飛行機
昔から飛行機も飛行場も好きだ。
えんえんと各駅停車で座っている次の日には国際線の乗客となる。各種手続きやコントロールを終えゲートから機内に乗り込むまでの解放感といったらない。
空に飛び立つ自由時間のすばらしさ!
閉所恐怖症でもあるのに不思議なものだ。
ヨーロッパ、ブリュッセルから東京への往復は年によって異なるが大体に4,5回ある。なにもそんなに行き来しなくてもと自らも思うのだがこの業界で40年近く生き残れたのも自ら航空券を払ってでも弾きに行く、帰る事だったかもしれない。
どちらに帰るのか、行くのか?どちらもだ!
とにかく弾きたい!
あの何とも言えぬ本番前の恐怖は筆舌につくしがたい。「que ce qu’il ne faut pas faire pour gagner sa vie ..」全く稼ぐために何という事をしなくてはならないかねえ~とよく友人のジャンマルク・ルイサダとステージに出る前にため息をつく。稼ぐというのは我々で言えば舞台に出て演奏する事なのだがそのための極度の緊張と興奮と疲れと・・・弾きだす前、いや舞台に足を踏み出す前の気持ちとは何とも形容しがたく心地悪い事の方が多い。武者震いもある。マラソン出発前のランナーのようかもしれない。心底疲れた気分になるのは何も時差のせいばかりではない。実際演奏会が終わってからの方がアドレナリンが上がっているせいか元気だ?
よく夢を見る。もがいてももがいても会場に着けず。着いてみるともう私の前の曲が始まっている。まだ着替えも出来ていない。その上どうも練習してきた演目とは違う曲を演奏しなくてはいけないらしい…畳を這ってひっかくように登り歩む自分がいる。
しかしいつもステージに出る前で夢から覚める。幸か不幸か結果どうなったかはわからずじまいだ。
演奏会とは練習の想像を超える。
何年やっていても「なぜこんな事に気がつかなかったのだろう?」と思う。
逆に2年間弾いていなくても細部まで体にしみ込んでいて本番中にじみ出てくる場合もある。全ては仕込み方による。また作曲家にもよる。バッハは置いておける。パガニーニもイザイも置いてはおけない。それこそ寝なくても練習した方が良い。
しかし私が好きで面白く練習する作曲家たちの大半はやはり冴えた頭と体で仕込んだ方が良いに越したことはない。
時差というのはその冴えた頭と体が根底から覆される事を言う。対社会において昼と夜が逆,まで行かずとも8時間違うといくら数日「我慢」して起きていても、また「寝よう」と執拗に試みてもうまく行かないものだ。何とも陽の光が眩しく何をするにも億劫な日中に比べ夕方5時ごろからなぜか元気が出てくる。これは日本に帰ってきた場合だ。そのあと世の中は夜モードになりそのうち周りは皆寝付くころ、元気いっぱいの頭と体で練習!するには周りを気遣って弱音器がいる。深夜のミステリー番組見放題・・で朝まで・・白白と明けてくるころ、以前は頑張って母の散歩に付き合った事もあった。なかなかしんどい。
布団の中にいても同じことだ。寝返りをうち何度も邪気を吐き活元運動をやったところで寝られないものは寝られない。本番前の緊張もある場合が多い。くたくたになりやっと寝付き、1時間でも寝られれば恩の字だ。朝の10時出勤などという地獄もある。何も機能しない。
それでも「頑張って」練習場に出かけたり外出したりしているうちに疲労がたまり夕方、あるいは夜の早めにバタンキュー。ぐっすり寝て起きてみると朝の1時、2時、それからの長い昼だか夜だかが続く・・・
「うふふ・・」の自由時間でもある。なんかご褒美もらったみたい?
今回はこの夕方睡眠を頑張って起きていたが結果は同じだった。やっと正常な気分で「目が覚めたら朝だった」にはやはり1週間かかった!医学的にすべての内臓機能が順応するには3週間かかるらしい。納得だ。年とともにその位経って普通に感じる事もある。
ヨーロッパに戻った時は逆で夕方には深夜の眠りにつく。朝の4時には「ピカ!」と起きてしまう・・・ここ一番と片付けを始めたり、おなかもすいてごはんの支度・・・家人は慣れているがこっそりやっているつもりの台所から漏れる匂いに一歳の柴犬ラッキーは律儀にお付き合いしてくれる。眠い目をこすりながら・・という表現は犬でもあるようだ。おかげで彼もすべての人に付き合って寝不足で数日疲れて昼間よく寝ている・・・
それでも時差は必ず治る。病気にかかったかと思うほど苦しい葛藤を超え気が付けば現地時間になり対社会も成り立つようになり、そんな感覚があった事さえも忘れる。
家人はそういう私を知り尽くしている。日本に帰ると母の住まなくなった実家でも妹が布団を干しシーツを新しくして冷蔵庫を数日分満たしておいてくれる。感激する。お風呂まで沸いている!
ブリュッセルでは逆についた途端寝てしまうのでほっておかれる。有難い事だ。
飛行機というのはその間をつなぐ自由時間。よく考えれば1万メートルの空中を飛んでいて何があるかはわからない。私が大好きなフランスの大ヴァイオリニスト、ジネット・ヌブーは昔飛行機事故で亡くなった。そのニュースを聞いたやはり大好きなジャック・テイボーは「願わくは私もそうありたいものだ」と言い事実その通りになった!
機内にいる私がこの原稿を「送信」できるのは地上に着いてからなのでこんなのんきな事を書いている。これも「間」のなせる業?
2018年1月22日
東京大雪になるというので一日早めた機内で。
で、無事着きました!