ハインツ・ホリガー氏との共演

2015年9月怒涛のような14回コンサートツアーを日本でやっている。今8回目が終わった。
最初の1週間、オーボエの神様ホリガーと共演した。
なんというリッチな時間を過ごしたことか。彼の音楽つくり、音程作り、には100%大賛成、大納得。練習はあまり好きではない私でさえ、こちらの技量が及ばぬところはやはり練習しなくてはいけない。あたふたして練習した。
知らない曲も知っているモーツアルトもまるで魔法のような新鮮さで音楽が現れる。それは「そこは感情を込めて」とか「もっと優しく」といったような形容詞とは程遠い現実の積み重ねによるものなのだ
音程・・・長3度は低め、短3度は高め、から始まって和音の各声部のバランス、そしてリズムのこだわり方、5連符の中の16分音符は「適当に」弾くのではなくまさにその通りに弾く。またテンポ設定、「歌はそんな遅くないよ」まさにその通り鼻歌のような心地よいメロデイーは遅くしちゃ野暮!
今40代のスイス人作曲家ダイヤー氏のフルート、オーボエ、弦トリオの名曲は最初はそれこそ「手探り」だったが回を重ねていくうちに手に入ってきた。
逆にモーツアルト、チュルネール、(この人はシューベルト、シュポア時代の名オーボエ吹きで精神病院に入りつつも出てきて演奏していたという)シューマン、どれもホリガーは「みんなこういうひとこそ僕の友達」という、まるでヴァン・ゴッホが「僕が絵を描いていると皆寄ってきて邪魔をしたり話しかけたりする。唯一精神病院の中だけは皆僕を放っておいてくれる」と言っているせりふと同じだと思った。
ホリガーの天才性はフルートもうまい事。一緒に共演したフェリックスも素晴らしいフルーテイストだったがいつもホリガーの助言に耳を傾けていた。ホリガーはピアノもうまいらしい。確か彼が優勝した年のミュンヘン国際音楽コンクール・ピアノ部門にも同時に出場していて入賞したとかしないとか・・・
さてその超絶技巧曲チュルネールはホリガーさん大好き!スコアも音源も見当たらぬまま練習に入った私達佐々木亮さん、ヴィオラと宮田大さんチェロはいったい彼のメロデイーがどういうものか知る由もなし。しかしながらのっけから「違う! 早い! 遅い!」とやられてほとんど神経が参りそうだった。しかしながらその毎回違う吹きぶり、新鮮さは音楽つくりの真骨頂だ!
モーツアルトのオーボエカルテットのカデンツアなど「頭の後ろをポイってたたかれればいくらでも吐ける?」とまで言う鞄の中身の多さだ。まるでそれがカデンツアであることすら忘れてしまうほど自然なのだ。終盤?こちらの曲たちの方が気を使った。

毎晩各場所で夕食を共にした。タフだ。夕食を食べていながらふともらす「これはF,C,Cis,Fisかな?」柚子胡椒の事だ・・・

リズムと適切なテンポ、そして音程、ハーモニーさえ行っていれば音楽はおのずから現れる・・とは私も常々思っている事でそれをここまで完璧にやってのける演奏者に会ったのは初めてだった。もちろん膨大な知識と相まっての事だが。その膨大な知識というのが実は「教養」なのだ。「ジーグでしょ!」と言われてジーグのリズム感を取れる事。「シュポアの時代でシューベルトもよく知っていた」と言われその転調のあり様、ハーモニーの「うつろい」を醸し出すことがあたりまえ、だという事。これが「共通意識でしょ?プロでしょ?」久々に「恥ずべく事第一が無知なり」と言った野口晴哉の言葉を身に染みて感じた。その口調で真実を包み隠さぬ口調も久々にシャンドール・ヴェーグの、江藤先生の辛口を思い出して嬉しかった。「チャイコフスキーじゃあるまいし!」「なんで語尾にアクセント付けるの???」

旅の途中は沿線の景色に夢中だ。
名古屋―松本間の特等席、一番前の席に座ったホリガーとフェリックス。彼らに質問された。「お前、一体あれはなんだ?運転手は一体なんであのように手を振っているのだ?」見れば運転手さんは指揮するがごとくに右手で方向を指示、また楽譜を追うように各駅通過の様子を紙をずらすことでなぞっていく。それはすぐに発見できたのだが「なぜ彼が、いつ、方向指示するのか」はわからない。にらみ観察する事15分、カーブだから?危ないから?何キロごと?」根負けして私など目を閉じてしまった。1時間後「わかった?」と聞くと「あれはね。左側にある三角の黄色い指標が出てきたときにやるんだ」「!!」
寝覚の床のような川筋の様子にも感激する彼らだ。「スイスにこういうところないの?」と聞くと「あるけどこのように列車では通れない」というわけで今回初めて手にした携帯電話のカメラで写真を撮りたいのだが、なかなか猛スピードで動く列車の中からの撮影は難しい。それでも15分ぐらい立ってたかなあ~

「20年、30年前イ・ムジチ合奏団と毎年のように日本に来てたんだ。その時是非カメラを買え、とみんなに言われ上等のものを購入。さて!とはりきってアンカレッジ経由の時見えるマッキンレー山をバシバシ撮影した。ワクワクしながら現像できるのを待って写真を見たら・・・ナンと全部まっ黒だったんだ~~カメラのキャップ取るの忘れてね・・・」

こんなユーモラスな部分もあるおじいちゃん。なんといってももう76歳なのだ。

日本に来て「根付」を探していた。各地で聞いて歩いたのだが時間がなかったり思うものに出会えなかったり。最後に松本の骨董品屋で出会う事が出来た。30ぐらいあるすべての作品の解説を目を細めて聞き入る。明治、江戸時代と言われるとすぱっと年を言い当てる。ユーモラスなものが多い中、鶉とウサギの根付を購入、本当にうれしそうだった。

最後はラテン語の歌詞を箸袋に書いてくれて旅は終わった。

天才のありのままの音楽へのかかわり方、生き様をご一緒させていただき、私はこれからの方向性が見えたような気がした。

ありがとうございます。
                            2015年9月東京




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