バッハ 2018年

人生にはタイミングというものがある。それが内的なものである時と外的に仕掛けられて気が付いたらはまっていたという事もある。
今回バッハのブランデンブルグ組曲全6曲をやらせていただくという話を戴いたのは2016年末の事だ。そこから話し合いがもたれ、楽器の設定、楽譜の設定、メンバーの選考、何より私自身の勉強を経て今年3月24日、バッハ333年の生誕年に333席の東京ヤマハホールで奇しくもバッハがブランデンブルグ公にこの曲を献呈したとする手紙の日付が3月24日という偶然の上に演奏会が成立した。

一曲弾くだけでも喜びに満ちるこの曲たち、バッハが一番幸福だった時に書かれたという。ブランデンブルグ公に献呈という肩書はあるが同時に「就職」も狙っていた彼はそれこそ全ての性格が異なる、楽器構成も異なる6曲を作った。色々な試みを思い切りやっている。それに浸りきった1週間はまさに至福の時だった。
箸も持てない・・ほど疲れるはずだった右手だがそれより全身だ。
力を使い果たした練習は心地よいものだ。
そのあと何をする気力もなくアスリートのように体力保全と食事をしてあとはひたすら眠った。そんな時間も全てブランデンブルグの音のためにある。

難しいソロ、絡み合い、まだまだ勉強不足の合図、そして合わせ方。みなさんの力を受けて成し得た事業だった。心から感謝する。

そしてそのあと1週間、春休みを装い日本にいた私は思いがけない早いソメイヨシノの到来で毎日のように野川べりを歩いた。今は施設にいる母の車いすを押してお花見ができた。川べりには菜の花が咲きほこり、澄み切った川の水は子供でなくても私でさえ足を付けたくなる夏日の日差し、気温。桜の真っ盛りと数日で散る風情を楽しみ、そうこうしているうちに今度は八重桜の見ごろ・・・鷺も現れてセキレイ、カワセミ、思いがけぬ日本の原風景の中に身を置く事ができた。

そののち私を待っていたのがマタイ受難曲だ。自ら「これは絶対行きたい!」とだいぶ前から切符をお願いしていたオペラシティー3月30日、バッハコレギウムジャパンの演奏会だ。
このグループには寺神戸さん、若松夏美さん、高田あずみさん、成田寛さん、秋葉美香さんなど友人も多い。鈴木雅明さん、優人さん親子も含むこのバロックオーケストラの演奏は数年前カンタータ録音を神戸で聞いた時そのあまりの美しさに仰天したものだ。なるほど世界をうならせる。

前の日の予習は欠かせず。3時間ご飯作りながらマタイにはまった。インターネットとは便利なもので音源を聞きながら歌詞を追う事が出来る。今施設に入っている母のおかげで楽譜もある。彼女は幾度か「マタイ」を歌ったのだ!家中大音量にしてコーラスを練習していた彼女の姿も私の糧になっているとは!

先週のブランデンブルグの折りの「和声のアプローチ」の裏づけをするように和音でふとした言葉のニュアンスを表す。例えばバラバスとイエズスの名前を連ねる時に。
例えば合唱の中で「あなたの・・」と暖かい音になる時に。

全く凄いものを書いてくれた。
バッハは背骨と以前言っていたけれどここにいたって心そのもの、それは全人生だ。
毎日発見する。
その事の驚愕的驚きと喜び。
今でも耳に残る付点のリズム、
驚くほどの集中力で、バッハの音楽の後はぐったりだ。

そして演奏会当日。
正直「客」としてマタイを通して聞くのはもしかして初めて???
昔学生時代にアルバイトで弾いた記憶がある。
そののちロッケンハウスで「Erbaume dich」を弾いた。何もわからずギドンに突然渡された楽譜。オーストリアの田舎で「すべての人が知っている」この曲をユタという素晴らしいアルト歌手と演奏したのだが実は冷や汗たらたら~~
そんな事も思いだしながら席に着く。変な話なのだが演奏会に行く、聴衆として聴くというのはあまり慣れていなくかえって緊張する。荷物をどこに置いたらいいか?たくさん渡されるプログラムの紙類のかさかさとした音を立てないよう。携帯の電源は切ってあるか?日本の聴衆の「静けさ」はまさに天下一品、逆に緊張してしまう!

バッハコレギアムの皆さんの演奏は期待を裏切らず、昨日の予習とプログラムのおかげで大変充実して楽しむ事が出来た。彼らはもう何十回とやっていらっしゃる事だろう。素晴らしい!
なんというエネルギーだろうか!圧巻だった。

それ以来はまっている。バッハ・・・

続けて今度はオーボエとヴァイオリンのためのコンチェルトを仕込んでいる。ブランデンブルグの折りから自分のパートを弾いて他の人、例えばバス、あるいは他の旋律楽器を歌う練習をしている。自分のところだけでは簡単に弾けるつもりなのだが実はそうではなく、身に着くというのは時間がかかる事なのだ。家人は私が気が狂ったのかと思ったようだ・・・何しろ左手が忙しい時は頭の中でいくら「レ、ミ、ソ」と思ってもなかなか言葉に出ないのだ!逆に右手が忙しいと出る。もしかしたら言葉の頭脳は左手と関係あるのかな?右脳??

波紋は広がり「いったいどうやってキリスト教というものが誕生したのだろう?」と疑問を持った。ネットで調べるぐらいしかできない。
古代・・と言ってもキリストの「復活」を見た人から弟子たちを通して、それが宗教として確立していく過程はその時々の人々の必然があった、としか考えられないほどだ。

しかしながら私の感動はやはりバッハの音楽にある。
和音の陰影を聞いていて老子を思う。水の流れを思う。

それが音楽の凄さだと実感している。 2018年4月ブリュッセル







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