ニースの朝

ラロのコンチェルトを録音するために南仏の町ニースにやってきた。
到着して3日目にやっと朝海岸に出てみた。

ホテルの目の前に地中海の青く美しい海が拡がるものの、時間にも気持ちにもゆとりがなく、とにかく「ラロ」に集中していた。やっと録音も半分取り終わり、少し「やれやれ」というところ。
どちらかといえば「穴に入って練習」「良い天気のときは特に外に出ない傾向がある・・」私としては、朝の散歩などという贅沢時間は本当に久し振りな気がする。

朝の光に包まれた「Promnade d'Anglais」イギリス人の散歩道は、人影もまばらでまったくもって気持ちが良い。フレンチリヴィエラ。コートダジュール・・・世界中の人が憧れる意味もよくわかる。

まだ観光客が起き出す前の「住んでいる人たち」の生活。自転車が走り、イヤフォーンをつけながらジョギングしてる人がいる、または子供の手をひいて学校へ出かける姿がある。朝のラッシュで車の数もそこそこに増え、クラクションの音もするのだが、この「散歩道」には静けさがある。
そしておかしな言い方だが、うちにこもってひたすら練習していたときに「壁に包まれ」録音しているときに「マイク」に取り囲まれ、「音」に包まれているつもりだったのが、このように戸外に出て初めて私は朝の光に「包まれている」と実感したのだ。それが「気持ちの良い」ものである、という事。
「開放感」はもちろん録音のプレッシャーからだんだん解放されつつある私の「心」そのものを表している。
が、また同時に密室で「さなぎのように包まれた」状態よりも、「戸外の光の中で」より一層、「包まれる」ことを感じることも事実だ。
「包まれる」事を「快」と感じるのも私の感受性なのかもしれない。
といろいろ考えながら、朝学校に出かける前にと思い、子供たちに電話する。

今回はパパも仕事でニューヨーク。私もニース、そのあとすぐ日本なので1週間だけ、彼らは知人宅に預けられた。初めての経験だ。学校の先生に「お父さんかお母さんのサインもらってらっしゃい」と言われ、「両方ともいません」と答えたところ先生も唖然・・・「あ、そう・・・じゃあまあ来週でいいから・・・」
子供たちはそんな返答に慣れているらしく笑っている。
今になって私たちはまったく「手をかけない親」と見られている。
5歳ごろまでの「あなた奴隷なの?」から比べれば随分進歩した!と自らは思うのだが、世間はそうは見ない。
「かわいそうねえ・・」

電話というのは都合のよい時ばかりにかかってくるわけではない。都合の良い時になかなかつかまらないこともある。時差も加わるとお手上げだ。このごろは「どう?」「大丈夫」で終わってしまうが、それでもたまに「aitaiyo」(アイタイヨ)とメールが入ってたりすると、胸がキューンとなる。今回はニースのオペラ座に座っている時だった。飛んで帰りたくなる。

2日後、録音が全て終わった!ニースのオケも指揮者もCD制作のテクニシャンもすべて、「はまって」いた。こんなに楽しめるとは実際思ってもいなかった!3曲のフルコンチェルトを3日で録るという大事業ができたのもずいぶん彼らに負うところが多い。
何が一番良かったって?
彼らの音楽をする「姿勢」だ。
なんと「真摯」なのだろう。「打てば響く」ように反応が返ってきた。「一度取れればいいや」みたいな態度がまるでない。何回繰り返しても[真心」をもって演奏してくれる。「たかが伴奏」といった雰囲気は、ついぞ見当たらなかった!オケも指揮者も!録音技師たちの的を得た指摘。それも、こちらに気を使って言い方にはとげがない。みんなが「盛りたてて」くれた。

この「出会い」に感謝。

「イギリス人の散歩道」は、光の中にすべてを包み込み、背中にその「温かさ」を感じて歩くことはこの上ない心地良さだった。
マテイスもシャガールもデユフイーも見に行く時間はなかったのだが彼らが描きたかっただろう、空気には存分に触れさせてもらった。
まだ頭の中で、「ラロ」が鳴っている・・・・

【ニースの海】
2008年5月 ニースにて
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