。京都から東京の間に「途中下車」してくれた友人。マネージャー。

「試験が終わったら会おうね!」と必死に勉強しているだろう友達。

さて、私はまた「次!」の曲の仕込みにはいる。

とはいってもそんなに簡単に「デユテユイユ」が忘れられなく、まだ頭の中で鳴っている。
「美しい」曲だ。ヴィオリンが鳴る。音楽的。

もっともっと今弾きこみたい!と思いつつ。

次に弾けるのはまた10年後かなあ・・・

2008年6月 ブリュッセルにて
ページトップへ戻る ▲