線香一本

友達がミラノから座禅の講習会にベルギーにやってきた。
なんでも一休さんのお寺の和尚さんが座禅と茶道の講習のためにベルギーとミラノを訪れていらっしゃるのだという。京都、大徳寺、真珠庵の第27代住職、山田和尚。和尚は、坐禅の指導で、次いで行われる茶道は、ローマ在住の野尻先生、84歳の方だそうだ。リブラモンというリュクセンブルグ国境に近い奥地の修道院で行われたこの座禅会のあと、友達は一日ブリュッセルに逗留する。我が家で昨年も楽しい時を過ごした。

今年は「じゃなんか作る?」と台所に立ち日本語でのおしゃべりを交えながらのひと時だった。これは得難い。夜も更けて子供たちと犬と「蛍見に行こう」実は数年前森のそばで偶然娘が見つけた。水もない道路と壁面に飛び交う光たち・・・
はたして電燈一本ない森の中に行って見ると??
いるいる・・眼がなれるにつれ無数の光が飛び交う。「一人で来なくてよかった・・」と最近襲われたという宿なしの話も思いだすがこちらは5人プラス犬付き!ラッキー君はうんともすんとも吠えないけれど(苦笑)
近くに沼はあるがさしてきれいというわけではない。もしかしたら水面下で清らかな流れがあるのかもしれない。
メスを追うオスの蛍はクモの巣に引っかかったりと大変だ。
交尾するとそこで死ぬという。
なんともはかない蛍は簡単に手でも捕まえる事が出来る。手のひらで光っている。

だ~れもいない。きっとみんな知らないのだろうな。幽玄、蛍光・・・道子と二人で作った日本語158語、光に関する言葉をフランス語で言うと?の本は昨年の彼女の卒業制作だった。

そんな夜を終え、翌日は芳さんこと船橋芳信さんに座禅を教わったのだ。彼はミラノ在住38年、ちょうど私と同じ1980年にヨーロッパに来てそれ以来居ついている。オペラきちがいでガヴァッツエーニのスカラ座の常連だった。本業は洋服屋さん、本場本元イタリアでブランドを立ちあげた。手縫いの彼の洋服は本当に気持ちよい。大したもんだ!
その彼が座禅会にやってきたのだ。

「ねえねえ、どうやってやるの?教えてよ」
とほんの興味本位で娘、道子と3人で座る。オトコどもは「警策でたたかれるなんて嫌だ」とか「足が痛い」とか言って不参加。
お尻の下にちょっと固め、高めの座布団しいて、両膝は床に着くように。お尻と3点でささえる。両耳は肩の上?要するに頭が前に出ないように。そしてちょっとおなかを前に出す感じ。
ふむふむ、なんかす~っと気持ちよく収まった感じだ。眼は半眼で3メートルぐらい先を見る。閉じてはいけない。瞑想ではない。(何が違うかわかってないが)
そして呼吸をする。
鼻から吸って鼻からはく。その度合いは人によっても体調によっても違う。ひとつの約束はすってはいての一呼吸を数える事、1から10まで。それでまた1に戻り同じことを続ける。
それだけ!

と思いきや、湧いてくる雑念のためになかなかまっとうに数が数えられない。「あれ?今4数えた?」「11,12、いけない1に戻らなきゃ!」等々・・・だれにもわからぬ頭のうちの誰のでもない自分の呼吸。活元運動のように動いてはいけない。頭の中を空っぽにすることは同じだ。雑念を追わない事も似ている。手は右手をして印を形作る。ここでエネルギーを発すると愉気になるなあ~

さてさて・・・その呼吸のみ数える事に集中。最初はゆっくり呼吸と頑張ってもそのうち息が切れたり頭がくらくらするので自分に合った呼吸をするしかできないものだ。

「どのくらいやるの?」
「だいたい線香一本ぐらい」

その線香の長さにもよるだろうが長いと思えば長い。
す~っと立ち昇ったり風で揺れる煙を半眼で見ているとあきないものだ。
どのくらい経ったのか?

これが実はわからないのだ!何しろ線香は寸法がなくなっていくだけ。
「今、この時」の集中を要求する。
そうこうしているうちに燃え尽き、隣で騒いでいた犬もだんだんおとなしくなって寝ている。

人生の凝縮のようだとも思う。

                     2018年6月ブリュッセルにて












ページトップへ戻る ▲