江藤先生の死

何年か前からわかっていたことだった。
先生自身望んだことだったと思う。
病床で、奥様であるアンジェラ先生を赤ちゃんのような目で見上げていらした江藤先生の顔が思い出される・・・
それぞれが出来うる限りのことをやった。

【1993年のエリザベートコンクールに私も若輩ながら審査員として招かれました。
そのときのツーショット。今では貴重な一枚になってしまいました・・・】

昨年の夏、小平市で行われている「江藤俊哉ヴァイオリンコンクール」のガラコンサートの折、アンジェラ先生と同席した。彼女の故郷はアメリカ。自らヴィオリニストである彼女はそのすべてを投げうって江藤先生と一緒になった。その仲睦まじい光景はいつも心温まるものがあった。
彼女は、流暢な日本語を話されるが、日本語は読めない。江藤先生が床に伏してからというもの、彼女は今まで日本語ですべて彼がやってきた多々ある出来事・・・銀行、学校、社会保障・・・などなどを引き継ぐにあたって、大変な苦労をしたと思う。

私自身「異国」に嫁いでいる。そのジレンマ。プライド…「年をとる」ということ・・・
痛いほどよく解る。

そんなこともあって「少しアメリカにお帰りになってはいかがですか?」と尋ねてみた。
答えは・・
「もし私が離れれば主人はすぐに病院送りになり、そこで、いろいろな感染症をもらうかもしれない。もし私が離れれば、やっていただく方のやりやすいようにもっと事情が悪化するかもしれない。ゆず子ちゃん、私たちはヴァイオリンを通して結ばれました、今はとにかく主人のそばにいること」と涙ながらに語られた。

何も付け足すことはない。
何もできることはない。
門を閉ざし、「喪」に服する姿を遠くから、心より、見守りたい。

先生の恩恵…などと言葉では言い表せないほどの財産を私たち弟子ひとりひとりがかみしめて、これから生きるのだ。

あまりに巨大なものの存在はなかなか全貌が見えない。

少しでも先生に近付こう。

またしても巨星が逝った・・・

2008年1月22日 ブリュッセルにて
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