弧と独

孤独、とよく一緒に使われる言葉だがこれを分けて立つという字を加えてみるとおのずから意味の違いが明確になる。
「孤立」は疎外感をともなう。孤立した島、孤立してしまった自分・・どうも他者からの働きかけや影響を受けて、そうなる気もする。
「独立」自分の足で立つ。自らの意志とまで行かなくても自分からの働きかけで起る。

実はその差は大変なものがある。

そう気が付いたのはこの年末だ。

9月から独立?してマストリヒトで勉強している息子左門と「どうしても日本に行きたい!」という彼の希望で「じゃあ早めに出るか」と年明けにある仕事前年末21日に日本に帰ってきた。これから思いがけない空白の2週間。

のはずだった・・・

12月17日に自室の床でちょっと滑った母。「痛い、痛い」から始まり結局大腿骨骨折という診断がくだった。「手術は嫌だ」という彼女を妹夫婦、私と左門、それにケアマネージャーの方が看護師さんもつれてきて話をする。説得する、というより「じゃあ立ってみようか」と母を促す。必死の形相で車いすから立つ母・・・「大丈夫」というが看護師さんは優しくも「でも足でなかったねえ・・」と母の目を見て語り掛ける。「せっかく左足あるのにもったいないねえ」骨折したのは右足だったがだんだん両足とも一歩たりとも前に踏み出せなくなっていたのだ。
ケアマネージャーさんたちの「話を聞く」姿勢と決して強制はしないのにその家族を良い方向への決断へ導く姿に私は感動した。

さて「手術受ける」と決断した母。翌23日には入院、25日には手術となった。それから麻酔が覚め、いやまず入院という42年以来の経験はどちらかといえば独立したい、独りで立ちたいと思う彼女の願望とは程遠く、「病室がいやだ、地獄のようだ、」という。麻酔から覚めると「あれ?まだ生きていたの?」す~っと血圧が下がり「これで終わりか」と思ったという。それでも「あれも片付けなきゃ、毛糸も出しっぱなし」とか色々雑念が沸いて戻ってきたという。ナースステーションのとなりで良かった・・・
87歳の高齢でさぞかし体は大変な思いをしたのだろう。
それからはほぼ順調・・とはいえまだまだ気は抜けない。波がある。思い切り金切声をあげるがごとく歌を歌う日、落ち着いて今度は「私はなまけものなの」と車いすを押してもらう方が心地よい日・・・今年の冬は本当に穏やか、外の空気が気持ちよい。
そんな毎日をみんなで付き合って濃厚な「おばあちゃんタイム」の年末年始だった。

病院が二子近くなので多摩川が近い。夕暮れ「影富士」が見えないかと、息子と川辺に行く。何だか一人になりたそうな左門。それはそうだろう。ブリュッセルにいればほとんど顔を合わすこともない。まして今はマストリヒトに住んでいる。私はどこかで息子とデートしているみたいな気分の日本滞在の気持ちを隠し切れない。独りになりたい彼とくっついて居たい私。日本語は書けないけど話せる19歳にもなる子供の電車の乗り降りを気にしたってどうなるものでもない!子離れできないも甚だしいのだが・・・

昨日も病院での私のおしゃべりが長引き夕暮れの日の入りを逃した。次の日「じゃあ多摩川べりで」と言ったつもりの私。「じゃあね、バイバイ」と言って一足先にでたつもりの左門、どうも話が食い違ったようだ。
もし私が彼の年齢、立場だったら・・・・夕暮れ時川べり・・・彼氏と来たい、誰かを想う、そういう時間にしたいよなあ~19歳・・・と心ではわかりつつも目は息子を探す自分。はたまた「こういうどこにいるかわからないような状況、例えば戦後に復員してきた子供を探す、はぐれた難民たち」などを想像してしまう私。

話は変わるがこの「難民問題」あるいは「IS」に行ってしまう若者たちの事はベルギーでも毎日話題になる。フランス語圏でフランス、ベルギー、チュニジアなどに住むイスラムの家庭の若者たちが圧倒的に多い。彼らは勉強も思うままにならず、仕事もうまく取れない。失業者が多いのはどんな状況でも決して幸福な社会ではない。皆自分の足で立ち独立したい。それがフランス語は堪能だが結局人種差別もあり、また学歴も低いまま西欧社会に受け入れられず「自分の居場所がない」と孤立した気持ちになる。そこに付け込んだのが「宗教」だ。ジャーナリストの江川紹子さんがオウム真理教に走った若者の例を示して「宗教家と言える人たちはどうして若者たちがそのような心境になっていったかを家族も含めて話し合い、根気をもって説得、導かなくてはいけない」という。確かにその通りだと思う。異文化に入るにはまずその国の言葉、習慣を学び、なじむことはその国に住むエチケットでもある。いくら自由だとはいえ、ただ勝手に自分の思想や習慣をそのまま持ち込んでは混乱を生むばかりだ。ベルギー人の先生方はクラス内90%がイスラム系の小学校で「良きベルギー人」を育てようと必死になっているのだが・・・
心の中は独り・・・みんなそんな青春時代を通るものだ。しかしどこかで風穴があき「な~んだ」と納得したり、または時が経ち皆それなりの人生を歩む。そんな逃げ場がなくなり孤立してしまっている若者がフードをかぶり、耳にはイヤフォンで声をかけても振り向かない状況になったのは我々大人に責任がある。

川べりに一人でたたずんでいる姿を見ると「あっ」と近寄ってみると違う。何しろ時は夕刻、それにこちらもだんだん視力が衰えつつある。なかなかみつからない。それでもなぜかそんなに遠くにはいっていないだろう・・とまたまた一人たたずむ若者…「あれが左門じゃなきゃもう帰ろう、」と近寄ると・・

「何で来たの?」
「だって・・・」
「せっかくやっとほっとしてたのに。自分で何やったかわかってる?」
「・・・・」

ゴメンナサイ・・・が出ないへそまがりの私。
「8月からず~っとひとりで大学で勉強(travaille)してきて日本で病院とうちばかり、少しはほおっておいてよ」これが本音だろう。本当に彼は献身的におばあちゃんに尽くす。愛嬌を振りまいて病室中明るくしてくれる。
それなのに私は「travaille ってたかだか4か月でしょ。ママなんか58年働いてるよ!」と捨て台詞を吐いてしまった。
さっさと歩きだすとしばらくして「仕方ない、」とついてきた彼。「こういう風にこられてママ置いていくわけにいかないでしょう。でも自分でやった事わかってる?いつもそうやって雰囲気ぶち壊すんだよ、ママは。」
「・・・・」

結局「うるさい、偉そうな事ばかり言うな!」振り切って帰った私。実は彼の言葉は痛いほどよくわかる。その通りなのだ。
バスに一人で乗り「ああ~このつけを払うのは高くつくな。これで数年間口きかなくても私は責められないなあ」
孤立、という言葉にふさわしい、なんとも寂しい一人夜の帰り道だった。

数年待つこともなく相手も大人になったもんだ。結局多摩川からまた病院に戻った左門は妹夫婦と一緒に帰ってきた。時は大みそか。神棚に手を合わせ、仏壇のおじいちゃんたちの位牌にも手を合わせ、あとでぽつんと「ごめんね」

明けて正月3日、左門もブリュッセルに帰り、また病院通いをした。
今日の帰りは一人で歩いた。かねてから岡本民家園あたり、小川の流れる国分寺崖線を歩いてみたかった。下山神社を降り、ぽかぽかと温かな日差しの中なんと気持ちの良い事だろう。野川まで来ると左門と見た山の風景が現れる。
寒い晦日の中「孤立」した私の気持ちとは正反対に独りなのになんと満ち溢れている事だろう。この気持ち「独立」自ら歩き出すことの快感をかみしめた。

子離れするにも「独立」が必要なんです。
年を取るにつれ頑固になります。言い訳ですが仕方ない。
なかなかやわらかな頭と心、それにくじらのような頑強な身体(武満徹)を維持してゆくのは難しいです・・・・

                            2016年1月東京




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