ゴッホと仏陀と音楽家
ゴッホ美術館に再訪して以来、また同時期にヨーロッパで自分のところ以外の活元会に参加して以来、ゴッホの手紙をまたひもとき、片方で「禅、チベット、東洋医学」の本を面白く読んだ。もうだいぶ前に買ってあったのだが集中力にかけていて読めなかった。
その中に思いがけず野口整体の事も出てきて全く偶然とはいともおかし・・面白いものだと思う。と思っていたらゴッホの手紙の中でも「壮大な計画より日常の偶然から目を開かれること、それを糧にして作品の創造に徹する事の方がよほど良い」と言った主旨の事がかかれており、大賛同。またまたびっくりした!
藤田一照さんは曹洞宗の偉いお坊さんでアメリカにも長い事お住みになった。そこで禅を教え、また身近に「どうやってアメリカ人が禅をとらえているか」という事と遭遇してこられた。「悟り、10日間コース」などいかにもアメリカらしい。しかし日本にも「寿司職人3か月養成講座」がある。
なんでも期限を区切り、またその「結果」をあらかじめ確認しないではいられないのは今の風潮だ。デイプロマ、卒業証書、紙に書いてあればわかりやすいという事か!
私のヴァイオリン教師仲間で「私はあなたの言う事をすべて聞いて一生懸命練習します。寄ってあなたも、3年経ったのちに私がきちんと職を取れる一流のヴァイオリニストに仕立て上げるという契約書を書いてください」と言われてひっくり返ったのがいる。
オルガニック・・とは全体を言うのだがこれはヴァイオリンを弾く場合でも同じだ。
中学、頑張って高校生ぐらいまでは「天才的にうまい、指が回る」がすべてを許す事になってもその先は?たたみかかる人生の危機、ならぬ選択肢をどのように選んでいくのか?先生をどのように選びそして付き合っていくのか?ましてやこの業界次から次へと落とし穴がある。その時どのように切り抜けるか?へらへらと笑っていい加減に過ごす時期もあるのだ。「いい加減」とは良く言ったものだ!自分を守る事にもなる。
それでも身に着いて残って行くものは指の周りの速さではなく「心」だ。
音に現れる。
そのために頑丈な肉体、繊細な神経を守る強固で緩やか、柔らかな精神が必然だ。勉強しなきゃ。それを修行と言うのだ。またその過程は楽しいものだと思う。だから続く。
生徒の一人が「私は来年どうしているかわかりません」と不安がるので「私自身37年間来年食べていけるかなあ~」と思って生きてきて今だにそうだよ」と言ったらびっくりしてた!
さて、来年何をしているだろう?年を取ればそれなりにルティーンが成り立ちまさか世界の果てに消えているとは思わないけれど。数年前の夏降ってわいたような唯一の家族4人旅行トルコも偶然だったから何があるかわかりません。シルクロードを歩きたいけれど今は危ないしねえ~「これ以上仕事作らないでくださいよ」とさる外交官に言われた事もある。危険な目にあえばお世話にならざるを得ないしね。
思わぬ集中力をもらったこの8月、これもポカーンとしたのがよかったかな。ちなみにvacation とはvacancy「空いてる」「空っぽ」から来た言葉だ。
時間と場所がなくても「出家」したように座禅を組めばとりあえず元にもどれるでしょう、と本の中で永井さんと藤田さんがのべておられた。座禅が組めないけどなんとなくわかる。
仏陀の最後の言葉は「とにかくしらふで頑張りなさい。人生、巷ありとあらゆるところで酔っぱらっちゃってるでしょ?わいわいがやがやと。それをまず静に一人になってしらふになってやってごらんなさい」という事ではないかと藤田さん。よ~くわかるなあ~~活元の意味も「ゼロ」にセットする事だ。湧いてくる妄想も雑念も [ welcome ]
だけど追わない。
練習、あるいはゴッホの絵の描き方はとにかく集中だと思う。全身全霊、肉体の隅々まで研ぎ澄ましてそして体力の続く限り描く、練習する・・その時はいくら私でも「酔っぱらって」はいられません!
と、かくも自分勝手に偶然を解釈して納得して今日も良い一日でした!
2017年8月ブリュッセルにて