河北町からLa Roque sur Cèseまで、2018夏
そろそろ秋の風が吹いてきた。またあの長い長い灰色の空の始まりだと思うからベルギー人は夏の日差しに肌を出して楽しむ。どんなに暑くても日の光の下にいる。
南仏、という響きがヴァカンスの象徴であるかのように南に出かける人が多い。
私の夏は山形県河北町紅花資料館から始まった。初夏に開花する紅花、そのおまつりに出演するためだ。紅花は京都とも交流があり母言わく「朝のうちに摘まないととげが痛くてね~」紅餅と言われる紅を固めたものが最上川を経て北前船で京都へ。そこで着物になる。河北町の村の人たちはおひな様の衣装に化けて帰ってきたものを見て初めてその色あいの鮮やかさを見たと聞く。
今年はまた初めて日本にやってくるブリュッセルの生徒達と一緒に行う演奏会となった。彼らは数年前に卒業した子と今年終わった子たち含めて4名、1名はあとでやってきた。それぞれの国からみな違う飛行機で来るので集合場所東京駅八重洲中央口で果たしてちゃんと出会えるのか???
そんな心配もなんのその!今やWiFiさえ通じれば怖いものなし。メッセンジャーで電話しながら「いたいた」改札の向こう側にちゃんとみんないました。駅を案内し大きなスーツケースをガラガラしながら駅地下のお弁当屋さんをのぞく。わいわいきゃあきゃあでもない。なんかふつうに新幹線に乗りなんか普通にさくらんぼ東根に着く。駅を降りると風が少しは涼しいではないか!
猛暑の東京から来た私にとっては何よりだ。
温泉に泊まり、朝からつや姫の美味しいお米で日本食ごはんを食べ、練習する。4本ヴァイオリンの演奏会だ。昼には一寸亭の肉そば!かしわで出しを取ったこの冷たいそばは私の大好物だ!みんなにもぜひ味わってもらいたかった。
ほんの少し休憩して慈恩寺に案内する。檀家がないので人気がまるでない寺は実はとても素晴らしい。奈良東大寺大仏建立のすぐあとに建てられ仏像は平安時代から鎌倉時代、中央で作られたものばかりだ。天皇家とのかかわりを示す御文も見られる。密教の影響もうけている。天井に多数の絵が描かれている。絵馬の発端だという。
ゆっくり本堂を見て、外に出て鐘を突き、三重の塔を見る。釘一つ使われていない当時の技術にみな感嘆する。練習前なので皆ヴァイオリンを担いでの見学となった。
紅花資料館に到着。旧堀米家。私も小さい時には夏休みに来たことがある。屋敷蔵で練習した事もある。夜のトイレが外で真っ暗で怖かったこと。五右衛門風呂と呼ばれる木の板に乗って入るお風呂もまだ健在。なんと小さい事!御朱印蔵、小さなお社、そして広大に広がる川のそばの敷地に水車小屋が建てば言う事ないではないか!
本当は持ちきれずに寄付したのだがそのあと丁寧に保持してくださって本当に良かったと思う。山を背景にした屋外舞台も悪くない。気になる音響だがマイクを調整してなんとかなる。
あと心配なのは雨!
うすら寒いとも感じられる夏の夕方にぽつぽつとでも振りだしたら楽器もさることながらお客さんも聞いてはいられない。
翌日本番は幸いな事に何とか持った!
チゴイネルワイゼン、ブラームスのハンガリー舞曲、モーツアルトの魔笛、それぞれを4本のヴァイオリンに編曲してもらった。生徒達と弾く機会はあまりないのでお互い面白かったと思う。
次の日は神戸西脇で演奏会だった。しかし西日本豪雨で延期となった。
1週間後に行って見ると増水した川の名残の土砂が見られる。隣の岡山県は台風も滅多に来ないので大丈夫と以前乗った倉敷のタクシーの運転手さんが言っていたが、まさにそれがあだとなって今回の災害が起きた。心からお見舞いを申し上げるとともに早くの復興を祈ります。
つかの間猛暑の東京に戻り、いや異常、危険と言葉で言うけど実際その場にいないと実感できないのだ。今これを書いているブリュッセルでは長袖にセーター・・・温度、湿度、味、におい・・・風、どんなにネットが発達しても伝達できないものだ!
東京では気合を入れて外に出た。食べないともたない・・・がつがつ食べるのが習慣になるから秋は実は「食欲」より「味覚」量は少々?が正解だ。内臓は酷暑で腎臓もなにもかもくたくたなのだから。
2度目の旅行は花巻健考館合宿。2016年春にモーツアルトのヴァイオリンコンチェルト全5曲を一夜で、カメラータザルツブルグと11月に共演という課題を与えられ「果たしてそんな事が出来るのか?」と仲間を募って夏に合宿を行ったのが事の始まりだ。
昨年はバッハ・ブランデンブルグ4曲、
そして今年はその流れでバッハのコンチェルトシリーズ、管弦楽組曲も入れたがこれはまさにフルートコンチェルトだ。チェロの安田謙一郎さんは毎年来てくださる。ヴィオラの成田さんも去年から参加、いろいろ指導してくださる。ヴァイオリンは私の生徒達、そこで今回の4人もヨーロッパから参加となった。フルートは神田勇也さん、オーボエは荒木奏美さんが助太刀だ。頼もしい!
温泉、日本食、それも玄米に菜食に・・・そしてバッハに浸かる。音楽言語が深いところで共有できる幸せをかみしめる。一日午後だけ休講にして平泉中尊寺にも行った。
合宿の醍醐味は夜の飲み会にあり?最初は分かれていた世代だがだんだん一緒になって来る。誰かが押し入れでねずみの役をしてみんなきゃあきゃあ~~大笑いとなったのも貸し切りだからできる贅沢だ。
20日北上さくらホール演奏会を経て釜石へ。21日石応禅寺でコンサートする。
1600年代に建てられたという本堂は壁、天井ともに木の彫刻で満ち溢れ天蓋はちょうどチェンバロの頭上、木のヴァイオリンと時代も相まってちょうどいい音響を醸し出した。まさに洋の東西の融合だ!
昼間に震災で流された海際の宿、宝来館にお世話になった。静かで誰もいない。暑い夏の日何とも気持ちいい海の水に思わず足を付け遊びまくる私達。娘道子とクララは思い余って海に入ってしまった!
気持ちよかっただろうなあ~~~その上その濡れた衣服を乾かす間に旅館で浴衣を着せてもらい、温泉にも入ってしまったという・・
海開きはまだだという。まだ帰ってきていない人たちがいるから。
石応禅寺裏にはたくさんの新しいお墓があった。檀家さんでも280名もの方が亡くなられたと都築住職の話だ。
子どもたちと一緒に初めて4年前に訪れた時に比べだいぶ復興は進んでいるものの、過疎化はまぬがれない。
いつもいつも美味しいお菓子を差し入れしてくださる亀山さん、そして北上のFMラジオの田村さん、そして都築住職、今入さん達が中心になりお寺での演奏会が実現した。あんな凄い大震災があったのちも彼らのまっすぐな心には学ぶことばかり。脱帽だ。
深く感謝する。
夜のバスは途中突然止まった!熊をひいた、と対向車線からの連絡だとか・・暗くて見えなかったがどうも子熊だったようだ。母熊が出てくるのを恐れて誰も車道に出ない。かわいそうに・・・でもこれが現実。
翌日、北上泊まりのあと一路山形へ、毎年恒例シベールアリーナでの演奏会も10年目を迎える。継続は力なり、毎年やりたいものをやらせていただいて気が付いたらあらもう10年!?
室内楽から始まったこのシリーズも去年ブランデンブルグを弾いてオーケストラの演奏会となった。最初の頃音響で悩んだ。何しろ響かないのだ。ここは井上ひさしさんの芝居小屋。芝居ではせりふが聞こえなくてはいけないが音楽会は響がないとツライ・・・そこを試行錯誤、反響板を作ってくださった。なぜか舞台の響きが毎年よくなるのは積もってきたほこりのせいかもしれない。冗談ではなくヨーロッパのコンサートホールではパイプオルガンを入れるのに随分待つという。チリも積もり、安定した音響になったところで設置するのだそうだ。
シベールの凄さはなんといっても満員のお客様!毎年来て下さる。凄い事だ。
バッハのヴァイオリンコンチェルト2つ、管弦楽組曲とオーボエ・ヴァイオリンのコンチェルト。どっぷりバッハに浸かった時間もすべて終わり名残惜しいがこれでおしまい。
さて夕食会まで1時間ある・・・楽屋で待っているのもつまらないな~~と思い立って近くの蔵王大露天風呂に連れて行ってもらった。連れて行ってもらった、というよりシベールの佐島会長を拉致して超高速運転して山道をうえ~んとまわりまわり、着いたらヴァイオリンの番をしていただきその間にみんなで坂を駆け下り10分で露天に入って出たという、そういう人も少ないだろう。ずっと来たかった。緑の下蝉の声を聴きながら川で入る露天を生徒達にも味わってもらいたかった。贅沢を聞いてもらってありがとうございました。
帰りも今度は急降下の山道運転で一人は湯あたりを起こしたものの、皆無事宴会で舌鼓をうち帰京しました!
24日は活元会だ。仙川金子先生の道場にブリュッセルでも活元運動をやっている彼らと参加できたのは私にとっても非常にうれしい時間だった。こうやって輪がひろがっていく・・・
25日には母を招いての自宅での歌会、施設に入っている母、この暑さで弱っているのは言うまでもないが、娘と彼氏特製の手作りピザを食べて「花、赤とんぼ、からたちの花、最後は花は咲く」を歌っていく。友人の野崎春子さん、そして美濃部ゆうこさんにはお礼の言葉もない。私にとっても毎度心に残る母との思いでの時間となる。
そのあとロイ先生のお墓にもお参りした。この日はなぜか涼しく小平霊園内「清風萬里」と書かれた野口家のお墓までの散歩は心地よい。疲れた体に鞭打って小学生の時まで住んでいた目白も訪れた。結婚したら毎日このおせんべいが食べられる!思うほど好きだった味の店のおせんべい。まだやってる。目白平和幼稚園、落合第四小学校・・・一つ一つの角が、道がなんと小さく見える事か‼
氷川神社に下りる階段の手前で以前住んでいたような住宅を見つけた。ノスタルジックジャーニー・・・
猛暑の中、皆さんお先にすみません、とばかりにヨーロッパに帰る。
ところが着いたブリュッセルはなんと35度!
???
その上家には冷房もない。日本から持ってきた団扇片手に寝る事になるとは思いませんでした。
ブリュッセルはもう2か月以上雨が降っていない。少々の夕立では土地は枯れ、木は皮を落としてなんとかしのいでいる。
異常気象は世界中の話だ。
1週間後・・・
Aix en Provenceその響きに惹かれて?ピアノ弾きの友達、ジャンマルク・ルイサダの誘いに乗る事にした。ここでマスタークラスと演奏会があるのだ。
もともと南仏アレルギーというかハイソアレルギーのある私は「大丈夫かなあ・・」と半信半疑。それでも知っている私の生徒たちが来るわけだし、隈研吾がつくったというダリウス・ミヨー・コンセルバトリーでの講習会にも興味があった。
ミッシェル・ブルドンクル、クラウデイア・ペレス、この二人のオルガニゼーションは素晴らしかった!彼らは音楽家でもあり、また組織もしっかりしている。コンセルバトリーなので教室もたくさんあり生徒達も満足したと思う。
その上ホールの響きは天下一品。ただ案外湿気ている・・・これだけ何とかなれば最高だ。
エックスの夏・・・はなんといってもツーリストが多い。旧市街・・・マストリヒトと同じ感じ。またまた暑い。その上結構湿気ている。日本の様にことごとく気温と湿度を示すテレビを見ないのでわからないが体感温度はかなり高かったと思う。レストランのウェイターたちはくたくたの表情でそれでも深夜15名で突然訪れる私達に嫌な顔一つせず給仕してくれた。
Les nuits pianistiquesというタイトルのようにピアノ中心の講習会に私ひとりヴァイオリンの先生。かえって良かったかな?レベルもかなり高かったし。
連日朝から夜までのレッスンは大変だったし、その合間にバッハのシャコンヌを含むリサイタルをやるのには準備が必要だ。しかし自分たちの演奏会もまた生徒達のコンサートも楽しめた。久々に他の楽器、ピアノの生徒達を聞くのも面白い。主催者のミッシェルは全てのコンサートを聞いていた。2時間のコンサート4つ、なかなかできる事ではない。
初めて行った講習会だったが満足した。これで充分!
と思いきや・・・元弟子のニコラが1時間ぐらいのところにお父さんがやっているジット、宿があるからぜひ来ないかという。せっかくここまで来たのだからと迎えに来てもらってお邪魔する事にした。旦那をアヴィニオンでピックアップ、この街はローマンカトリックで重要な位置をもった。今でもその当時のパレスが残っている。有名な「アヴィニオン橋の上で」ではやはり灼熱の中かなりのツーリストがいた。確かダヴィンチの最後もここだったと思う。
オランジュを過ぎラングドック、オック語地域にはいる。オック語というと堀田善衛を思い出す。ヨナ・・の物語をよく読んだ。
私はどちらかというとケルト、またオック、あるいはメテオラの修道院(ギリシャ)など異端と称されるものに興味がわく。これは空海の密教に惹かれるのと同じことかもしれない。
不思議な偶然にわくわくする・・・7年前偶然に家族で唯一のトルコ旅行でカッパドキアに行った。そののち目が東に向いて子供の頃からのあこがれシルクロードに夢をはせたとき以来の興奮だ。その後その計画はシリア、イラン、アフガニスタンの政治情勢によって失われたと言いたいところだが実際はそんな時間は作れなかった!残念。
冷房のない窓全開の車で走り回る。楽しいなあ~~回りはブドウ畑。Côte de Rhôneローヌ川を挟んで美味しいワインの取れるところだ。Châteauneuf-du-Pape も遠くない。ロゼのTavel地方も通った。Chusclanという美味しいワインはChâteauneufのすぐ隣。同じ太陽と土壌を持ち無名な分安く手に入る。とても美味しかった。
ニコラは私と出会って習い始めて8年になるという。そんなにたったかなあ~?
ブリュッセルを最優秀で卒業した後パリのコンセルバトリー、またロンドンロイヤルアカデミーを首席で卒業してベルギーに戻ってきた。この夏日本にもやってきて3週間みっちり楽しんで行った。「そのお礼です」といい色々連れて行ってくれた。まだ26歳だ。
フランス素晴らしい村158のひとつに選ばれたという「La Roque sur Cèse」石畳の迷路のような坂道が続く小さな小さな村。盛り上がった山そのものが村だ。息を切らして登っていくとてっぺんに塔がありここで屋外コンサートもするそうだ。鳩小屋がある。当時鳩小屋を持てたというのは貴族の象徴だったそうで通信と食すること?若い鳩を食べた方が肉が柔らかいからとすべての鳩に手が届くように工夫された周り階段の中心棒の後があった。
心地よい風を受け坂道を降りる「子供の頃真っ暗な中よく走ってかくれんぼして遊んだんです。勿論転んで何度お尻打ったことか!」その道の名前も然り「お尻痛い通り」
裸足になって降りた。だって石は滑るしサンダルだったし。
釣りにも連れて行ってもらった。川は好きだ。海より湖より好きだ。流れている。
子供の頃春と秋、必ず丹沢の山歩きにつれて行ってもらった。どこに行くかの家族会議ではいつも沢を選んだ。尾根を伝いそののち沢に下りてバーベキュー、その用意をどんなに朝早くからしたであろう母の事を思い出す。私の子供たちにその半分もしてあげられただろうか?奥多摩の川2度ぐらい行ったかな?
今60歳になって釣り竿もって足場の悪~い苔の生えている石の上をぴょんぴょん歩いていくのは最高の注意を要する。だいいち釣りなんてやった事もない。
川の水は気持ちいい・・・魚なんているのかなあ~と思いきや瞬く間にニコラが一匹釣り上げた。私も釣り竿のテクニックを学ぶ。「フォルテピアノじゃなくてスフォルツアンド」と教えてくれるがなかなかタイミングがつかめない。浮きが沈んだら・・・すぐ引く。川の水面見てるだけで酔ってくる感覚もある。足場も確保しなくてはいけない。それでもビギナーズラックかラッキーデーなのか小さいのが7匹も釣れた。ニコラはPerche(パーチ)7匹。全部逃がしたけど・・・今度は塩してバーベキューかさばいて醤油で食べよう!
2日目は雨の中だった。それもまたよい・・・水滴が川面に落ちるのはドビッシーでなくとも音楽を想像する。昔ヴァイオリンのレッスンに行くときバスを待っていて雨がたたきつける様を母が「ほら、フォルテ、スフォルツアンド」と教えてくれた・・・
Grotte de la Salamandreサラマンダーの洞窟、なんと洞窟好きのダニエル、ニコラの友人はそこを購入して洞窟を点検、最大の注意を払いながら発掘して今は公開している。年間4万人訪れるという。「なんでサンショウウオの洞窟?」と聞くと「発見した時、最初のきっかけになった穴から洞窟内に落ちた熊がいてね。勿論30メートル落下で死んでいたんだけどその横でサンショウウオが生きてたんだ、だから」
パリジャンの彼は洞窟に惹かれ、村からそこに行く道まで作った。洞窟の中では光が見事に演出されまたゴングのような音も聞こえる、で、我々もヴァイオリンを弾いた。各所で響がちがう。「じゃあ4本ヴァイオリンあっちこっちで弾こうか?」と私、「でもお互い聞こえるかなあ?」「ではバート(旦那)に洞窟内につり下がってもらって懐中電灯で指揮してもらったら?」
想像はつきない。
ダニエルと
南仏・・・がだいぶ近くなった。
慈恩寺で大好きな密教の流れを感じ、ここLa Roque sur Cèseでまたオック語に近づいた。何かが私の中で統合する。それが大変心地よい。
たまたま読んでいた今野敏さんの本と現実があまりに一致する事が多くてそれも面白かった。
何より今まで一人で日本とヨーロッパとやってきた事、自分の中で自然と分けて会話にもしなかった、出来なかった時間を少しだけ共有できた事が嬉しい。フランスで河北町の話ができる。河北町でブリュッセルの話ができる。
またいい出会いをさせてもらいました。
感謝
2018年8月16日ブリュッセルにて