「お国柄」

今南米チリの「モーツアルトフェスティヴァル」に来ている。そこに行く乗継地マドリッドの空港で深夜飛行機を待っていると、にこにことチェロをもって近寄ってくる人がいる。ヨーロッパからオーケストラ3つ、他にカルテット、ソリスト20名あまりも同じところに向かうのだからみな楽器を持っていてもおかしくない。
笑いかけてきたのはドイツのカルテットAuryn Quartet(アウリン・カルテット)のチェリスト・アンドレアスだった。ロッケンハウスで30年ぐらい前に出会った。それ以来だ。「僕はもう髪もこんなに白くなっちゃったけどあなたは変わってないですね。すぐわかりました」とお世辞も耳に嬉しく響く。こうやって30年前のロッケンハウスの仲間と再会した。
チリ・メキシコ・コロンビアでいわば「フォルジュルネ」のようなお祭りをやっている人がいる。ウルグアイ人のマネージャー Enrique Muknik(エンリケ・ムクニック)だ。私はピアニストの児玉桃さんに誘われてその企画に参加した。今年のテーマは「モーツアルト」何しろコンサートの数が多い。コンサートが多いという事はそのためのリハーサルも多いわけで、アーテイスト一同同じ街で同じホテルに泊まっているにもかかわらず、なかなか会っておしゃべりする機会もない。自分の演奏会と重なって他の人のものを聞きにいけない。これはロッケンハウスやマルボロにはなかった事だ。音楽会は日に一度だけ、ダイニングルーム(食堂)は同じところ、嫌がおうにも毎日顔を合わせたものだ。
とても大事な事だ。
今振り返ってみるとその時例えばGidon Kremer(ギドン・クレメル)と話した会話、普段なかなかおしゃべりできないウィーンフィルはベルリンフィルの人たちとのおしゃべり、あるいはソリスト同志の探り合いから始まる面白い話題など記憶に残っている。

さて30年来の再会を果たしたAuryn Quartetをなんとかサンチアゴのタクシーを調達して聞きに行った。南半球で季節が逆になるチリの秋の夕暮、風の心地よい庭から入った教会のチャペルのようなところ?これで虫の声でも聞こえれば日本だ!プログラムはモーツアルトのオーボエカルテットと弦楽4重奏、ハイドンセットのA-dur。難解なカルテットの一つだがお客さんたちはし~んと真剣そのものだ。しわぶきひとつ聞こえない。

このカルテットは結成からもう34年だという。ずっと同じメンバーで続けてきた。
信じられない話だ。だいたいメンバーが変わったり抜けていったり、結婚生活よりも長い時間を費やすカルテットという曲の持つ練習の必要さ、成功すれば旅の多さは他に類を見ない。それになんといってもお互いの道を歩む・・という可能性も出てくるわけだ。
彼らも然り、休憩中にアンドレアスの語ったところによれば、お互いそれぞれの道を歩み疎遠になった数年前、ヴィオラのスチュワートが脳梗塞で倒れた。言葉も発せられなかったのに彼はその日の午後の演奏会のヴィオラは弾けたのだ、という。それ以降半年間治療に専念した。彼ら4人の中でこれは「続けないと後がないよ」という警鐘だったとアンドレアス。それ以来・・というか発足当時19歳だったというセカンドヴァイオリンのエンスも含めて「我々は独立した大人が集まったのではなくその前から一緒だったから、その時から39年間続いたアマデウスカルテットを越えて40年続けようという想いがあったんだ」。
言うは簡単、どれだけの困難、葛藤があったかと想像する。
しかしながら今晩のハイドンセットの演奏に見た自由さ、音色、タイミング、もう血の中に同じようなものが流れている肉親以上の同質感がなんと快い事だろう。おのおのが自由に、そしてひとつのカルテットといういわばモザイク作業も含めた緻密な音楽の作り方の奉仕者になりきっている。
その向こうにモーツアルトさんがいる。
至福の時を過ごした一晩だった。

ちょうど同じころ朝日新聞の文化面で吉田純子さんが取材したドイツの指揮者マレク・ヤノフスキーとベルリン放送響との話が載っていた。大変興味ぶかいので以下抜粋してみる。
「互いを理解し、新たな響きを開拓してゆくのは、3~5年の付き合いでは難しい。シューベルトとモーツァルト、そして初期のベートーベン。これらの曲を意識的に繰り返し、ドイツ音楽の世界を、大音量でも深く繊細に表現できるように育ててきた」
 世界各地の楽団のグローバル化が進むにつれ、伝統の響きへのこだわりが、より強くなりつつあるという。
 「優れた楽団なら、あらゆる曲が演奏できて当然。ただ、同じベートーベンでも、ドイツの楽団だと自然に流せるのに、他の国の楽団では説明が必要になったりする。私には、作曲家と同じ『言葉』を持つ楽団と自然に音楽をつくるのが性に合っている」
「音楽から想起されるイメージは多様であればあるほどいい。」
 「現代社会は刺激にあふれすぎている。自分自身の思考をも、映像の強い刺激に支配される。そんな時代だからこそ、わざわざ会場を訪れてくれる聴衆には想像の自由を差し上げたい」
思えば日本文化の能、歌舞伎、文楽、皆日本語という共通言語と日本人という共通意識なくしては成り立たぬ。そして彼らの芸術は言葉を越え、文化を越え、皆に感動を与える。なぜならもとにある「喜怒哀楽」「感情」は古今東西かわらぬものだからだ。
コレギウムジャパンのバッハのカンタータが録音集大成。その最後の会に偶然にも遭遇した私はその美しさに感動した。これも彼らがほぼ同じメンバーで20年以上続けていたことによるものだ。
「想像の自由」は芸術家誰でも夢見る次元だ。それがすでに描かれている譜面や戯曲を再現する事でも。それが長年同じ釜の飯を食べてきた仲間の自由さからくるとしたら?
それこそ「ホンモノ」!

            2015年3月28日チリ

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