ロイ先生


この夏8月3日、ケンブリッジ講習会に向かう道中、ちょうどユーロトンネルに差し掛かろうとした頃、日本にいる妹からの尋常ではない声音の電話を受け取った。年老いた母を日本に置いている身としては「まさか」と心の準備をする。すると彼女が言うに「あのね、ロイ先生が亡くなったの・・」

絶句とはこういう事を言うのだ。体が石のように硬くなり涙も出ない。トンネルの間中その闇に身を縮めていた。1時間ほどすると大あくびが出た。彼の存在は大木のようにあり、いつでも旅人が休むことのできる場所だった。日本行きの楽しみの一つはロイ先生の道場に行って操法を受けることだった。いなくなるなんて考えられない!
この野口整体2代目の通称ロイ先生、野口裕介さんは私とそして何より子供たちがお腹にいるときから愉気を受けた。整体に沿っての子育て、そして私のヴァイオリニストとしての資質を愛してくださった方だ。
子供たちが幼い頃あまり練習できなかった時も「ちゃんとやってるじゃないですか」と私の40分の練習を評価してくださった。ヴァイオリン押収事件の折りも心配して皆さまに声をかけてくださった。その後ヴァイオリンが無事戻ってきて弾いた道場での正月演奏会。バッハの無伴奏をいつまでも弾いていたかった・・・

人が亡くなる・・というのはもう2度と会えない、という事だ。思い出の中、写真の中でロイ先生は笑っておられる。ケンブリッジ講習会の最初の数日「日本に帰るべきか」と思いつつ空を眺めていた。その大空を闊歩しているお姿が目に浮かんだ。自由になられた・・とも感じた。

娘は「ロイ先生苦しんだの?日本行の飛行機って高い?」と涙ぐんだ。
息子左門はスペイン旅行中、「わかった・・」と絶句したあと「ママ大丈夫?」と私を気遣ってくれた。
このような子供たちに育ったのもロイ先生の力が大きい。

活元運動を習った。娘が生まれたときに宮坂行子さんという野口整体の先輩がここブリュッセルに住んでおられたのだ。おかげでそれ以来私は時差も体調を整えるのも「体がどうしてよいかわからない」ときには邪気を吐く。それだけでも頭がす~っとして次の行動の予想ができるというものだ。どれだけ恩恵にあずかっているかは測りようがない。

彼自身一生独身を通し亡くなる時も一人だった。その前日まで会員に愉気をした。
だれにも迷惑をかけず、逝った。

悲しくて涙も出ない。

くしくも今年のバッハ・ブラームスの秋の企画は悲しみを込めたロ単調だった。ロ短調の調性には特別な悲しみが存在する。ブラームスのクラリネットクインテットに始まり、バッハのシンフォニアを経てロ短調のソロパルテイータで終わる。晩秋にふさわしい・・と2年以上も前に企画したものだがこれほど「追悼」にふさわしいプログラムもなかったかもしれない。

死も生のうち。それなくして生は成り立たぬ。

しかしながら寂しい。あの笑顔にも「大丈夫ですよ」の後押しにも、何より背中に置かれた手にあやかることはなくなった。
信じられないこの現実を受け入れるには時間がかかりそうだ。ありがとうございました、という前に「なぜ」と思ってしまう。そのくらいロイ先生がいらっしゃる事が当たり前だった。このように突然死はやってくる。           合掌

                   2014年11月ブリュッセルにて



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