オペラと言葉

長いこと聞く機会がなかった。
昔はよくパリのオペラ座の練習に通ったり、モネ劇場の「ヴォツエック」に夢中になったり・・・スカラ座でパヴァロッテイの「ドン・カルロス」も見た。桐朋時代には「コシファントッテ」と、「フィガロの結婚」のセカンドヴァイオリンもピットの中で弾いた。「なんて難しいんだろう」と思った。

近年子育てに追われ、日々の忙しさにかかわっているうちに、足が遠のいた。いたしかたないことだ。
その分「モーツアルトのヴァイオリン・ソナタ」をほとんど全部こなすという作業を4年かけてやった。
2006年「モーツアルトイヤ」にこの企画は一応完結したが、今でも春になってかすみがかかり、体の中が「うずきだす」エネルギーを感じると、「モーツアルト」が弾きたくなる。
あの笑いと深刻さが春のあられと太陽のように気まぐれに変わるのも、ちょうど気候に合っているのかもしれない。

【季節はずれの雪から一夜たったら…(練習している自宅の居間より)】

ラロ・ショスタコーヴィッチ・シューベルト・・・どれもこれもすばらしいが、ふと練習が終わり、旦那の部屋に入っていくと、モーツアルトの「魔笛」が流れてきた。今度彼はオペラ・プロジェクトを7月いっぱいベルギーの古都、ブルージュでやることになり、その演目が「魔笛」なのだ。
「魔笛」がどんなものか、オペラも聞いた頃がある。「4人ヴァイオリン」の演奏でいくつかのアリアも弾いている。・・・つもりだったが今、3人の女王の復唱。パパゲーノの面白さ、タミーノのアリアと聞いていくと、ほとんど「信じられない」ほどの美しさだ。

変な話だが「今までよく知らなくて良かった!」、なぜなら今ここで「新しい出会い」ができたから。

そして嬉しいことがもう一つ。ドイツ語と英語が見開きページの半分ずつの「歌詞ブック」を手に聞いていると、いちいち耳にするドイツ語と理解できる英語で歌詞を追うのに時間がかかる。
で、「まあいいや」と思い、ドイツ語の「歌詞」を追う。なんと「わかる!」ではないか!!そして、音楽。特にリズムと言葉の兼ね合いがこんなに一致するとは!!

日常いわば私たちは「歌詞のない」音楽を弾いている。時々わざと「言葉」をあてはめて演奏してみる。説得力が俄然ちがってくる。
しかし「オペラ」においては、はじめからまず「言葉」があった。そしてそれに、「音楽」がついた・・・
その上に「舞台」「歌手」「演出」ときた日には、ほとんど「麻薬」状態の「のめりこみ」になるのは、まちがいなし!
はまってしまう。

旦那の「音楽」にも「音楽会」にもほとんど付き合うことのない私だが、今回の発見は、あまりに「美しく」自分としては「いいものみーつけた!」といった心境だ。
このところ、先生がいなくなっちゃって、また学校側のいろいろごちゃごちゃしたアドミニストレーションが煩わしくて、「オランダ語」もちょっと興味がうすれていた・・・が、なんとこの「オランダ語」という英語よりははるかに、ドイツ語に近いものを勉強したおかげで、「魔笛」の歌詞が、だいぶわかるようになったとは、まさに「苦労した甲斐があった」というものだ。

オペラの原語上演がどうだ…とかいう議論をするつもりはない。物語も状況もわからなくては面白みも半減する。
しかし、あの「リズム」要するに「歌」「音楽」が、これほど言葉の抑揚に沿っている・・という事実を見つけると、オペラは原語で歌わなくては、音楽的価値が半減する、と今日改めて思った。

私は日本人に生まれ、日本語で書く。読む。考える。 しかし、このように聞くモーツアルトのオペラは、原語がいい。それに近づく手段としての「言語の習得」は、面白い。発想が拡がる。心が自由になる。

当分楽しめそうな題材に出会ってよかった!

2008年3月末 ブリュッセルにて
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