別れ

今日は外出をやめて母と妹とゆずピールつくりとした。
一昨日庭にあるゆずの木から友人に50個余りの実をとってもらった。ちょっとやろうかな?と思いきや妹が「ダメ!」と叫ぶ。一度とげの先が当たっただけで毒が回って2日ぐらいしびれていた?という、太い長靴も突き刺すほどの「とげ」のあるゆずの木なのだ。
そして今日1月にしてはまことに暖かい春の日差しの中で庭になった50個余りのゆずの皮をむく。この時なるべく皮が裂けないように、手を入れて皮に沿って身をはずす。剥いた皮を大鍋にいれて湯こぼしする事数回、こうする事によってゆずの苦味のきつさを取るのだそうだ。この湯こぼしが母はできないという。たしかに沸騰した重い鍋のお湯をこぼし切るのは力がいる。
ゆずの実の方、今度はたくさんある種とりとの戦いだ。本当にたくさんある。そのあと実も芯もぐつぐつととろ火で煮ていく。その間にすべて溶ける。ジャム作りの過程でとにかくこがさないようにと大きな木じゃくしでゆっくりかき混ぜる。
一人で数時間やるのは無理だ。おしゃべりしながら…私など日本滞在最後の日にテレビで見る推理小説を見ながら!行った。
1時間半ほどすると実も芯もとろとろのオレンジ色になっていく。そこで大量の砂糖。
4回湯こぼしした皮の方は、今度はペーパータオルでよ~く水気をとり5ミリぐらいに切っていく。この時どんな方法でもよいかというと母は「ダメ、中心に向かって切るの」という。なるほどなるべく皮を切らないように、裂けないようにとの目的はここにあったのか!
そうこうしているうちにジャムが煮詰まってくる。
へらでこそげとって瓶詰にする。3瓶ゆずジャムが出来上がった!
その鍋を洗おうとすると「ダメ!」とまた母の声。
「ええ~~?」
「それにお湯入れて飲むと美味しいんだから。あとは冷やしてジュースにするの」

さすが母!「手が出ない分声はよく出るねえ」とか娘どもに皮肉られる。

皮きり5ミリもひと鍋すべての作業が終わった。

これで終わりではない。

今度はそれに砂糖を入れてコトコト煮こむ。またまたこがしてはいけないから誰かついていなくてはいけない。
推理小説のテレビが台所では見れないチャンネルだったので私は居間と台所行ったり来たりで忙しい?!何やってんだ??

水気がなくなると今度その5ミリ薄の煮込みゆずの皮に砂糖をまぶす。以前店を閉めるお肉屋さんから妹がもらったバットが4つあったのでそれに並べながら、ひとつずつお箸を使って・・・気の遠くなる作業だ。いくら重ねてもまだ場所が足りない。
今年はたくさんあるねえ~

そういえば今回日本に帰ってきたときから庭にはひよどり、しじゅうから、めじろとひっきりなしにゆずを食べに来ていた。今ビタミンが必要なのかなあ~あんな酸っぱいものを。横にある金柑に至っては妹いわく「鳥との競争だ」という。ブリュッセルにいる姪っ子達に食べさせたいから網で覆って、鍋をつるして脅して・・・何のその…ちゃんと一番美味しいところは食べられてしまっていた!

ジャムはきちんと冷蔵庫に収まり、ゆずの皮は砂糖漬けになり、今度はそれを自然に乾かすのだという。数日から1週間ぐらいかかるそうだ・・・・
夜中に起きる事の多い母はそのたびにそのピールがくっつかないようにまぜっかえす作業が「宿題」となった。

いやはや終わったころには日も暮れて・・こんなに大変な作業だとは知りませんでした・・ピールつくり。

明日発つ。
何度やっても慣れないものだ。
日本の母を置いて家を出るとき、
ブリュッセルの家族を置いて家を出るとき、


日が暮れてくると母は「夕方は嫌だなあ」という。
「ゆず子さんいなくなると寂しいなあ」

そうこうしているうちに闇が迫り暗くなる。

しかし明けない夜はないという。

死とはその「明けない夜」がある・・
ということ・・
なのか。

小さな別れで胸がちくっと痛む。
大きな別れは想像もつかない・・・

何度やっても慣れないものだ。

今日の夕方母はどんな気持ちであの暮れゆく時間を過ごすのだろう・・・

向こうには「ママ何時につくの?車で迎えに行くよ」という頼もしい息子たちが待っている。彼は仮免をとった。一人で夜10時以前、または7年以上運転歴のある人なら同乗してよいというベルギーの仕組みだ。

羽田には妹夫婦が休みにもかかわらず朝早く起きて送ってきてくれた。

どっちにいても行っては帰り・・この生活が出来ているのもみんなのおかげだ。

感謝する。
                          2015年1月末

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