自信

「もっと自信も持ちなさいよ。大丈夫よ。」
こういう言葉ほど説得力のないもなはない。
ま、人それぞれだろうからいちがいには言えないかもしれないが、少なくとも私にとっては、かえって不安をつのらす原因となりかねない。
なぜ?
「不安」とは漠然としたものだからだ。目に見えぬものだからだ。
しかし歴然と存在する。
ではどうする?
一歩一歩やるしかない。
一角が崩れれば、「不安」その全容を把握することになる。
そして、大いなる「難しさ」に直面することになる。

そこから「第一歩」が始まる。
「気がつけば50%ですよ」
と江藤先生にも言われた。
本当に今になってどれだけ多くの事を彼から学んだのだろうか・・・いや、まだ学びつつあることに気づく。
偉大なる人とはそういうものかもしれない。
生きている時間など、限られているわけだし、あとは肉体の存在がなくなっても残る。「魂」などというものよりもっと、直接的な、具体的な情報はもしかしたら、私たち各々の、頭に、体に、心にすでに、インプットされているのだ。
ただ「気がつかない」だけ!

最近、昔の同級生のCDを思いがけなく聞く機会があった。メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」今度私も7月に演奏する。
彼女、長沼由里子さんの美しい歌に私は懐かしさを通り越して感動した。いろいろなCDを聞いたが、ここまでヴァイオリンを歌わせてこの曲を弾いた人を私は知らない。またメンバーとのからみ。長年培ってきた同じ仲間とのアンサンブルの解釈、音程、音楽性すべてが、本当に良く合っている。
それも無理なく。
本来、音楽とは、このようにおのずから「現れる」ものだ。その道のりは遠いが、こつこつ「こうかなあ・・ああかなあ」と試行錯誤して作りだしてゆくものだ。迷いも、気負いもすべて経験して、「そのうち」現れるところがすごいのだ。その時は本人さえ気づいていない境地に到達する。

要は「日々の歩み」と、「感覚を研ぎ澄ます」ことにつきる。

しかしなれど、題名にもある、「自信」を壊す材料はいくらでも転がっていて、それに、気づいてしまったら最後、直面せずには通れない関門なのだ。
「棚から牡丹餅」ならぬ奇跡を待ちたいが、実際は、そんなことは起こらない・・・ことを知っているだけでも、良いとしよう!
楽観的であることも、この商売を続ける秘訣のひとつである。

2008年2月 ブリュッセルにて
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