震災から5年が経ちました。復興コンサートをめぐって
2011年3月11日。日本・東北地方で未曾有の天災が起った。その時東京の自宅で時差の眠りの中「いい加減に揺れが止まってくれないと、起きなきゃいけないじゃない」と演奏会を明日に控えていた私は半ば怒りモードでいたことを記憶している。しかしながら地震は止むどころかだんだん強くなるではないか。「仕方ない」ぐらいの気持ちで起きだし着替えをした。
その後にあんな凄い津波がくるなんて、それをまたテレビの映像で実況で見る事になるなど誰が想像しえただろうか。
原町駅で下車して南相馬ゆめハットで演奏会を行ったのはつい震災の1週間前の日だった。その後ピアノの津田裕也さんと仙台まで戻った。次の日仙台空港から戻ったのであの海岸線の風景はよく覚えている。
津波の画像で送られてくる仙台空港は飛行機がなく、しかしすべてまるで映画を見ているように流されている。川を上って波が来る。それを橋の欄干から眺めている人たちがいる。その後の映像は途絶える・・・
あの日から数年経って釜石、宝来館の岩崎昭子女将に聞いた話なのだが、
「津波は引く波が怖いんです。今でも大槌湾にはそれで遠くまで流された方がまだたくさんいらっしゃいます」
「そして次に起るのが火事なんです。船や家、建物の中にあったガスボンベや石油に火がついて火の海になるんです。そしてそれが次の津波の時に襲い掛かってくる。ここのお寺さんもそうやって焼かれたところ多いです。」
まさに地獄絵だ。
私の知人たちの安否も気がかりだった。余震も後を絶たない。
そして福島・・・「何でもありません。心配ありません」という政府広報の違いに気付いたのはロンドンについてからだった。そこで話した友達から「お前、あれは大変な事になるぞ」
5年経った今も海に流出している汚染水。
ベルギーのメデイアは震災後5年を経た昨日のニュースでその事を取り上げた。
私達がベルギーで行ってきた「復興コンサート」も6回目、5年を迎えた。自己満足と言われればそうかもしれない。ベルギーで演奏会を行ってそれが被災地にどんな効果をもたらすのだろうか?現地に行って慰問公演をするわけでもない。
それでも年々増えていく現地ベルギーの人たちはこの公演をサポートしてくれる。楽しみにしていてくれる。何とか心に寄り添いたい・・・
マルタ・アルゲリッヒさんはもう3度も出演してくれた。ミッシャ・マイスキー・リリー・マイスキー、酒井茜さん、リュックデヴォスさんも2度目。今年は仙台出身の若手ヴァイオリニスト大江薫さんにも弾いてもらった。ちょうど日本とベルギー友好150周年記念の年でもある。
大きな会場を借り、印刷物を作り、宣伝もする。スポンサーの皆さま、ボランテイアNPOの復興チーム、私の生徒達、そして家族の協力がなければできない。
それでも演奏家たちは皆無償出演だ。
義援金は仙台文化振興財団と被災地にピアノを送る会に寄付させていただいている。
マルタと共演する機会は滅多にない。今回はバッハのヴァイオリンとチェンバロのソナタを共演した。超過密スケジュール中それでも時間を割いてリハーサルをした。前日夜中にシュトットガルトから戻ってくれて朝の1時まで練習をした。そのたびに発見がある。なんてきれいなピアノの音なんだろう?「この曲初めて弾くの」勘で弾いているのにすべて辻褄が合う。何よりリズムの正確な事と弾みがある事。テンポに確固たる脈が流れている事。そして歌う・・・通常待ったり止まったりのハンディーが全くない。その上私の意見を請うのだ「教えて、説明して。どうしたらいい?」最初は「そんな・・」と控えめだったがフーガの成り立ちや喜游部の成り立ちを話す。納得するとがらっと演奏が変わる。説得力がある。ラルゴの最初の左手をどう弾くか?右手のスラーをどうするか?探求はつきない。
私は隠し録ったテープをそのあと聞いて彼女のリズム感の確かさに脱帽だ~~私の未熟なテクニック、崩れそうな箇所もよくわかる。全身全霊でリハーサルしてもうくたくた!
肩も首もかちかちの本番の日。家にいた左門が背中に手を当ててくれて、最初は出なかった活元も少ししてやっと出てきた。どのくらい動いていただろう?
ゼロには戻らなかったかもしれないけれどかなり筋肉痛も取れてきた。
リハーサルゲネプロ・・・メンデルスゾーンのピアノトリオから始まる。ミッシャのチェロの音は年を追うにつれなめらかになる。その音に乗っかる、身をゆだねる心地よさといったらない!しかしこのあとブラームスのホルントリオ。それにバッハのリハがあってそのあと本番??
だんだん硬くなって弾けない。自己嫌悪に陥る。
娘いわく「でもね、今自己嫌悪に陥っても始まらないでしょ」
その通りです。だましだまし、痛くて練習もできないなら本番を目指して休むしかない。
その辺の心理と体の状態というのは不思議なものだ。実際弾き始めてみると意識して「痛い」と感じている部分ではないところに違和感があったりする。逆にあんなに緊張していた部分がケロッとふつうになる事も多々ある。
復興チーム一丸となった宣伝力のおかげで同日同じ狭いブリュッセルでロンドンフィルが弾いているにもかかわらずホールはほぼ満員となった!
司会はパパ、石井大使のスピーチ、そして演奏・・・5年間集大成のプログラムは娘が作った。
そのプログラムを売るノウハウは息子とその友達、「ミニ経営」のやり方で。生徒たちも付いて回った。200冊ぐらい売れた。これも義援金に回す。
本当に演奏者みんなうまかったなあ~~
そして自分が弾いていない時は舞台後方にある客席で演奏者が皆聞いていた。それも実に良い風景だ。なんだかみんなでこの日、この感情を分かち合っている。
マイスキー親子のラフマニノフのボカリーズ、エレジーを聞きながら東北に振る雪を想った。11日の夜降った雪の為に屋根の上で低体温症で亡くなった方がたの事を想った。
津波の映像・・・そしてそれからの並々ならぬ努力を日々行っている人たち。
彼らの笑顔を想った。
一夜明けて・・・
私は日本に旅立つ。珍しくそろってみんなで空港まで送ってきてくれた。明日パパはオランダへ。息子は大学止めちゃって今はアイスクリーム屋でバイトしてる。昨日私の演奏を緊張して最前列で聞いていた娘の道子は私が演奏会後若返ると反対にげっそり疲労して、夜は友達と飲みに行った。
それでも空港ではきゃっきゃっと幼少のころのように戯れている子供たち。
見つめる両親。
そんな4人がそろった時間「またどっか行こうか?」
思えば唯一の家族旅行トルコも2011年の事だった。
我々家族の5年間でもあった。