包まれる

今年の冬は寒い。今日は朝外気温マイナス5度。
その中を息を白くして、真っ赤なほっぺたで子供たちが歩いてゆく。

ふと外を見ると一面真っ白なまるで雪が降ったかのように氷結した木々が美しい。

ちょうど朝日があたり、家々の煙突から出る煙が、空まで昇ってゆく・・

各家々の営みがそこにある・・

ここブリュッセルでは・・というよりヨーロッパ北部では冬になると、「灰色の空で憂鬱」という観念が定着している。エレベーターで一緒になる隣人たちとの挨拶にも必ず「今日はお日様がでてよかったわねえ」といった類が多い。

この間、また例にもれず「今日も寒いですねえ」と語りかけたら、その人は「でも、私はこれが好きでねえ。」という。
「この灰色の空に『包まれている』ような安心感があるのです」といった。

なるほど、そういう時期も必要だ。一面に立ち込めた「霧」の中は、運転しにくいことこの上ないけれど、汚いものも見たくないものもすべてを隠し、自らを幻想の世界へといざなうこともできる。じっくり腰をすえて考えることもできる。

冬の木々は葉をすべて落とし身を硬くして、過ごす。「春を待つ」とはよく言われることだが、逆にこの時期がなければ、成り立たない。

シューベルトの歌曲に耳を傾けよう。C-durの弦楽5重奏はまさに、冬の張り詰めた空気と真っ青な空のようだ。
ブラームス晩年の曲たち。ピアノのためのインテルメッゾ。室内楽。クラリネットクインテット、ヴァイオリンソナタの3番。
もう少しすると、ショーソンのピアノ、ヴァイオリンと弦楽4重奏のためのコンセールも悪くない。2月の雪の空の下、車を走らせながら良く聞いた。ショーソンの「詩曲」を仕込んだのも80年の冬だった。

逆に「夏」にうまく弾けたものがそうはいかない・・こともある。体もきっと「縮む」のだろう。大汗をかきかきスカッと弾けていた曲が思うように手が動かない・・という思いをしたこともある。

正月を実家で過ごした。子供を連れて10日ばかりの滞在は慌ただしい。
行事も多く、また「年賀」で出かけた高尾山は、すごい人混み!
渋谷の雑踏では、ほっと緩む気持ちもなぜかここで列をつくらせられ、マイクでがなりたてられるのは本当にいらいらする。
帰りにやっと裏道をぶらぶら歩いてくると、山の大きさ、静けさが肌で感じられて、初めて「神聖なもの」を感じることができる。本来の自然宗教とはそういうことだと思う。

知人が、メールで、「正月はひとりです」と書いてきた。
「独りも気楽で一番よいでしょう」と返事を書くと、
芭蕉の句
『朝顔や昼は錠おろす門の垣』を引用して、

「僕は本当の意味がよくわかりませんが、勝手に解釈すると、小春日和の日、門も戸もかぎをしめ、家のなかで、静かに過ごす。今の自分のように、そんなふうに解釈しています。僕はひとりでいますが、亡くなった父、母と静かな正月を過ごしているような気がしています。」と書いてきた。

よいお正月だなあ・・・と感じた。
霧の世界も闇の中も『包まれる』のは気持ちが良い。
心が温かくなる。満ちてくる。
その蓄えが、『春』の力となる。

2008年1月
ページトップへ戻る ▲