ケンブリッジマスタークラス2014


夏になると色々な講習会が世界各地で催される。今までにも各地で教えた。
今年はロドニーフレンド氏の誘いでケンブリッジ・トリニテイカレッジで行われる講習会に参加した。4年前また2年前にインデイアナ、モントリオールの国際コンクール審査でご一緒して以来のご縁だ。音楽のとらえ方、音に関する感覚が似ていると思った。また一度はケンブリッジの顔なじみのレストランで突然楽器を取り出して「5度練習法」の説明を始めた。詳細は割愛するがそんな「ヴァイオリン馬鹿」は大好きだ!彼にひかれて参加する事となった。

ケンブリッジ、トリニテイカレッジといえばあの有名なアイザック・ニュートンがリンゴの落ちるのを見て重力を発見したところだ。彼の銅像がチャペルに入ると一番に目につく。また大食堂はハリーポッター映画の基になったという。カレッジの門を通ると別世界が登場する。食堂にたどり着くまでの見事な芝生を取り囲む宿舎にはいわゆる「教授」達が住んでいる。この見事の芝生を「横切る」ことができるのは彼らだけだ!私達は芝生の四角のへりに沿った道を歩く。万が一間違って芝生に足を踏み入れようものなら、ものの数秒でガードが飛んでくる。一度目は警告、2度目はつまみ出される!この見事な芝生はやはり見事な毎日の手入れによって美しく保たれている。一緒に来ていたバート(主人)が芝刈りのひとりの青年に「毎朝精が出ますね。まったく見事なもんだ。」というと「Thank you sir]と帰ってきた「そのはさみなど角をきれいに刈り取るために特別に作られているんでしょ?全くブリュッセルとは比べ物にならない」というと「why not sir」とあたかも「きちんとしないなどという事はあり得ない」という答えが返ってきた。
なるほど~~このように伝統はつながって手入れによって生きていくものなのだと頭が下がる思いだった。
またこの「ガード」達の良く見ている事と言ったら素晴らしい。何でも機械に頼る今の世の中、いつも人との応対になる毎日のあいさつはなぜかとても新鮮だった「Good morning 」の意味が深みを増すというものだ。
彼らは何でもよく知っている。道を聞くのも美術館の開館時間を訪ねる事も大丈夫だ。一度トリニテイカレッジ付属の図書館にウィニー・ザ・プーの原版があるというので見に行こうと思った。ガードに聞くと「I will show you」とご親切にもわざわざ持ち場を離れ、例の芝生まで一緒にやってきた。もちろん持ち場にはもう一人だれか残っている。彼と門をくぐると「あの食堂が見えますね。あれを突っ切るとまた向こう側にドアがあります、それを通るとまた芝生に出ます。その回廊に沿って歩いていくと右手奥に入口があります。わかりましたか?でもまだ図書館開いていません。12時からです」
いとも懇切丁寧な説明通りに夕方レッスンが終わり5時過ぎに歩いていくと、たしかに突然魔法のように「カレッジ専用入口」のドアが表れた。残念ながらその時は開館時間が過ぎてしまっていた。
それでも受付嬢に「ここで教えているのですか?」と聞かれたので「まあ、夏の間だけ」というと「では明日9時以降だったら開いてます」という。ガードのおじさんの時間より3時間早いが無事次の日見に行く事が出来た。
専用入口を通ると「階段を上がって3階」と言われた。3階ではまたまた職員3人のみ、「こんにちは、あのウィニー・ザ・プー見に来たのですが・・」「それならば2つ目の右、机の布をめくってください」「?」
はたしてその布をめくったガラスケースの中に挿絵を描かれた文章、それをタイプしたものが表れた。もちろん他に誰もいない。大きな天上の高い、当たり前ながら本だらけの図書館、その静寂さと作家ミュレーの筆使いだけがある。実は昔息子が大好きだったのだ。私が「ウィニー・ザ」と歌うと最後に「プー」と付け加えた彼、今頃は友達とスペイン旅行、もう3週間も会っていない!大きくなったものだ。

話を元にもどそう。

Cambridge International String Seminar,略してCISS、が始まったのはそう遠い昔ではない。元ニューヨークフィルのコンサートマスター、今もばりばりのヴァイオリン弾き・ロドニーフレンドと友人のアメリカ人でギーンゴールドの弟子ステイ―ブン、シップス氏が10年ぐらい前からまずチェコで、そして数年前にここケンブリッジに持ってきたいわば「全世界の13-26歳までのヴァイオリニストの様相が知れる」またとない機会なのだ。 ヴァイオリンオンリーというマスタークラスは極めて少ない。あるいは著名教師による数日間特殊コースの様相になる。ここは普通の、と言っても音楽的方向の似た教師がやはり世界中から集まる。8名ほど。それで全生徒を見るわけだ。

講習会では13歳から26歳までアメリカ、カナダ、中国、韓国、日本、イタリア、フランス、ベルギー、スペイン、イギリス、オーストリア、ポルトガル、なかなかこれほどの世界中のヴァイオリニストのパレットが集まることはない。ヨーロッパで行えばヨーロッパ人たちプラスアジア系少々、アメリカで行えばアメリカ人プラスアジア系少々、日本で行えば日本、韓国がほとんどだ。なんといっても飛行機代も高くつく。欧米、と一言で言うが現在のアメリカとヨーロッパ、それにアジアが一緒になるのは勉強方法、レパートリー、考え方の違い、学生気質も含めてなかなか一堂に揃う事はない。おおいに意見交換になったと思う。私にとっても非常に面白かった。45名、8名の先生方のレッスンスケジュール、コンサート等その段取りを作るだけでも大変なオルガニゼーションだ。そこはさすがアメリカ的合理性、かつ一人ひとりの生徒に対して先生方で話し合うので本当の意味で公平さが出る。うまい子はたくさん弾く機会がある。他の生徒達もレッスンとこの「仲間」によって最終日の演奏は初日とは打って変わったものになったのには心底驚いた!
ケンブリッジでは彼らすべてがカレッジの個室を与えられる。かなり広めだ。先生方も同じところに泊まる。朝食はその芝生のへりを歩いて行った先にあるハリーポッター映画の大食堂。高い天井にはもようが施され、壁には歴代の名氏の絵が飾られている。映画に出てくるような長テーブルには普段は何もないがいざ「デイナー」を行う折りにはろうそくならぬランプが出没する。そこにガウン必着、の様相でデイナーを行う様はまさに1600年代から変わっていない。
1600年といえばヴァイオリン制作にとってアマテイー、そしてストラデイヴァリウスリウス、ガルネリ、とクレモナで花開いた黄金時代だ。
街のあちこちにその年代の入った壁、船に乗れば橋に年号、建物に年号を見出す事が出来る。ケム川のほとりのこの大学町は実にその時からまったく変わっていないのだ!
そして今なお人々の営みが行われている。「失われた都市」ではない。パウンテイング、その魯で小舟をこぐアルバイトの青年によれば3000名の学生、32ものカレッジがあるケンブリッジでの授業の仕組みは「ハリーポッターの時代とさして変わっていませんよ」という。授業ごとに建物を変える、皆が共有しているそうだ。途中アパート群にさしかかった。「ここのローンは90年です」なるほど、90年先といえば子供の代も越えて孫の代になるまでこの大学町は栄えるという発想なのだ!そしてすべての建物、窓、放置されっぱなしのものはない。壊れている窓はすぐに修繕される。手入れが当たり前のようにされているからこそこうやって歴史的建造物も現代に生き続けるのだ。
一度クレモナを訪れたことがある。友人のヴァイオリン工房の中庭に出ると反対側の建物3階の天井のフレスコ画が見えた。時は夕刻、その素晴らしい出現に感動していると友人の松下さんは「その向こうがアマテイーのお墓ですよ」「!!」背筋がぞオ~ッと寒くなった。名前でしか、また作品であるヴァイオリンを通してしか体験しなかった「アマテイ」がぐっと近くに感じた。そのクレモナにも建物に年代の書いてあるものが多かった。

レッスンの話をしよう。厳しい。講習会途中、先生も生徒もくたくたになる。毎朝9時からグループレッスン、一人の先生のクラスに6-7名がやってきて皆の前で一曲弾く、あるいは先生がレッスンをする。またお互いの意見を述べる事もある、ケースバイケースだ。12時には恒例ランチタイムコンサート、毎回5-6名が出演する。伴奏はパールマンの伴奏もしているロハン・デ・シルバを含む3名が45名の若きヴァイオリニスト達をサポートする。ふつうの若者には到底与えられないチャンスかもしれない。伴奏者は共演者だ。同時に音楽を造り上げていくパートナーだ。大変重要なポイントである。演奏会の場所はあのニュートンの銅像があるトリニテイカレッジ内のチャペル。音響がとても良い。そして歴代のイングランド国王のステンドグラスに囲まれている。願わくば次回この歴史をすべて把握したいものだと毎日通いながら眺めていた。がっしりとした木の椅子、大理石の舞台にピアノを借りて入れてある。後ろにはパイプオルガン、えてして教会は残響が多すぎて難しいが、その心配もあまりない。
プロコフィエフの1楽章、パガニーニ作品、シベリウス、バッハソロ曲、あるいは小品でもよい。皆それぞれ腕を競う・・というより自分を試す機会だな、演奏会を一度やることは何にもましての勉強になる。「ヤバイ!」と体感する事こそが次への飛躍だ。皆葛藤あり、ストレスあり、でもお互いすべての演奏会を聞くことによって演奏会前の「緊張、上がり方」も演奏後の「喝采」も分かち合うのだ。レパートリーも耳から増えて「今度は自分がこの曲をやってみたい」と思うようになる。
えてしてこういう場合は生徒たちのしのぎあいでコンペテイションになってしまう事が多い。最初は天狗になっていた若者もいた。しかし講習会の最後の方には自分の非がわかりそこから切磋琢磨することになっていった。「頑張れ、」と尻を叩かれた生徒たちはその勢いで講習会が終わってからも練習方法が変わって行った。何より集中力だ!
そしてその先,いや根底にある「音楽への尊敬、愛」がいみじくもお互いを認め合う結果になる。この態度を学ぶことこそがこの講習会の基本かもしれない。彼らの哲学だ。フレンド氏いわく「音楽家の生活というのは大変だよ。演奏会前のストレス、旅、常に後がない状態で審査されるわけだから。だからこそお互いのサポートが必要なんだよ。家族なんだよ」

私達教師も昔の名ヴァイオリニスト達の話に花が咲き、教え方に花が咲き、そして何より友達として人生を語り合う場面も持てた。新、旧の友人たち、仲間たちと共通のミッションを携え同じ方向を見ること・・それこそが「ケンブリッジ大学」の理念ではないか・・

この出会いに感謝する。

とともにおおいに感化された私は来週から始まるイタリア・アンコーナのマスタークラスにもフレンド氏とその生徒たちを招待することにした。心強い味方だ。
            2014年11月ブリュッセルにて


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