忙中閑

忙しいときは頭の中も忙しい・・
それが良くないのは、よくわかっている。

私は忍者もの、スパイ、ゴルゴ13などの舞台に憧れる。
彼らの超人的技術もさることながら、その『緩め方』に敬意の念を抱く。決戦間際にも寝られる!なんてすごいんだろう。それでいて、神経は動物のように研ぎ済まされて片時も敵を寄せつけない。

私はというと、本番といっては寝られなくなり、せっかく『休む』環境を作っても、自ら面白いテレビに釘付けになり・・・挙げ句の果てにせっかくの睡眠を無駄にする・・・なんとバカなことだろう。

年を追うにしたがってその『眠れなさ』が板についてきた。
きっと死ぬときは『思い切り寝たい!』と思いながら永遠に寝られたら!
それも、いいだろうなあ・・・

娘が『Tokio Hotel』という人気ロックグループのコンサートに出かけた。
私たちは、どう頑張っても、あの大騒音を『音楽』として聞く力は持たない。
「どうしても!!」とせがまれ、近所のおじさん、娘の友達、総勢4人で。

なんといっても半年前から自分で調べ、お金を貯め、切符を買い、待ちに待った!!
コンサートである。当日になって「ああ、カメラのバッテリーがない!!」間際になってあたふた荷造りするどっかの親に似てること(苦笑)
今日は日曜日。空いているお店を捜しまわったが、旧式カメラのバッテリーなどひょいとあるわけがない。

「全身で聞いてらっしゃい」と送り出した。

さてさて・・・夜もふけてきた。真夜中のご帰還。・・・・。かと思ったら10時ごろ帰ってきた。

「ああ・・・よかった・・・すごかったよ」
と興奮冷めやらぬ様子で話す。大音響の中で、絶叫したらしく声は枯れ、話し声はそれでも大声・・・そうでもしなければ隣の人とも話しもできなかったのだろう。
「そんなに頑張らなくても聞こえるよ」

「ママ、今までで一番ありがとうね。
このコンサートに行っていいよって言ってくれて本当に嬉しかった・・・」

翌日になってもそう、しみじみと言われると『許容』とはなんとも思いもつかぬところで、感動されるものだ、と思った!なんだかただ『行っていいよ』と言っただけなのに得した気分だ!

安心して寝入る姿を見ると、ふと『忙中閑』という言葉が浮かんだ。

{明日の音楽会が・・・ああ、まだ練習できてない!!もう時間が無い・・・ご飯も作らなくっちゃ!あしたのお弁当のパンも無い!
まだ、演奏会場に着いていない、大渋滞、弾く曲目が違う??着る洋服が無い!!お化粧もまだだ・・}

だいたい悪夢はステージに出る直前・・・で終わる。
だから夢のなかで『本番』を弾いたことはない。

処々の悪夢のあと、現実は、一つずつ取り組んでいって、時間が来て・・・終わってゆく・・・

『不安は一角を崩すこと』
それで全体の『できなさ』が見えてくる・・・・
ゼルキンの言葉で言えば
『漠然とした不安が大いなる難しさに変わる』
といったところだ。

すると『間』が生まれる。

ポカーンとすることができる。

私は忙しいのが好きらしい。それは要するに、漠然としたひまな時間に感じる不安よりも、『難しさ』は対処のしようがある・・からかもしれない。

なにもわざわざ『難しく』しなくてもよさそうなものだが、自らの性格!
『問題がないのに問題を作る』
それもみな、一瞬のポカーンとした『閑』を求めてかもしれない。

それでも『アポイントメント』なるものは演奏会とレッスン以外は、ほとんど不得手。
「よくそれでヨーロッパで暮らしてゆけますね」
といわれたことがある。

子どもたちが小さいころは気の向くまま、足の向くままよく散歩にでかけた。
『子どもの要求』に応えていたつもりだが、案外それを求めたのは、『私』だったのかもしれない、と思うようになった。

2007年10月 ブリュッセルにて
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