Here Now

これは加島祥三さんがタオイズム、老子の詩を英訳した中にある。
彼は英訳の仕事から老子に入り、また日本語に戻って詩を訳した。

少し私と似ていると思った。

学生時代、私の好みはどちらかといえば中央政権外郭環状線外?のようだった気がする。ドイツ音楽というより、フランスもの。これはカペー四重奏団、ヌブー、テイボーを好んで聞いていた父の影響も大きい。ヴァイオリンレッスンで与えらた曲目は多々あったが個人的には民族音楽、そしてそこから発展して作曲されたバルトーク、フィンランドのシベリウス、などに惹かれた。
ベートーベン、ブラームス・・と入って行ったのは実は室内楽の影響が多い。
バッハ・・・これは本当に背骨のように、昔住んでいた目白の洋室で初めて弾いてみたソロパルテイータ3番のプレリュードから始まり、ず~っとそばにあった。勿論ピアノのマグダレーナノート、インベンションから始まりフーガまでもいつも弾いていたような気がする。グレン・グールドの影響も欠かせない。ブラームスの間奏曲・・・
モーツアルト?生まれる前から、あるいは生まれたてから聞いていた。
それで子供たちにも「これだけ聞かせておけば大丈夫」とばかりにモーツアルトとブラームスのクラリネット5重奏曲ばかりかけていた。彼らが赤ちゃんの頃だ。

学生時代、洋楽に対抗するかのようにヨガや東洋思想にはまった時期がある。幼いころからヴァイオリニストにならなければシルコロードを歩く考古学者になりたかった。シルクロードの音楽というのはその当時あまり紹介されていなかったが、ギリシャ旋法から始まりインドのシタールの演奏会は父に連れて行ってもらった。
チベットの音楽、インドネシアのガムラン・・・小泉さんの民族音楽全集のレコードも買った。

あまりはまりすぎるのは若気の至りか、あるいは私の性格なのか、江藤先生に「西洋音楽は禅になっちゃダメなんですよ」と諭された。20歳の頃だ。父の死期の2年間ぐらいどこかに逃げ口を求めていたのかもしれない。

それからはエリザベートコンクールの準備をしている頃から10年間ぐらい、こういう「東洋思想」にははまらないように心がけてきた。
野口整体も知ってはいたが活元運動も知らず、ただ時折受ける高井先生の愉気が気持ちいいなあ~そのくらい。自分から活動したことはなかった。

子どもが生まれた。
これは一つの時代おくりだ。私だけという時の終わりでもある。
それまで活字にしたことがなかった事も書くようになった。
書く事、もまた吸い取られるようで、ヴァイオリンに対する集中が掌から砂がこぼれるように散っていく気がしたからだ。今のようにネットもフェースブックもなかったし!

そのころブリュッセルにいらした宮坂行子さんに活元運動を教わってそれが生活の中になくてはならぬようになったのはこの頃からだ。子育ても皆ロイ先生、金子先生、高井先生、それに家族の理解もあり野口整体で出来た。
愉気、どんなに助けられた事か!

子どもの要求に合わせて・・というのはともすれば「そんなわがままを許して」と非難され、特にヨーロッパでの「子供は大人ではない」の世界ではキツイ事もあった。それでもヨーロッパ人の中にも子供にきちんとわかる言葉で説明して抱きしめて過ごす人がいる。テレーズおばさんだ。どんなにありがたかった事か!子供たちは人の心がわかる人間に成長したと私は自負する。

それから教え始めた。
アジア系の生徒達の中には留学してやはり音楽がモノトーンになってしまう時期がある。江藤先生に諭されたように私も説明する。

生徒を中心に活元運動を一緒にやるようになってもう10年以上経つ。当たり前のように彼らは受け取る。手の敏感さは皆持っていて、私も随分助けられている。
将来彼らもどこかで思いだす事もあるだろう。

座禅・・・線香の煙は全く自由にあっちこっちにとぶ、す~っと登っていく。風のぐあいで柔らかな曲線を描き出す。夜はその最後の灯りがす~っと消えていく。

Here Now,
いまここで。
バッハを弾いても、またパガニーニを練習してもこの言葉は当てはまる。

年の効用で音楽が禅的につまらなく聞こえることも、またそういう心配をすることも無くなった。むしろ空想力が増す。静かな穏やかな気持ちになる。

面白いものだ!

                 2018年6月ブリュッセルにて













ページトップへ戻る ▲