寺神戸家の鴨鍋

ヴァイオリニストの寺神戸亮さん一家はブリュッセルに住んでいらっしゃる。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の奥様上村かおりさんとお二人のお子さん慧ちゃんと洸ちゃん。
寺神戸亮さんと私はお互い昔久保田良作先生にヴァイオリンを習っていた。桐朋にも通っていた。同じブリュッセル在住。なのになぜか遠慮して?なかなか会う機会がなかった。

数年前、ついに私が有田正広オケのオリジナル楽器版メンコン(メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト)を引き受けるにあたって、ガット弦の使用、また購入法、またE線もガットにするための調弦・・・に始まりメンコンを時代的解釈で弾くにはどうすればよいか・・最低限何をやってはいけないのか?などを教えていただいた。
彼の自宅に赴く事数回、「あご当」も貸していただいた。
元々ヴァイオリンを持つための肩当は私は布団一枚、あるいはすべり止めのゴムだけだったのでそれほど違和感はない。オリジナル楽器演奏では調弦も低い。当時はそれでやっていたのだ。ヴァイオリンの弦の調律が通常442のところを430ぐらいで弾くことになる。絶対音感を持っている私としてはAがAs、半音近く下がる見当になる。そこが一番の難関だろうと思っていたが年のせいか音感も低めになったようで思っていたような障害はなかった。

ガット弦という羊の腸から取る弦は本番中室温、湿気などに影響されやすい。もともとそれで調弦が狂いやすいのでスティール弦が開発された。
それにバロックの音楽は楽章も短い。しかしながらメンデルスゾーンのコンチェルトはロマン派に属しバロックよりは楽章が長め。かつ!!!1から2,2から3と絶え間なく続くよう作曲されているのだ!!
という事は弦が狂っても調弦する時間がない事になる・・・
困った・・・
弦が切れた時用にすぐ替えるための新しい弦はすでに引き延ばしておく。これも楽器屋さんに聞いたら「中国ヴァイオリン買う方が安いですよ」というのを弦引き延ばしのみの幅のある棒(ストレッチャー)を購入、これだとケースの中にも入る。
しかしながら演奏中に調弦しなければいけない場合、それもオーケストラ部分が演奏を続けている曲中に行わなくてはいけない場合、特にアジャスターで調弦する事に慣れているE線の調弦が気になった。
暗譜で弾いているにも関わらず「譜面台」を置いて弓を置けるようにした。片手での調弦が無理だからだ。
しかしながら本番は夏にもかかわらず南仏の教会で弾くのとはちがい空調が聞いている東京の芸術劇場。調弦も狂わず、思いのほかヴァイオリンの音量も出て2楽章など至福の音楽をすることができた。私からすればモダン奏法からバロックへの一番近い処にあるメンデルスゾーン。オーケストラからすれば一番遠いところのメンコン・・接点があったのかもしれない。これがバッハ、ヘンデルだったら太刀打ちできなかっただろうと思う・・出会いに感謝する。

そんなこんな~~寺神戸家にお邪魔した際「この人何しに来たんだろう?本番にオランダ、日本、韓国と教えているお父ちゃんの貴重な時間を使って?」とでも言いたげな子供たちの視線。生徒でもないのに失礼しました、ホント!
それ以来生徒でもないのに、「バッハのあのアリアはどこから来たんですか?あれはどういう意味ですか?」等質問する事おびただしい。そのたびにきちんと説明してくださる寺神戸さんは私にとってやはり先生かもしれない。

時が過ぎ・・・
何度か夕食を共にする機会に恵まれた。
そして訪れた寺神戸家焼き鳥!
夏のまだ日が長い夕刻、庭に焚かれた七輪の上で焼き鳥を焼く。手羽先、腿、皮・・・それぞれ種類別に塩麹とその他に漬け置かれている。その絶妙な事!
レストランのイナダさんでさえ舌を巻いたのだ。

「今度鴨鍋ね」と数年来誘って頂いていた。
がお互い日本とヨーロッパを行ったり来たりの身分でもう3年もたってしまった。
ついにその時が訪れ、師走も押し迫った29日にご招待を受けた。

メンバーは寺神戸家一家と早川暁夏さんと私。それぞれ持ち寄り・・と言ったって私はワイン担当、気楽なものだ!

到着すると忙しそうにパンを切っている亮さん・・・「あれ?鴨鍋にパン?」
「いやいろいろ作ってるんです」と亮さん。
タパスのようにレバーペースト、スペイン風白身魚のパテ、暁夏さんの持っていた鮭のいずし、たらこの燻製とモッツアレラチーズ、

その上前菜には「ちょっとエスニック風ですが・・」とあさりのタイ風ココナッツミルク味・・・
美味しかったなあ~~あとでレシピーを聞いた。「簡単ですよ」というので翌日さっそく中華マーケットに行き材料をそろえてやってみた。いやそれぞれの分量わかるのには何度かやらないとダメだ!
「この頃パパはアジアフュージョンばかり」と子供たち。「一度作り出したらず~っと手を変え品を替え同じ味のものが出てくるんだから」かおりさんは「白菜の重ね煮」に凝ってず~っと1か月ぐらいそれしか出てこなかった、と子供たちが嘆く。彼らの不満もわかる。しかし手を変え品を変え「美味しく食べよう」という姿勢、これこそ極めへの王道だ。

そして鴨鍋の登場。
魚だしと昆布だし、つくねは鶏肉とターキーの挽肉にきくらげ、もちろん「ねぎをしょってくる」のでネギ、野菜類・・・味付けは醤油、みりん、酒とオーソドックスだ。
それにスライスした鴨肉を入れてゆく・・・ほとんどしゃぶしゃぶの火の通り方で食べる。
「美味しいねえ~」

時がたつにつれ、それぞれの材料が相まってハーモニーを醸し出す。
初味・・・最初の一口のおいしさ、1時間後のおいしさ・・・

いやあ、音楽もこうありたいですねえ~~

極めはそば。「鴨南蛮とはいったい誰が考えたのだろう?」と質問すると寺神戸さん、
「いや、信州で鴨撃って鍋にしてそばはそこにあったから入れたんじゃないんですか?」

先人の思い付きと偶然に感謝する。

デザートはリコッタチーズにレモンの蜂蜜漬け風味、スペキュロスのビスケットにマロンピュレとリコッタチーズ、それを両方とも冷蔵庫で冷やしたもの。「簡単なのよ」とかおりさん「この人は簡単なものしかしないから」と亮さん。しかしその美味しい事!
「目標は同じ、美味しいってことでしょ」

「人が死ぬまでに食べるご飯は10万回ないそうです」と亮さん、
「それしかないの?それにもう半分以上終わっちゃてるよね、じゃあ一食も無駄にできないねえ~」と私達皆深く納得したのだ。

ちょっとした手間、工夫、その前に「あれ食べたい!」の空想だな。
一期一会の食事、仲間に感謝です。

良い年を!

                          2014年12月31日

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