プラハ
バッハソロ録音の場所を探すのに一日だけプラハに赴いた。
昨年夏にチェコフィルとブラームスのコンチェルトを録音して以来だ。
空港ですぐオクタビアレコードの江崎さんと会い最初のホールに向かう。
そこはなんというか集会所のような感じのこじんまりしたところだ。多くのチェコ、オーストリアの録音がこの場所で行われたという。一見何のこともない300人ほどのホールだが弾いてみると確かに音質は素晴らしい。残念ながら次の会合の準備で布張り椅子がたくさん並べられ、木の床と高い天井のいつもの音質は得られなかったと江崎さん後悔する事しきり。
住宅街の中にあり騒音も少ないのでいつでも音をとれるという。
次は町のど真ん中の教会、しかしここは入った瞬間古い教会のなんというかろうそくの、あるいは湿った空気のにおいに辟易。それに教会の人たちの愛想のない事!一音も出せずに外に出た。
夜はストジェシュヴィッカー・エヴァンゲリカル教会に行く。12月冬の夜7時となると外はかなり寒い。中に入った教会はそれにもまして寒い。床からしんしんと冷たさが足を通って伝わってくる感じだ。
石の教会・・・
バッハもこういうところで一人ソロソナタを作曲したのだろうか・・・ここは深夜、皆が寝静まった時しか録音できないという。確かに良く伸びる音響、濁らない残響、いろいろ演奏の可能性も拡がる感じもした。
翌朝、プラハ市内を歩いた。実はこの日ブリュッセルはゼネストで飛行機の70%はキャンセルされる、という情報があった。泊まったホテル、ホフマイスターのレセプションの人達は昨晩から親切にも2度も調べてくれた。それでも「これ以上は空港に行かないとわかりません」と言う。しかしながら昨今、訊ねても最初から「それはわかりかねます。できません」とやんわり、しかし絶対に断られるケースばかりだ。これほど丁寧に対応してくれた事に感激した!ここのホテルの人たちは誰の役割という事でもなくさっと動く。実によく客を見ていると感心した。何か私達が失ってしまったものを見たようで懐かしかった。
明日朝までには絶対にブリュッセルに帰らなくてはいけない。いろいろ頭の中で方法を考える。いらいらするはずなのだが、この朝の光の中での散歩は楽しいものだった。素晴らしいプラハ城を見上げ、川のほとりで去年チェコフィルと録音した夢のルドルフィノ、ドヴォルザークホールを対岸に見る。すすけた歴史的建造物が山ほどある街は今、朝の通勤時間だ。皆息を白くしながら速足で歩いていく。観光ではないふつうの生活を垣間見た。一緒に呼吸した。
飛行場で・・・がらんとしている。でもブリュッセル行きの搭乗手続き窓口は開いているではないか!「やった!」どうやら今のところは大丈夫らしい…
結局ほとんど遅れもなく無事帰宅する事が出来た。
たった一日の旅だったけれど汗を出して歩き回った冬の日、プラハは色々な事を感じさせてくれた。
まず「石」と「木」の建物という事。我々日本人は圧倒的に「木」の文化の中で育つ。自然と対決するのではなく共存するという思想。あるいは対決したところで地震に津波に台風・・あらゆる天災に勝てることなどありえないのだからある程度の「あきらめ」を持つ事。これは何も否定形ではない。
ヨーロッパに石の建造物が多いのはそれらの天災が比較的少ないからだと思う。もちろん征服されぬよう城塞を固める、という昔からの歴史的根拠がある。
石の中で弾かれた木のヴァイオリン。
そして80年代を思わす人々の会話、対応、そこには音楽に対する渇望があった。
だからチェコフィルもあんないい音がするのかなあ~
飛行機を降り際に上の棚から楽器を出すと周りに乗っていたチェコ人たちが「ヴァイオリン?」とニコニコ笑ってくれた。こんな些細な風景が嬉しい。そういえば私の生徒の一人がヤナーチェクにひかれてチェコ・ブルーノの大学に行っている。「何だかあそこにいると余計な事考えずに音楽に没頭できるのです」というフランス人の彼の言葉が身に染みた。
何もなく歩く時間、空気、そして人との出会い・・・そこに想像の芽が隠れている。
良いリセットの時間になった事に感謝する。
2014年12月9日