あいまい

イザイの5番を練習していて今モーツアルトに移った。今秋ジャンマルク・ルイサダと弾くソナタの仕込みだ。
なんという違い!
当たり前のことなのだが、モーツアルトの出だしの音をきちんと思い通りに出せるようになるまで30分かかった!
これでは間に合わないではないか!
今までも何十回と弾いているソナタだがそのたびに自分の出す音の拙さに愕然とする。
テープに取ってみると恐竜的遅さのヴィブラートや、やったと思った表現が全く出てきていない様・・・そこからが勝負だ。
しかしながらこれまた面白い事に毎回発見がある。指使いも違えてみたり、ボーイングも逆にしてみたり、足で拍子をとり、漢字の一字を当てはめて感情移入の段階を作ったり、はたまた外の景色を利用してその木々の色合い、天から地中までを想像する。遠くに音を飛ばす意識、何しろコンサートホールは広いのだ。それには心も使わねばならぬ。
心身ともに疲れるというのはこういう事を言うのだ。
何回も全力投球でリピートできるなんてうそ。
使った心を休ませなくちゃ、と昔ヴェーグが言っていた。それでゲネプロと本番の間も必要となる。
あいま・・・

これに一字つけると
あいまい・・

関連性があるのかどうかは知らないけれど、ここベルギーという国は何しろあいまいだ。
19市町村に分かれているブリュッセル市ではその上フラマン語とフランス語で討論するので何も先に進まない。道路工事に至っては「はい、ここまでやりました」その先は他のコミューン・・・しかし「予算がありません。騒音で住民から反対の声が」そういってもやりかけた工事どうするの???日本人の徹底さからは想像もつかない。

イザイの曲にその「あいまい」を見つけた。そういうとイザイ信奉派にお目玉を食らうだろうが、以前は何か突き詰められないいらいらした感情、かといってバリバリ弾けるわけでもない私は結局弾いても中途半端に終わってしまうので手を付ける事が少なかった。
何の因果か?夏以来活元運動やって体が変わってきたのか?このところ結構真剣にやっている・・・突然8月に6番のソナタを練習し始めた。21歳の時学校の試験で弾いて以来だ!
フィンガーオクターブという難しい技術やら色々出てくる。今でこそ若者は平気な顔して弾くけれど当時は超絶技巧の最たるものだった。
なんか毎日ああでもないこうでもない・・とやっていて面白くなってきた。

ついでに(といったら失礼だが)5番も練習。イザイが海の家で生徒たちを集めて合宿中。朝起き掛けに彼らが練習を始める音がする・・すなわち調弦だ。外は朝焼け~~という出だしで始まり、2楽章はルステイック、舞曲、いかにも体格の良いイザイが足踏みしているような曲にやはり超絶技巧が混ざる。そういえばコンセルバトリーの入り口の階段は長年踏まれ中央がへこんでいる。「イザイが通ったからね」と私達は言う。
昔ギドン・クレメルがエリザベートコンクールで演奏した。そのヴィデオを見て唖然・・・脱帽です。

楽譜をみていくと6つあるリズム型の中に5つしか音列がないことがある。なんか適当にスライドしてくださ~いと書かれている。そしてそれで充分演奏できる。あるいはなんだかこの2拍余ってるなあ~と感じる箇所もある。ま、そういうものだと思えばいい。
一つ一つの飾り音にも一々注釈がつく古典もの、モーツアルトとはえらいちがいだ~~

昔はそれが嫌だった。
でも今はそれもありかな~と思う。
ヨーロッパ共同体、EU委員会、離脱するかしないか…加入するかしないか…政治の世界は忙しく実施作業ははかどらず。
しかしベルギー気質は変わらず。音楽も食べ物も!
そんな国々の集まり、それがヨーロッパだ。
                 2017年10月ブリュッセル





ページトップへ戻る ▲