仙台人の底力
仙台のセミファイナルの事だ。数日仙台を留守にした審査員の中に「帰ってきたらネットがつながらない」と言う人が何人かいた。何をかくそう私もその一人だった。そしてその大変さ!
今またブリュッセルでネットがつながらない・・・テレビも見られないと言う状態が続いている。もうこの世の終わりだ!
夜になり電気がつくのが当たり前。
水道の蛇口をひねれば水が出るのが当たり前。
お湯にならないと大騒ぎする。
・・・・・・
震災後の数日間何もなかった生活。それから自転車通勤をしたと言っていたうちは良いけれど、だんだんその物珍しさにも苦難が出てくる。
それより何より実際の食糧難で(痩せました)と友達は言う・・・
震災後の4月に帰った時だけ、成田から上野に向かう電車の照明が落とされていた。みな肩を落とし、ヴァイオリンもなるべく人様の邪魔に成らぬよう持った。この感覚は70年代のものだ。
と・・・そのまま続くかと思いきや、6月には電気はこうこうと灯り、次の夏には自動販売機の灯りもいつのまにか元に戻っている・・・
原発・・・があれだけ恐ろしい事に成ることを体感したにもかかわらず再開・・・いや我々の生活が、その便利さが、電気がなくてはやっていけない事になっているのだ!
それでもちょっとの不便さで考えることがある。
きっかけ・・・というには余りに大変な思いをなさった東北の方々、そして行き場所のない憤り、怒り・・・
でも実はそれが底力なのだ。
そこで感じたこと、今持っている命、その大切さ・・
一度その事を思いっきり経験したことは大きいと思う。
私が昨年夏、フランクフルトでヴァイオリンを押収された時、ふらふらと税関を出た後それでも最初に思ったことがある。「これは津波ではない。私はまだ生きている」
奥山市長がいみじくもおっしゃったように「大変な時にこそ、音楽と言うものの力を感じました」
文化は憧れだ、とやはり宮城出身の彫刻家、佐藤忠良さん、
音楽を渇望する仙台市民、心から応援します。
そしてせんくら、ありがとう!
2013年6月ブリュッセルにて