その時々の初心にかえる
世阿弥の言葉だ。
よく「初心に帰ったつもりで」という。
その内容を貫徹しなければと思う。
しかし内容とは、また気持ちとは変化するものだ。
だからこそ「その時々の」は大変意義のある言葉だと思う。わくわくする勢いがある。
9月からマストリヒト音楽院のレッスンが始まった。新年度開始だ。
今年は10月も11月もあまりいないのでブリュッセルも含めて8月末からレッスンしている。まだまだ親許から帰ってきていない生徒もいる。あるいは夏のあと体調を崩して「病気です」とドタキャンする輩もいる。か弱いものだ!
さて新しい生徒の多いマストリヒトで最初に教えるのがボーイング(運弓法)だ。開放弦といって左手の指を抑えずゆっくりした右手の動きだけをやる。昔江藤先生にもこうやって教わった。いつも奥様のアンジェラ先生がその過程を見ておられた。私は高校3年という遅い時期に江藤先生につき始めたのでとにかく早く江藤先生に見ていただきたく、超高速でやった記憶がある。「こんなに早く教えたことはありません」と後でアンジェラ先生に言われた。必死だった。
自分で悩む事も必要だが先生に着いたら毒を食らわば皿まで・・ぐらいの気持ちですべての考えを聞いた方が良い。そうじゃないと結局何も言ってもらえなくなる。昨今先生を渡り歩く若者たちはたくさんの情報を得て得をしたつもりになっているがこれは間違いだ。クリスマスとお正月を色々な国でやってもちっとも面白くない。それまでの道のり・・・があるから期待感がある、うれしさがある。挫折の過程を追う事もなく全てを他方、先生、または楽器、環境のせいにするのはどうかと思う。
たまには「時が解決する」と待つ姿勢も必要だ。
話がそれたが、ボーイングを1時間教える、それだけというのは生徒はもちろんのこと私にも集中力が科される。ラ~~レ~~~ソ~~ミ~~~それから移弦、手首、指の使い方、左手の指ぐらい右手の指も大切なのだ。そして肘、肩、姿勢をじ~っとみて何が悪いか、なぜそうなるのか見て・・・
本当に十人十色違うのだ。
才能のある子、頭の良い子は呑み込みが早い。かといって身に着くまではやはり紆余曲折ありレッスン4回後の慣れたころまた昔の悪い癖が顔を出すのが多い。数年たっても「あなた何年私に付いてるの?」と思うほど私のボーイングをまねていない生徒もいる。つい弾けるのでコンクール、コンサートと露出してしまうとその機を逃す事もある。
仕方ない!またやり直し、子育てならぬヴァイオリン修行もまた「らせん階段」いつでも修正できるのだ。
そういうわけで新入り3人にとことんボーイングを付き合っている。スケールをゆっくり・・・
私自身も影響を受け練習するとき大変役にたっている。おもしろい!
これぞ私にとっての「その時々の初心にかえる」にほかならない。
昔野口整体のロイ先生が「初等講座の重要性」を盛んに言っていらしたことを思い出した。
そのマストリヒト行きがまた傑作だ。
だいたいは主人に送ってもらっている。車でドアからドア1時間半ぐらい。それなら帰れるだろうと思うがレッスンの後は話もできないくらいくたびれるので泊りがけ。その荷物やヴァイオリンをあの石畳みばっかりの中世の街で運ぶには全て手で持たなくてはいけないのだ!常時空港でも駅でも道でも使っている小型車輪付きのスーツケースは一夜にして壊れる・・皆同じ経験をしているのかナイトマーケットではよくスーツケースを目にする・・・
電車で行く場合、ブリュッセルの家から駅まで10分歩いて電車2回乗換え、またマストリヒトの駅から15分歩く。マース川を渡り石畳の広場を通り過ぎると学校に着く。その間、持ち物はすべてリュックサック。せめて腕が疲れないよう昨年からついにヴァイオリンを背中に担ぐようになった。その上超軽量のリュックに楽譜、衣類などを詰め前に抱えて歩く。雨の多い街にふさわしくレインコートにフードという60歳のおばあさんに自分がなろうとは全く想像しなかった事だ。
マストリヒト、この古い大学街では当然若者が多くまた川と運河沿いの街並みは道が細く車が通れず。皆俊足の自転車で駆け抜ける。あるいは歩行が常だ。
空気が違う。沢山の人がいつも広場のカフェで集っている。何を話しているのかなあ~といつも思うがみな楽しそうだ。道を聞いてもお店に入っても親切に丁寧に説明してくれる。
同じ石の街パリでは数日すると疎外感にさいなまれたものだがここでは生徒たちもいるのでいつも感じるヨーロッパの冷たさはあまり感じない。
結構はまってる。
2017年10月マストリヒト