怪我

我を怪しむと書いて怪我という。
大きな病気はあまりしないが怪我は結構5年に一度ぐらいやってる。

スキーでは学生時代膝の靭帯のばしそれでもオーストリアスキースクールの初日、絶対やめないと滑り続け帰りは駅の階段も危うかった。また20代後半もリフトから落ちた!10年ぐらい前は疲れていて子供たちに付き合いスキー場に行き、出来もしない直滑降やって転んだ。・・・滑り落ちながら怒りがこみ上げた。「なぜ?」この時は右手にスティックのひもがからみ・・・5日後に控えたモーツアルトのソナタコンサートではだんだん右腕がしびれてきた・・・がなんとか左ひざを使って5回終了。

娘の通信簿を取りに行く12月18日、雪上でなぜか新しいブーツにスカート?という普段しもしない恰好してすってんころりん!後頭部打撲。「いったい何を考えていたのですか?」とロイ先生に言われた。ブリュッセルだったので4日間暗いところにいて、そののちの眩暈も経験したが・・・2010年の事だ。飛行機に乗る頃には眩暈も無くなり、そののち突然のベートーベンのコンチェルト演奏という経験もした。

3年前にはイタリアで歩いていて突然穴にはまり左ひざ打撲。その時かばった手で肋骨も打ったのか折ったのか?痛くて笑う事もできず本番前にピアニストのリュック・デヴォスに「肋骨( Rib)が痛くないといいけど」というと彼は「I hope you have a spare.」つなげると「spare rib」スペアリブ・・でまた爆笑してその痛い事!ベートーベンのソナタだった。

昨日はまたその時ぶつけた同じ左ひざをやった。ものすごく暑い日差しの中、早足で汗だくになって歩き、急いでトラムに乗ろうとして段差がわからず・・ではまるでおばあさんだがおばあさんになる前から色々やっていたので、まあ~
そのあと終日音楽院での試験。足を下にしておくことが苦痛と思ったがそれほどではない。それより自分の体のあちこちを感じながら、またあれこれ考えながら生徒達のヴァイオリンを聞いた。

「生徒を取り込む・・」と非難されることがある。
生徒を育てるというのはかなりの集中力を必要とする。
親の気も知らず!と子供たちに言う事が多いが先生の気も知らずこのごろは簡単にあっちこっち行くのもいる。或る先生はそれを「盗み」とまで表現する。いまどきの生徒達はバッチェラー・マスターのシステムでバッチェラーが終わったら次の先生?と考えるらしい。そういうのもいる。しかしヴァイオリン上達にそんな切れ目はない。このシステムは良くないと思う。ほとんどの生徒に難しすぎる試験の曲。あるいは本当に才能のある子たちをひきおろす数々の義務・・・いくら電子化されようといくらシステムが統一されようとヴァイオリンを弾くという全てマニュアルな作業は時がかかるのだ。
私達の役割は世の中で通用するヴァイオリニストを育てることだ。
いくら卒業証書の紙きれがあったところで舞台にたてるわけではなし。

しかしながら生徒はやはり他人。
取り込んで指導しているという錯覚に陥るよりは自らを怪しんで磨くべきかもしれない。

時の流れも使いよう・・・しばし緩やかに流そうと思う。
和む・・・柴犬君の両耳を安心してだらりと横におろした寝姿。

以前「3日はしか」という原稿を書いたことがある。
時の波、4日の波はやはり関係あるかもしれない。今回はどうなっていくかなあ?

                      2018年5月ブリュッセル











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