時間

同じ1時間でも疲れているときと精気満ちたときとでは全くちがう。
急いでいるときと急いでいない時、いやな事をやっているときと夢中になって過ぎる時・・・

それらすべてを仕事とか勉強、社会とのかかわりと折り合いをつけて生きる。それが人の営みだ。
「もうちょっと」やりたいことを切って仕事に行く。
「もうちょっと」

活元運動というのはそれをひと時取り払う。
座禅、瞑想、祈り、みなその種類かもしれない。
呼吸に心を澄まし、背中の気に耳を澄まし、掌に力を集める。
それが愉気だ。

ただそれだけの事!

時間を止めるのは練習も同じことだ。
それこそ1分、いや3小節数秒のフレーズをどう弾きたいのか?全体の曲の中でそこがどういう位置を占めるのか?
どんな音色?
色?
光?
言葉?
そしてそれを音にするためにはどう考えて行けば良いのかをいつでもできるように道順を付ける。そのために色々試す。そして録音してみて客観的に聞く。
時がたち、だんだん身に着いてくるその数秒間・・・
曲を造り上げるとはその積み重ねの事だ。

そうやって造り上げた、いったん止めた「時」を何事もなかったかのように流すと愉気の気持ちよさに似た「心地よさ」うまいなあ~気持ちいいなあ~という事になる。

流しっぱなしではダメだ。
23時間流していてもいいから1時間集中する・・・

そういう職業に携われて私は幸せ者だ。

                    2019年5月ブリュッセル










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