時差

何度やっても慣れないもの、年を追うごとにきつくなるもの。
人間の体はうまくできていて、キチンとその「土地」で生活するようにできている。
「時差」というのは、それを早すぎるスピードで無理に動かす、いわば暴力的行為だ。
文明の利器のおかげで、なかなか「そこには行けません」という事ができなくなった。
かつてあった「土地の色」「国の音色」が薄れていくのも仕方がない、これだけ簡単に情報が手に入ってしまえば、「行くな」というほうが笑われるこの頃だ。

旧ソビエトとアメリカが冷戦状態にあった時代、ハイフェッツが弾く、ワックスマンのカルメンファンタジーを聞いたソビエトの大ヴァオイリニスト レオニード・コーガンは「どうしてもこの曲が弾きたい」一心で、レコードから流れる演奏を聞き、書きとり(聴音)して楽譜を作ったそうだ。当時アメリカから楽譜を取り寄せることなどできなかったから。冷戦が溶け、いざ、楽譜を手にした彼は自分が耳から聞き取った譜面と実際の楽譜が一音たりとも間違っていなかった、という。すごい話だ。

私たちも学生時代、新しい曲をもらうと先生の譜面をお借りして急いで指使い、弓使いを写し、翌日お返ししたものだ。もちろんコピーすることもできたのだが、必ず自分の楽譜に自分でそれを書き入れた。
今や生徒たちは譜面を貸すと、それをそのままコピーして、また綴じもせずにページはバラバラになりながら、レッスンに持ってくる。
試験もそのほうが「めくりやすい」とかで、バラバラで譜面台に立ててソナタなどを弾く。こっちが「一枚ぱらーっとなくなったらどうするのだろう・・・」とはらはらしてしまう。

時差の話からそれてしまったが、時差が生じる長時間の飛行機の旅。その直後は「やっと着いたあ・・・」と興奮している。疲れで、その日はぐっすり・・・という事が多い。
しかし、じわじわと確実に時差は存在する。2、3日目ぐらいがキツイ、なにしろ、朝の4時の体時間に鞭打って、ヴィアオリンを弾くのだから。またその時はなんとか持つてもあとで、どっと疲れがでる。運よくそういう時に寝られるとしめたもんだ!少なくなくとも少しは体力も戻る。
夜みんなが寝静まった中、一人でもんもんとするうちに闇も白んできて、朝もあけて・・・朝ごはん食べてから寝る・・・こともある。

しかしなんといっても5日目の「あれ?」という感じはよいものだ。なにかが「楽」になる。そして7日。だいぶ普通。10日たつと、ついぞ、他の土地にいた事さえ忘れてしまう。これで、時差終わり。
だから3週間目は「水を得た魚」のように動ける。嬉しくて仕方がない。なにか「山を通り越した」ような満足感。「当たり前感」がある。「旅の印象」も良くなるといった具合だ。子供たちは正直でどんないいところも時差有り、なしでは、印象がまったく違うようだ。大金(たいまい)かけたデイズニーランドより時差が治ってから行った読売ランドが楽しい、というのだから・・

本人にとってばかりではない。周りにとっても「時差」のある人が帰ってくるというのは実は迷惑な話だ。「帰ってきて嬉しい」のは山々なのだが、なんといっても時間が合あわない、腹具合も眠り具合もいちいちかみ合わない。といって本人は電話のむこうでもなく目の前にいるわけだから「あて」にする。しかし大儀そうに一緒にいられてもなんだかおもしろくない。悪いような気持ちさえする。
まったくやっかいなものだ!

これだけ行き帰りができるようになって誰もが昔には戻りたくないだろう。
しかし、日本の江戸時代のように。また冷戦時代のソビエトのきらめくヴァイオリニストたちの出現のように・・・人は、「出てはいけません」と言われるとその分エネルギーが内蔵し、それが爆発したときの勢いはすごいものがある。

私も22歳までは「ガイコク」にほとんど出なかったし、エリザベートコンクールなどというものを獲れたのも、「何も知らなかった」力に負うところが大きいと思っている。
「余計なきづかいよりはとにかく最悪を仮定して」練習した。

今やそんなことは言っていられず!
しかし毎回「疲れた。大変だ」と文句を言ってる割には10日ほどたち、時差も治ると「さて、次はどこ行くんだったかなあ?」とまた次回の旅に想いをめぐらす。
ついにうちの息子など
「今度ママいつまでいるの?」となった!

因果な商売をはじめたもんだ。

2008年5月 ブリュッセルにて
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