日だまり

寝ている私の部屋の外、雨戸の向こう。もう暖かい日中なのだが「みゃお、みゃお」と猫の泣き声がする。
きっとまた縁側にでもねそべっているのだろう。脅かしてやろう・・・でもどこにいるか確かめたいから、そおっと・・・扉を開ける。
「あれ?いないなあ」
それでも動く気配もない。

だんだん大胆になって縁側に出てみる。
まだ「さあっ」といないくなる音もしない・・

「うーん、どこだ?」
とさらに外に出ると、

あたたかーい日だまりの中。草の上、いたいた、我が物顔で。
「ああ・・・見つかっちゃった。どっかいかなきゃ・・」ぐらいなもんだ。
どっちが家主なんだかわかったもんじゃない。

追われることもなく「まあ仕方がないかあ・・」とでもいいたげに、
他の「ひだまり」に落ち着く。

演奏会に追われ、練習に追われ、「世界一忙しいみたいな顔しないでよ」と妹に言われ、まさにその通りなのだが、私の才能ではまだまだ「達観」の域に達せられるものではない。

つくづく猫が「うらやましいなあ・・」と思った。

その昔、アムステルダム・コンセルトヘボーのデビュー演奏会。
ブリュッセッルから電車に乗ること3時間。弾いたこともないあの大ホールへの緊張と怖さと、「なるようにしかならないさ」と、半ばあきらめの気持ちで外を眺めると、牛がゆっくりと草をはんでいる。
行けども行けども続くオランダの大草原・・ならぬ豊かな緑地はそのなかに運河を隠し、数々の命を育む。牛の気持ちなどわかる訳がない。
が、猛スピードで走り行く電車の中の自分と、ゆっくりと草をはむ牛の営みと、どちらが「幸せ」なんだろうか・・と思った。

家ではいつも犬を飼っていた。もちろん犬の寿命のほうが短いわけだから、何度かその「死」に遭遇した。父が亡くなる時、私がはじめて外国に出て、コンクールの1次予選で落ちた時。
我が家のダックスフンド「ロン」突然死んだ。父が亡くなる10日前のことだ。

1980年にコンクール後の嵐のような演奏会のなか、失意のどん底のような気持ちで弾いたミュンヘンのリサイタル・その同じ日に「ロン」の子供「アン」が死んだ。
妹も丁度当日本番で、カメラータ・アカデミカ・ザルツブルグと一緒にコンチェルトを弾き、大変な思いをしていた.気丈な母はそのことを一言ももらさず、後になって聞かされた私たちは時の一致に唖然とした。

1996年11月自宅で息子が生まれた。
午後中ずっーと縁側に座っていた当時飼っていた犬「ドン」は息子が生まれたとわかると、すたすたと自分のねぐらに帰っていった。
この犬は最初の娘を連れ帰ったときは猛烈な嫉妬で、直接危害を加えたりはしないものの、オムツはかみくだく、うなるなど、あからさまに敵意を示した、2番目の「誕生」から付き合ったドンは、今度は実に寛容に子供たちに接した。
ひげを引っ張られても文句もいわず、庭にでれば、あとになり先になりヨチヨチ歩きの相手をする。
夕方になると、焚き火のあと、暖かくなっている落ち葉の残り火の丁度まんなかで、丸くなって寝ている。
われわれは「ハイドン!」(灰ドン)と呼んだ。その犬ももういない。

日だまりの思いは木の葉を透かしてみる陽の光と影。
スヌーピーのおなかを突き出して寝ている姿・・・

とふと今朝の朝日新聞を見ると、谷川俊太郎さんのチャーリーブラウン訳の話がでていた。
「Good Grief」をやれやれ・・と訳す。
「人生はソフトクリームみたいなもんさ、なめてかかることを学ばないとね」

その彼が、来年はメシアンのカルテット「世の終わりのための4重奏曲」に詩を書いてくださる。そして朗読してくださる。
第2次世界大戦、ヨーロッパ、強制収容所で書かれたこの曲は確かに「戦争」の悲惨さ・・・を伝えてゆくものだが、そこには「ひかり」がある。「鳥の声」が聞こえる。「日だまり」の暖かさに満ちている。
「祈り」とは案外そんなところにあるのかもしれない。

「こんなもんさ」といった彼、メシアン、そして仲間たちの声が聞こえてくる。

演奏会は来年7月1日文化会館小ホール。今から楽しみな企画だ。

2007年11月 東京にて


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楽しく毎回書けているのも、またセンスの良いページを作ってくださるのも、誤字脱字の訂正をしてくださるのも、すべて!彼らのおかげです。ありがとう!!山田伸さん、みゆきさん。

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