先週ドイツでモーツアルトのコンチェルト3曲弾いてきた。友人でもあるチェリスト・ユリウス・ベルガーが18年来音楽監督をやっているEckelshausenmusiktage という音楽祭だ。フランクフルトの北100キロ余り、きれいなlahn 川のほとりのこの町で10日間にわたり毎日音楽会が催される。オーケストラコンサートから、室内楽、そしてソロリサイタルまでいろいろある。
一晩でモーツアルトヴァイオリン協奏曲をず~と聞いてみたい、という彼の「夢?」に乗せられて「ま、めったにない経験だな」と思いつつ引き受けた。

ドイツーモーツアルト週の前、いつもはピアノ伴奏で準備してゆくのだが突然思いついて生徒たちにオケを弾いてもらう事にした。日ごろから「モーツアルトはね~」と教えているのを実践することも兼ねて。私の「突然」に慣れている彼らは翌日集まった。チェロも初めての子だけど興味しんしんにやってきてくれた。

自分がソロを弾いてかつ指導するのは室内楽を弾いているのと同じことだ。
彼らも最初は渡された楽譜をただ弾いていた。モーツアルトの譜面づらは難しくない。別に超絶技巧が出てくるわけでもない。でもそこから何を表現してゆくか、となるとこれ難題なんだなあ~よく「こどもはモーツアルトが弾ける。それから難しくなる」とか難しそうなこと言う人たちもいる。要は考えだすとダメになる、と言いたいのだろうが考えなくてどうするのだ?
彼の本質を飾ることなく表していけばよい。
ちょっと勇気を出して、いつものレッスンのつもりでやってみる。「カンタービレ、グラツイオーソ、リゾリュート」とモーツアルトを教える際、また実際自分が弾く際昔ザルツブルグで学んだシャンドール・ヴェーグの「モーツアルト語」で語る。彼にモーツアルトのすべてを教わったといっても過言ではない。
生徒たち、ものわかりはよい。あとはそれをどうやって音に表現するか。すべての音が真珠のように輝いていなくてはいけない。それにはやはりヴェーグが言っていたように「コンタクト」弦と弓の密接な関係が必要になる。それには右手の指が左手のように柔軟に動く事、それぞれの指が弓を置く場所、強さによって役割があることを実感しなくてはいけない。またヴェーグ先生はよく「モーツアルトはオペラのように・・」とおっしゃった。もともと言葉を音楽化したものがオペラだ。その逆、音楽を言葉にできる、ことが成功への鍵でもある。劇の中に出てくる心情、生活の中にある他愛ない言葉の中の真実を瞬時に把握しなくてはいけない。それがすべて和音なり伴奏なりに現れているのだ。
チェロの子も低音が半音下がると和音がふとさみしくなる、そんなニュアンスをよくつかんでいる。

そうこうしているうちにこちらが「ソロパート」を弾かなければいけない。
これも大変なのだ!
チャイコフスキー、ブラームスなどの大きなコンチェルトを弾いても手が痛くなることは滅多にないのだが、モーツアルトの演奏会のあとは決まってどこか痛くなる。すべての音が真珠のように光っている事・・・とは心身共に細かくてデリケートでまた急を要する変化を表す作業をし続けてゆくことだ。

初日は1時間たつとコーチをしているこちらの声も枯れ、腕も枯れ?疲れて私が休憩する間、彼らはおしゃべりに余念がない。芽を出す・・のはいかに大変な事だろうか。
これじゃいけないなあ・・・

2日目、学校内の小さなホールが使えることになった。昨日来られなかった子も来たり、ヴィオラが来られなくて生徒が変わってアルト記号読んでヴィオラ弾いたり。だんだん・・というかやっとみんなモーツアルトの作業の大変さがわかってきたらしい・・・
「休憩の後通します」というと休み時間そっちのけでみな練習してた!


さてモーツアルトのヴァイオリンコンチェルト2,5番、生徒たちと一体になって仕方ないから身振り手振りで指揮まがいなことをして、何よりお互い一緒に音楽をやる事が大事、という室内楽の精神でやっていく。
13年教えていて初めてやったことだったが「なぜ今まで思いつかなかったのだろう」と思うくらいに自然に事が運んだ。

最初に「やってみようかな?」の芽が出た。
それを壊すことなくそおっと育てる。
ここが肝心。
あとは育っていくのだ。
なぜなら『芽』は氷山の一角に過ぎないから。芽がでるまでの道のりにすべてのDNAが含まれている。

次の週にドイツに行ってオケ合わせとなった。若い学生たちのオケだった。プログラムに指揮者の写真が載っているのに彼は指導で指揮はしないという。
そんな!予定外のことだ。怒るよりなによりあまりの偶然にびっくりしてしまった!

また『芽』を出す作業から始めた。今度は相手は弟子ではない。なんとか説得していかなければいけない・・・

・・・などという難しいことはなかったなあ。
一緒に音楽をやっているとだんだん合ってくるのだ。どことどこが聞きあえばよいかを時折指示すればよい。バランスは客席にいた旦那のバートとかそのオケの顧問先生が教えてくれた。
2回の練習、さすがに3曲もコーチしながらコンチェルト弾いているとそれこそ箸も持てないぐらいに手が疲れる。日本では「箸も持てない」だがこちらでは「ナイフも持てない」お昼に夜の演奏会に備えて体力つけなきゃ、と食べたステーキの肉切るのが大変だった・・・
ドイツの肉が硬かったのではないのに・・・・

本番、うまくいった!
実際一人でステージの真ん中に立ち暗譜(譜面を見ないで弾く事)で皆と弾いていく作業は怖かった。本番となると細かいところの難しさがますます浮彫にされる。
モーツアルトは思わぬところに「落とし穴」があるのだ。彼の音楽の奇抜性、新鮮さでもあるだろうが実際30年以上ステージに立ってきて一番暗譜の怖いのはモーツアルトとベートーベンなのだ。まさに絵にかいたような古典曲の誰でも知っている和声進行とメロデイーであるにもかかわらず。あの「地獄を垣間見た」ような恐怖は他に比がない。
だからソロに没頭しなきゃと弾き始めたが、せっかく指導したのだ。皆と一緒に弾こうと気持ちを切り替える。コンサートマスターの彼も真剣勝負だ。皆一生懸命!
・・・気がついたらドイツーオーストリアというモーツアルト本家本元の国で自由に演奏してそれを聴衆が非常に喜んでくれた。弾いていてもユリウス・ベルガーの言っていたモーツアルトをずっと聞いてみたい」の気持ちがよく分かった。
「まるで今作曲されているような感覚に陥った」という批評までいただいた。
もし先週ブリュッセルの「思い付き生徒オケ」をやっていなかったらここまでできなかったと思う。
本番後学生たちも「たくさん勉強させてもらいました」という。
最初の『芽』をつまなくてよかった!

                      2014年6月

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