碧い時・・・
夕方から夜にかけてのこの時間が私は好きだ。
刻々と変化する雲。ちょっと目を伏せるうちに表情を変える。
アパートの9階から見える大きな木。鮮やかな夕焼けを背に受けてのその向こうに広がる景色がアフリカのようだ。
実家近くにある神社の境内にある松の木のようでもある。
人は木のように周りの光景でいくらでも変わるのかもしれない。
そしてまたその「木」そのものでもあるのかもしれない。
みな「想像」の世界のできごと。
「心」の中での見え方。
きのう弾いたサロンコンサートで「私あの時学生であなたと同い年。あこがれの眼差しで釘付けになってテレビを見ました。おかげでその年の試験は最悪!でも忘れないわ。あの感動・・・」と言ってくれた人がいた。1980年のエリザベートコンクールの話である。
確かにあの年で私の一生が変わった。
コンクールの後、のきなみあるガラコンサートで疲れていた。ゲントの町、演奏会前の楽屋で、家の屋根屋根を見つめながら「あの下にある人々の営み」みたいなことを思い、それをここの新聞に書いた。
今も同じ気持ちだ。
人恋しくなる。
「わが君」を想い煩い、溜息をつく・・・のも源氏物語の頃から変わっていない「心」だろう。
夕焼けに染まる雲が「一筆書き」のように見える。美しい。
アンリ・デユテユイユのヴァイオリンコンチェルト「夢の木」(L'arbre des songes)を弾いている。1985年大ヴィオリニスト アイザック・スターンのために書かれた。
ヴィオリンが鳴るように、「歌」が書かれている。音楽的。その時間の使い方が実に見事。
和音が透明感を持っている。色のパレットが見える。決して淡い色ばかりではない。インテンシブに、えぐるように弾きこむ場所もある。
碧い時・・・
漆黒の木々。風もなく身を縮め、夜のしずくを受ける。
闇。
今日も「夢の木」を夢見ながら眠りにつく。
シェイクスピアの真夏の夜の夢、ベンジャミン・ブリテンがオペラを書いた。
そのオペラをニースで観た。神。いたずら。子供たち、トリックスターによって語られる人間の気持ちの変化。夜のとばりが落ちるように一幕目最後で舞台がさあーっと真っ白になった。
見事な演出だった。