継続は力なり

オランダ語の勉強を始めてもう1年半近くになる。
このところ同じ先生でやっている。半分以上は「楽しいおしゃべり」なのだが、時々ネイテイブ丸出しでまくしたてられるとお手上げだ。

2月、3月とブリュッセルにずーっと滞在するという貴重な時間を持つことができた。

ヴァイオリンでは、次の曲であるラロのコンチェルト3曲・・・を練習している。
これはただものではない!テクニックと音楽と「ラロ」というどちらかといえば「知られざる」名曲に挑む。それも3つのフル・コンチェルトだ。覚悟はしていたものの、いざ、4月末にあるレコーディングに向けて準備してゆくと、いろいろなできなさ加減が、目に見えてくる。これが第一歩であることは十分承知してはいるものの、やはり、難しい・・ことに変わりはない。
「だましだまし・・・」仕込んでゆく。
毎日「うん!やれる」と「やっぱりダメだ・・」の繰り返し。先達のまばゆいばかりのレコーディングに気を落とし、改めて「ヴァイオリンを弾く」ことの特殊さに気づく。

「ルジェーロ・リッチ」今はテキサスに住む、もう80歳を超えた大ヴィオリニストだ。パガニーニの24曲のキャプリスというバイオリンのレパートリーの中でも一番の難曲と言われている曲をなんと生涯4回も録音している。また70歳の記念コンサートに弾いたオーケストラ伴奏の「キャプリス」も聞いた。すごいもんだ!
マルタ・アルゲリッヒいわく、「私が今までにあった中での一番の才能」という。一度彼女の家からみんなで電話したことがあった。私は彼に数年間会っていないにもかかわらずよく覚えていてくれて、その時披露したジョークも後々まで繰り返された。
彼とはエリザベートコンクールで私が優勝して以来、その時の審査員であった事もあり、時々一緒になった。ミラノでの音楽会の際も、聴きにきてくれた。「もっと自由に弾いていいと思うけど・・・」と遠慮がちに夕食会のとき言われた。
いわゆる「技巧派」というわけでもなかった私の演奏スタイルと、彼のいわば「技巧をちりばめた」演奏スタイルに私はおのずから劣等感を感じていたこともある。

しかし、2001年エリザベートの審査員で1ヶ月間ご一緒させていただき、だいぶ考えが変わった。大変素敵な人だし、人間的だし、あっという間に好きになった!
また別れ際にお渡ししたCDを聴いてくださり、わざわざ手紙も頂いた。「プロコフィエフの2番のコンチェルトを聞きました。ハイフェッツより良いです」
私がどんなに「天にも昇る気持ち」になったかは想像しにくいだろう。「ハイフェッツ」といえば、古今東西知らぬ人のない、「the violinist」なのだし、父の影響もあって私が子供のころからあこがれ続けた「the violinist」だから。

話が前後するが、その「ルジェーロ・リッチ」の弾くラロのコンチェルト。なんと「当たり前」に「誇張」することなく弾いていることだろう・・・とても自然で美しい。おのずから「音楽」が聞こえてくる。
「テクニック」とは己が思う事をいかに「粋」に表現できるかという事だと私は解釈している。指、手、のみならず、心も特に「頭」も総出で対処しないと、どうにもならない!!彼の演奏も、昔は「技巧をちりばめた」という見方を私がしていたことが間違っていたようだ。
「音」のきらびやかなこと。
「音楽」ののびのびしていること。
それこそが「才能」であり、「音楽道」なのだ。

そういうわけで、今日も「だましだまし」仕込んでゆく。

ちょうど同時進行している「オランダ語」も同じこと。
Hoe meer ik studere , hoe moelijker het Nederlands word!
やればやるほど「わからなくなる」
「わからないこと」が「わかってくる」

「継続は力なり」

いつも一度は必ず「あくび」をしているオランダ語の先生の「あくび」をさせないように・・・これも目標。
「ラロ」というと、どうしてもオーケストラは、簡単な伴奏に徹していて、それが「少しでも早くなる」と私は「弾けなくなる」
なんとか彼らにも「興味も持ってもらう」ような音楽的根拠を自ら示すようにする・・・ことが共同作業成功の鍵。

さてさて、5月ごろはどんな顔をしていることだろうか・・・

2008年3月 ブリュッセルにて
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