あこがれ
この間日本で久しぶりに電話した知人から「なかなか帰ってこないねえ~」と言われた。
びっくりした。
そういえば昔から「年取ったら日本」と決めていた。家族を含め周囲にもそのように言ってはばからなかったし、仕事もその時困らないようにと日本の仕事は最優先で取りこなしてきた。
子どもたち・・・の教育をめぐって小学生時代など、どれだけ「日本語で教えられたら」と思った事か!その時のあこがれが日本在住だった。親戚、実家、家族みんなに囲まれて暮らせたらどんなに良いだろう!旦那が外国人だという事が利点として活きると思った。
なかなかそうは問屋が卸さず・・・すったもんだのあげくベルギーの小学校に通わせた。
そうなったらまたフランス語の宿題を2度見れば私のフランス語も完璧!と思い毎日学校の送り迎えをした。しかしその夢は夢に終わり。
テレーズおばさんと知り合い演奏旅行の時は犬を連れて家に泊まり込みに来てもらった。彼女も今年80歳になる。その当時から一緒に育った子供たちは家族より強い絆でつながれているように仲が良い。
家事と練習と子育てに追われブリュッセル滞在が長くなると「あら、旅行だったの?大変ね、疲れてるみたい」と言われ、旅から帰ると「元気そうね」と声をかけられたものだ。カツヤクというのはやはり周囲の支援があって成り立つ。それがなく一主婦としてこなしながらのカツヤクは無理だ。それも異国で!
そうこうしているうちに子供たちも大きくなり、一人はついに家を出た。一人も3回も大学変えたのち、今のところ落ち着いて勉強している。なんといっても入学金がないのだからこんな自由な芸当もできるというものだ!
さて私は今回も時差が終わり、内臓も3週間ほどすると全てきちっと整っていく。
そして日本の雑踏を懐かしく思い出す。商店街のざわめき・・・本屋での立ち読み・・・妹との何気ない会話。母の施設への道、一緒に食べるアイスクリーム、友人たちとの会合・・・
展覧会の充実さ。電車移動の便利さ・・・寒いなかでのゆず湯。年末年始の様相・・・
今回は母が危なくなったこともあり9月頭から10月中頃まで日本にいた。
そうすると逆にスイスの山歩きの新鮮さ、ワインのおいしさ、日曜市場の鳥の味!とヨーロッパを懐かしく感じた。
「本当に私は英語やフランス語を使って当たり前のようにあそこで生活していたのだろうか?」と思うほどヨーロッパの日常からは遠くなる。
置いてきた弟子たち、いったいどうしているだろうか?
気合入れて最初のレッスンをしてみると以外にみんな平気で弾けている。中には6月以来聞いていない子たちもいたのだが。さすが大学生ともなると自分でなんとかするもんだ、と妙に感心してしまった。
ブリュッセル―マストリヒトの電車はいつも好きだ。春に1週間だけ白い花が車窓を飾った。きれい!
秋にはその木に赤いりんごがなっていた。りんごの花だったんだ!
リエージュからマース川沿いを走り、牛が草をはむ光景を眺めながらマストリヒトに着く。それから約20分早足で歩くのが健康の秘訣だ。何しろこの街ではよく歩く、それしか手段がないからなのだが、車が少ない街の空気はやはり違う。きれいだ。朝学校に行く石畳の道は荷物引っ張って歩くには最悪だけれどパン屋が開き、コーヒー屋が開き、薔薇のある小道を行くのは大好きだ。
「何でまだ日本に帰ってこないの?」
私の中ではそんな意識も薄れてしまったのかもしれない。
今ここで、どこにいても、やる事をやる。
音楽を通じてだからこそできる事。その幸せに感謝する。
2018年11月ブリュッセルにて